勝ち負けから魂を解き放つ | 真理は心の中にある

真理は心の中にある

真理は心の中にある。これが私の基本的修行スタイルです。日々、思っていること、考えていることのなかで、読者が参考になると思われることを書いていきたいと思っています。

建設的な意見を拾わず、どうでもいいことで大騒ぎするのは自己変革する気のない証拠だ。
それは、ただの自己顕示欲か。

心の中が創意工夫に満ちている人は、建設的な意見があれば、それを地道に拾い上げていく。

相手に勝手にレッテルを張り付け、手前勝手な論理で論争しつづけるのは、結局のところ一人芝居をやっているだけだ。
自己変革する気は全然なく、あるのは歪んだ自己顕示欲だけ。

それをいくら綺麗事で押し隠したところで、たいした意味などあるはずもない。
その勇姿を仲間内に見せつけたいだけか。

自己顕示欲に満ちた人が極端な意見をぶつけ合ったところで何も生まれない。

それは、くだらない泥仕合でしかないのに、それをやめられないのは、そういった所にしか活躍の場を見出すことができないからだ。

歪んだ偏見に満ちたお仲間から称賛を受けるために、己の仏性を覆い隠すようなことをするべきではない。

本来、勝ち負けなど、どうでもいいこと。
卑怯な手を使って相手をおとしめるくらいなら、潔く退く方がいいだろう。

正しきものは強くあらなければいけない。
確かにそうだ。

しかし恨みを残すような勝ち方をするべきではないだろう。

本来の目的は仏法真理を守ること。

最初は仏法真理を守るために戦っているつもりが、そのうち自我のプライドを守るために戦うようになる。

無意味なことで論争させ、相手の心の中に取り入っていくのは魔の常套手段だ。

特に相手を陥れるために謀略を巡らすのは、非常に危険な行為である。

論争していく中で、そのたぎる闘争心を鎮めるのは、非常に難しいことだ。