大和民族学校

Amebaでブログを始めよう!

七時間目 野球 WBC日米戦

すみません、一ヶ月近くにも渡って放置してしまいました。


どうも、俺です。


何て言うか、冬眠? みたいな。


すみませんw


まぁ今日からまたチョロチョロ再開的な気分です。どうぞよろしく。



さぁ、今日の授業は単発。今のところ続編は考えていませんのであしからず。


ではその内容はというと、体育にしようかなーと。


こう思っとります。


学校ですからね、当然体育もあるわけです。


では。





野球。



イギリス発祥のクリケットという球技がアメリカで発展し、ベースボールとして産声を上げる。


それが日本に伝来したのが1870年代。


まぁ伝来の時期については議論があるようだが、ここではあまり拘らないことにしよう。


その後、中馬庚(ちゅうまん かなえ)により「野原で行う球技『野球』」と訳され今日に至る。


サッカー(フットボール)は蹴球、テニスは庭球、バスケットボールは籠球と訳されたが、


いずれも元の外国語に回帰している。


その中で唯一、野球だけが今尚日本語で存在するのは、


このスポーツがそれ程日本人に愛されたという証明ではなかろうか。




1934年。


アメリカから遅れること30年、日本プロ野球は誕生する。


以来70年に渡ってプロ野球の歴史は紡がれているわけだ。


だが、その70年の歴史の中で、日本がベースボールの母国アメリカに、


真に勝ったと言える試合は未だかつて、ただの一度もない。


もちろん日本チームがアメリカチームを降すということは何度かあった。


しかし、その勝ちの意味を国同士の真剣勝負として捉えた場合、日本がアメリカを降したことはないのである。


ただの一度も。


その最大の理由というのが、アメリカが本気で日本と試合をするという状況が今日までなかったことだ。


歴史を見れば、「たかだか30年の遅れ」と思いがちだが、その差は実に筆舌に尽くし難いものがあり、


アメリカ側から見ると、本気を出せば日本など眼中にすら入らないというのが実情だった。


また、日本側から見ても、アメリカを打ち破るなどというのは思いもよらないことで、


American baseballは日本野球にとって、まさに超えられない壁として聳え立っていたのである。


日本はこれまで、アメリカに追い付け追い越せを目標にやってきました。


近年、ようやく日本人である野茂、イチロー、松井(秀)、井口等がメジャーでも活躍と言えるプレーを見せたが、


それでもアメリカ人ファンの大多数は、日本をベースボール強国とは見てくれていない。


つまり、一部の突出した選手のみがメジャーで通用する程度であろうというのが大半の意見なわけだ。


(※イチローの場合は活躍等という言葉では物足りないのだが、まぁこれは放置の方向で)




