不信感の増殖を抑えるのは許す力 | 真理は心の中にある

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真理は心の中にある。これが私の基本的修行スタイルです。日々、思っていること、考えていることのなかで、読者が参考になると思われることを書いていきたいと思っています。

不信感には強力な伝播力がある。

その不信の思いは合理的な考え方を偽装して、人から人へと速やかに拡がっていく。

思いが結集すると、その思いに応じた現象が生じる。
不信の思いが結集すると、その不信感を肯定する現象が起きるようになる。
そして、その不信感はさらに根深いものになる。

実は、この不信感。
管理統制された社会ほど強力な伝播力が働く。

それに対して自由な社会では、その影響力は限定的なものとなる。
意外だが、それが現実だ。

不信の根を見つけると管理統制を強めていく。
実はこれはやってはいけないことなのだ。

それをやれば、その不信感はさらに根深いものとなっていく。
そして根深くなればなるほど、強力な伝播力を発揮する。

この世で常識とされていることは、心の世界では全くの逆効果になる。

不信感というウィルスは管理統制された社会では爆発的に増殖していく。

共産主義国家でもリーダーたちは人民を限りなく、疑っていった。
そして、ちょっとでも疑わしい人は徹底的に処刑して回ったのである。

人民は疑われることを恐れた。
疑いをはらしたいと思った人民のやったことは何か。

疑わしい人を見つけては、その人を血祭りにすることで、自らの疑いをはらしていったのである。

このようにして不信感は全土に拡がり、処刑の嵐が吹き荒れた。
これは実際に文化大革命で起きたことだ。

その他の共産主義国家でも大なり小なり、似たようなことが起きている。

不信感を解消せんがために、管理統制を強化していった場合、こういった悲惨な結末を迎えることになってしまう。

不信感というのは、心の問題だ。

その心の問題を「管理統制する」という唯物的に、シスマステッィクに解決できるという考え方が、そもそもおかしい。

心の問題を解決できるのは、心の教えによって解決するしかない。

不信感の根底には、根深い被害者意識がある。
心のどこかに「許せない」という気持ちが、しこりとして残っているのだろうと思う。

それは親に向けられたものかもしれない。
ひょっとしたら前世から持ち越して来たものかもしれない。

この「許せない」という気持ちは倫理や道徳では解決することができない。
むしろ、罪悪感が強いと、「許せない」という感覚は、人一倍、強烈なものとなっていく。

やはり、その強烈な負の感覚は、心の内側から破らなければいけない。

外なる神の言葉と、内なる神の言葉が出会い、呼応したとき、許しの言葉が心の内から沸き上がってくる。

あなた自身の信じる心のみが、あなた自身の罪を許すことができる。