「ただの壷、か?」

とある遺跡の最深部。
部屋の真ん中に台座があった。
その上に置かれた壷を見ながら蒼い鎧の男が呟く。
彼の名はグレイス。
ブルーレインという通り名を持つ精霊戦士だ。

「助けてください。ここから出してくだされば、望みが一つ叶うでしょう。」

壷の中から女性の声がする。

「あんたは?」

いたって冷静に、蒼の戦士が尋ねる。

「この建物は以前神殿でした。私はその昔、この神殿に祭られていた者です。」

壷の中の者が答える。

「ほぉ。‘小さき神’というやつか。」

遥か昔の神々の戦争に於いて敗れ去り、世にその存在を知る者が少なくなった神。
精霊の類だが地域の人々に崇められ神格化した者。
そういった存在の事を‘小さき神’と呼ぶ事がある。
多くは邪神として弾圧される運命にある。

「そう呼ばれる事もあります。」

「面白いな。邪神として封じられたか?」

「とても昔の話です。」

壷の中の者は沈んだ調子で答えた。
図星だったのだろう。

「ひとつ聞こう。この遺跡は隅々まで冒険者に調べ尽くされていた。罠は全て外され宝箱のカケラも無い。なぜ今まであんたは残ってる?」

「‘取れない壷’と呼ばれているそうです。」

「取れない壷?この辺りの噂で聞いたな。数多の冒険者が挑戦し誰も持ち帰れ無かったというあれか?」

「そうです。」

「益々面白い。蛇が出るか邪が出るか。試してみようじゃないか。」

蒼の戦士はおもむろに壷の封に手をかける。

「む…?」

厳重に施された封は簡単に開きそうになかった。

「解封師に頼むか。」

壷を取り上げてようやく、グレイスは‘取れない壷’の意味を知る事になった。
壷を手にすると部屋の扉が閉まるのだ。
壷を戻すと扉は開く。

「なるほど。どこかで聞いた事がある仕掛けだな。」

兜を脱ぎ壷の代わりに置いてみる。
案の定、扉が開く。
悠々と壷を持ち出す蒼の戦士だったが…。
外に出る事は叶わなかった。
どうやっても元の部屋に戻ってしまうのだ。

「凝った仕掛けを。」

試しに壷を元の位置に戻すと外に出られる事が確認できた。

「この壷を割れば、あんた出てこれるのか?」

「今までそんな事を聞いた冒険者はいませんでしたが…。おそらく出られるでしょう。」

「確かにこの壷は‘封印の壷’だろうからな。割ろうと思うやつは珍しいかもしれんが。」

そう言いながら躊躇なく壷を割るグレイス。

「わっはっは…。」

大きな笑い声で中から現れたのは炎の魔神だった。

「ありがとうよ。これで望みが一つ叶った。俺が外に出るという望みが。お前の、とは言っていないだろう?」

「言ってなかったな。」

グレイスは何の驚きも見せずに答える。

「驚かないのか?」

逆に魔神の方が驚いているようだ。

「あぁ。分かってたからな。それに俺の望みも叶うさ。強いやつを倒したい、って望みがな。」

スラリと剣を抜くグレイス。
その剣にはしかし刀身が無かった。

「ん?慌てて刀身を忘れてきたのか?」

馬鹿にした様子の魔神。
しかし、魔神が笑っていられたのはそこまでだった。

チリチリチリ…
小さな音を響かせながら空気中の水分が凝結し刀身を形作っていく。
あっという間に氷の剣ができあがっていく。

「なぜ、お前がそれを持ってる?」

魔神は動揺の色を隠せない。
その剣は世界に数本しか存在しないと言われる‘伝説の剣’の内の一本、‘アイス・ブレード’に違いないからだ。

「さて、ね。」

飄々とした態度とはうらはらに気迫を漲らせるグレイス。
伝説の剣の所持者、‘精霊に見初められし者’。
彼の姿はまさしくそれに相応しかった。

「待ってくれ。」

魔神が声をかける。

「いえ。お願い。待って。」

懇願である。
威風堂々としていた姿は陽炎のように揺らぎを見せ、やがて煙のように消えてしまった。

「出してくれたお礼はするから命は助けて。」

魔神の代わりにそこにいたのは小さな炎の精霊。
悪戯者で戦好きな炎の戦乙女、フレイム・ヴァルキュリエである。

「‘魔神の威を借る精霊’か。はは。そんな言葉があったな。」

グレイスは笑い出した。
そして尋ねる。

「礼、ね。なんでもするのか?」

「もちろん。」

精霊は胸を張る。

「なら、俺の前から消えてくれ。俺は水系だから火は苦手なんだ。」

そっぽを向いてそう言う蒼の戦士を見て精霊が目を輝かせる。

「助けてくれるの?あんた気に入ったよ。あんたに付いてく。」

「待て。俺は火は苦手だと言ってるだろ…。」

無論、精霊は聞く耳を持たない。
こうして蒼の戦士と炎の戦乙女の奇妙な旅は始まったのだ…。