2005年。


アメリカ国内リーグの勝者をワールドチャンピオンと称してきたアメリカが、


ついに国対抗の世界大会「ワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)」の開催を主導、決定した。


経緯については省略するが、ようやく日本は本気のアメリカと対戦するチャンスに回り逢えたのである。


WBCの概要はこう。


各地区で1次リーグ(総当り戦)を行い、上位2ヶ国が2次リーグに出場する。


そして今度は2地区の上位4ヶ国で2次リーグを争い、これまたその上位2ヶ国が準決勝に進出するわけだ。



・・・・・・うむ、自分でも説明下手なのは重々承知している。


と言うか・・・口では(文章だが)説明し難いんだよな。


つまり、


WBC表1

WBC表2


こんな感じ。


ええ、最初から貼ればよかったですね。あはは。




さて、このWBCですが、先日開幕致しました。


日本は格下の韓国に敗れるという屈辱を味わったものの、無事1次リーグを突破。


そして今日、2次リーグでついに本気のアメリカと対戦した。



初回、先頭打者のイチローが超ビックリの先頭打者ホームラン。


2回には9番打者川崎が2点タイムリーヒットで3-0と、アメリカに対してゲームの主導権を握る。


日本の投手は上原。好投を続け、アメリカの強力打線を5回までソロホームランの1失点に抑えた。


しかし今大会では1人の投手の投球数に制限が設けられており、ここで上原は降板を余儀なくされる。


そして彼に代わった清水が直後の6回、ツーランホームランを浴びて3-3に追いつかれてしまった。


流石アメリカである。


その後両国ともにチャンスを作り出すものの、各投手の粘り強い投球によって追加点は封じられた。



8回表。


日本の攻撃時、事件は起こる。


今日の試合を見た生徒ならば何のことを言っているのか、既に察しが付いているだろう。


日本は1死満塁から6番・岩村(東京ヤクルトスワローズ)が左翼へ飛球を打ち上げ、


3塁走者の西岡がタッチアップから本塁を踏み、日本は勝ち越しの得点を挙げたかに見えた。


しかし、米国マルティネス監督の抗議によりデイヴィッドソン球審は西岡の離塁が早かったとして判定をアウトに。


日本に得点は認められなかった。


この判定で問題となったのは、タッチアップの成功を2塁塁審のナイト氏が行ったこと。


だが、試合後のデイヴィッドソン球審は、判定をするのは「本塁球審、すなわち私(デイビッドソン球審)だ」


と試合後の声明で発表し、判定が変わったことについての理由を述べた。


しかし、判定が覆ったことに、日本の選手たちが納得いくわけがなかった。


王監督が判定に抗議している間、日本の選手たちは審判にうながされても守備位置につこうとはしなかった。


これについてイチロー(シアトル・マリナーズ)は「全員が納得いかなかったから」と説明した。


(WBC公式ホームページから引用)




そして同ページより、日米双方の監督のコメントを。



日本代表 王監督


「一番近いところで見ている審判のジャッジを変えるなんて、日本でやってきて見たことがない」



米国代表 マルティネス監督


「(私からは)プレーが良く見えた(のだが、あれは間違いなく違反走塁だ)」


「(4人の審判が全員米国人だったことに対して)アンフェアだとは思わない」



まず、野球を知らない人のために少々説明したいんですが、


知らない人にはかなり複雑なルールであるため、とりあえず


「日本が正当な方法で得点したにもかかわらず、


米国の抗議によって審判が判定を覆し、日本の得点は認められなかった」


ということだけ理解して頂ければいいだろう。


これね、試合展開からもかなり重要な場面だっただけに、これから結構な問題になりそうです。


で、実際試合を見ていた僕から言わせれば、あれはどう贔屓目に見ても、日本の得点が認められて然るべき。と。


試合中も何度もビデオで検証するシーンが流されてました。


明らかに日本の走塁に問題はありません。


マルティネス監督は試合後、上のようなコメントを残したそうですが、ビデオを見た彼は赤面したことでしょう。


そして、王監督の言っていることが全てです。


“一番近くで見ていた審判”がセーフ(問題ない)と言っているのに


離れて見ていた球審がその判定を覆すという事態。


有り得ないだろう。


それも間違った方向に覆したのだ。


他の審判を集めて意見を聞くという行動も見られなかった。


穿った見方をすれば、やはり米国で米国相手に米国人審判団の下行われた試合。


何かが・・・・・・という風にも見えてしまう。


断じてあってはならないことだ。


(不正の有無を言っているのではなく、そう見られるような状況を作り出したことを言っている)


以後この事件は末永く言われ続けるかもしれない。



 し か し 、



結果は結果 である。


日本は負けたのだ。


あと1得点していれば、あと1失点しなければ・・・・・・このような誤審に悩まされることもなかった。


まぁ逆に言えば、試合展開が紙一重だっただけに審判の罪は重いと言えるのだが、


であれば、であるからこそ、日本がもっと強くなるしかないのである。


今更「誤審誤審」と訴えようとも、それは負け犬の遠吠えでしかない。


そもそも1次リーグで格下韓国を相手に負けるようなチームだ。


俺は野球小僧であり、野球ファンであるからこそ言わせてもらうんだが、


もっと技術的にも精神的にも強くなって出直して来い。と。


厳しいですが、勝負の世界とはそういうもんです。




さて、やはり今回も、結果的に日本はアメリカという壁を超えることが出来なかった。


だが、壁にしろ山にしろ、超えられないそれはない。


そして、今大会もまだ終わったわけではないのだ。


2位通過でも良い。


何としても2次リーグを突破し、願わくばアメリカとの再戦に勝利してほしい。



日本にとって、世界タイトルというのは喉から手が出る程欲しいものである。


しかしそれ以上に、


日本プロ野球は日本プロ野球史70年の悲願である、『アメリカに勝利した』というタイトルがほしいのだ。

六時間目 竹島領土問題6

どうも、俺です。


竹島の授業もとりあえずは今日で最後ということになりました。


感無量です。というか疲れた。


さて、今日はこの問題が何故解決しないのか、どうすれば解決するのか・・・


こういったことを考えてこの授業を終わりにしましょう。





7.竹島問題を解決しよう




○竹島を取り巻く現状


もう既に生徒諸君もご存知の通り、現在竹島は大韓民国によって不法占拠されています。


50年もの間です。


実に長い年月を経てしまいました。


日本側は国際司法裁判所にこの問題を付託するよう韓国側へ働きかけていますが、


他には特に行動を起こしていません。


韓国側から「竹島切手発行!」等という情報が届くと、一応の抗議はしているみたいですけどね。


どうやら政治家たちはこの問題をなるべく避けて、政治生命を静かに終えたいと考えているようです。



あいつらマジで役に立ちません。



唯一、島根県が『フォト島根』等を通じて問題の風化を避けようと孤軍奮闘しています。


姉妹提携してる韓国の地方自治体から交流断絶を通告されようと、


同国民である日本人の一部から白い目で見られようと・・・・・・必死に頑張ってます。


全ての国民が応援してくれると、世論を形成してくれると、・・・随分助かるんですけどねぇ。


まぁ島根は全国的に見てもトップクラスの保守派県ですから、浮いてる感は否めないのが現状です。




○国際司法裁判所


さて、文中で疑問を持たれた人もいるかもしれません。


国際司法裁判所に付託って?って。


そこで領土問題とかの裁判出来んの?って。


じゃあ別に訴えちゃえばよくね?って。


まぁそういう風に考えちゃうのも無理ないことです。


実は、国際司法裁判所っていうのは、当事者である国の出廷がない限り開廷されないんだな。


つまり、



A国「二国間で話し合ってちゃもー、ラチがあかない!」


B国「じゃあ裁判所で第三者に審議してもらおうじゃねーか!」


A国「おおよ、望むところだ!」



っていうね、こういう状況にならないとダメなわけ。


だから日本は韓国に対して、


「竹島問題は国際司法裁判所で解決しよう」


って言ってるんです。


けど、あの国はこれに応じないわけですよ。


韓国が逃げ回って出廷しないもんだから、裁判所での解決が出来ないでいるってわけなんです。




裁判すると負けちゃいますからね。韓国は。




し・か・も。



韓国内では日本が裁判所に出て来ない、という風に言う人間までいるそうだ。


呆れてしまいますが。




○解決法(案)


日本政府は未だに国際司法裁判所への付託を韓国側に求めています。


はっきり言います。



無駄。



彼らは負けると解っているんだから、裁判に出てくるわけがないんですよ。


それなのにいつまでもいつまでも・・・・・・


「ねぇ、付託しようよ・・・ねぇってば。お願い。ね? いいでしょ?」


なーんて、愛人が私本妻になりたいの的に耳元で囁いててもしょうがない。


「うーん? 考えとくよ」


なんて返されるのがオチですわ。


本気で解決しようとするのであれば、他の案を考える必要があります。



例えば第三国の介入。


歴史的、立場的に考えると、この役目が出来るのはアメリカしかいない。


日韓双方の監督的立場の国だし、何しろ戦後日本の領土を決定した国ですから。


日本から見れば、この問題に対するアメリカの責任は重いのです。


でもね、今まで解決出来なかった理由の1つが、アメリカの不介入だったわけで・・・・・・


正直、今になって介入してくれるとは思えない。




次に、国連で議題に取り上げること。


これもかなり厳しいです。


だって、今日本は常任理事国入りを狙って動いてる真っ最中ですからね。


常任理事国入りしてしまえば直ぐにでも議題に出来るんでしょうが。


まぁ、とりあえず現状では議題として取り扱ってすらもらえないだろう。




他には、武力。


・・・・・・はい。これはダメですね。



何気に八方塞です。


でも諦める訳にはいきませんので、ここで急遽思いついた案を1つ。




自衛隊を漁船に乗船させ、漁師に扮させます。


そして暫定水域、それも竹島の12海里以内にまで入って漁をさせる。


後は韓国海上警察の動き次第なんですけど・・・・・・・・・



俺、外道ですか?



俺の考えでは自衛隊員に負傷者が出ることが望ましいのですが。


そして、間髪置かず総理大臣が強い憤りを表明し、韓国側に謝罪と賠償を請求。


竹島領土問題を世界中に知れ渡らせ、


これと同時に、過去に韓国政府が行った非人道的行為の非難声明を発表。


どうですか。揺さぶりかけるには中々の案だと思いますが。



最悪の場合、自衛隊員に死者が出る可能性すらあるのが問題ですけど。


本来軍人は国の為に命を捧げて当然なんだが・・・まぁこの案は無理でしょうね。


所謂『左』の方々が黙っちゃいないでしょう。


俺だって出来るだけ穏便に、犠牲者が出ないように竹島を取り戻したいですし。




となると、やはりどうにかしてアメリカを介入させるしかない。


何か見返りを考えるとか・・・・・・それこそ外交上の駆け引きを要するわけで・・・。


利権にしか興味のない政治家や、受験勉強しか出来ない外務官僚には無理だろうなぁ。


何にせよ、この問題に本気で取り組む政治家がいない限りは解決しませんね。


民間レベルではどうしようもないことなのですから。




なんか滅茶苦茶悲観的な終わり方だな・・・・・・こんなんでいいのか?w


ただ、ネット上であれ、この竹島領土問題を話題にしたり、議論することには十分意義があると考えます。


どんなに小さなことからでも世論というのは形成できると思ってますから。


世論が高まれば高まるほど、政府も官僚も黙っていられなくなりますし、


それ程の高まりを見せず、ネット上だけのものであっても、


日本のことを憂う真の政治家が注目し、奮起してくれるかもしれません。




さて、以上で竹島領土問題に関する授業はとりあえず終了ということにしますが、


何か動きがあったり、俺自身が何かを考え付いた時にはまた話題に出したいと思います。


ところで、何ともタイミングのいいことにですね、



「ブログの表紙を『フォトしまね』で飾ろう」



というキャンペーンを発見致しました。


早速参加してみたのですが、既に多くのブログ主の方々が参加なさっているようです。



正直嬉しい。



提案者の小林さん、参加中の皆さん、あんたら男前だぜ(女の人は超絶美人って感じで)!


そしてトップに竹島の写真置いてもいいよーって方!


参加してみてはどーでしょうか。俺超推奨してます。詳しくは こちら まで。




2月22日は竹島の日。


竹島が一日も早く日本に還ってくることを願っています。


五時間目 竹島領土問題5

どうも、俺です。


さて、今日で五時間目ですね。


今までの授業で、竹島は間違いないなく日本領だということを理解して頂けたと思います。


では、何故現在は韓国によって不法占拠されているのでしょうか。


その経緯と、その時に起こった事件について、今日は勉強しましょう。





6.李承晩ライン




※李承晩(イ・スンマン)


大韓民国初代大統領(在任1948~1960)。


朝鮮が日本に統治、併合されている間は国外にいたが、大戦終結後に帰国。


1948年に韓国の初代大統領となる。


同族国家である北朝鮮を武力で統一しようとし、朝鮮戦争を招いた当事者の一人。


反日を政策化し、現在の韓国における反日の根源となる人物である。


具体的には竹島の不法占拠、日本文化の禁止、親日家の処分等。




○海洋主権宣言


1952年1月18日、李承晩は韓国近海の海洋資源保護の為、当該海域での韓国籍船以外の漁業を禁じた。


・・・・・・これだけ見ると特に大した話ではありません。


現在では生徒諸君もご存知、排他的経済水域なるものがありますからね。


(この概念は当時ようやく言われ始めたもので、まだ一般化はしていない)


しかし、この宣言の海洋資源云々~というのはあくまでも建前です。


では本音はどの部分にあったのか、それは・・・、



この宣言に基づき、韓国は公海上に勝手に線を引く。


つまり、「この線からこっち側は韓国の海ですよー。他国は漁業禁止ですー」って。


この線を李承晩ラインと呼ぶ。



そして、竹島をこの線の内側(韓国側)に置いた



これこそが韓国、李承晩の狙いだったのである。


ちなみに、この線の基となったのが、あのマッカーサー・ラインでした。


先頃、GHQの統治を無責任と言ったのは、こういうとこからもきてるわけです。



前回の授業でやった通り、竹島はサンフランシスコ講和条約により、日本領と確定する。


韓国側の訴えが却下された格好でね。(対馬まで要求していたというから呆れてしまう)


彼、李承晩は何が何でも竹島を手中にすべく、この線を引いたわけ。


これがサンフランシスコ講和条約発効のわずか3ヶ月前の出来事。


腹が立つでしょ。


当然、国際法的にも何ら正当性はありませんよ、これ。



日本側はこの李承晩ラインに猛(?)抗議しますが、韓国側は断固シカトです。


まぁ、まだ国交すらないですからね、韓国やりたい放題ですわ。


じゃあこっちだって好きにさせてもらうよってことで、


日本側は漁民に対しこの線を無視するように勧告します。


しかしこれがいけなかった。


韓国を近代国家であると勘違いしてしまったんですね、日本政府は。


韓国側は線を越えてきた日本国籍の船を容赦なく拿捕し、銃撃まで加え始めたのです。


公海上でですよ。


軍艦でもない普通の漁船に対してですよ。


魚や蟹を獲りに海へ出たら銃撃されるわけです。


そして韓国側は日本船を拿捕した後、船員を国内(韓国内)へ連行し、刑事罰まで加えた


連行じゃない、拉致ですね。拉致。


そして何の罪もない人間に刑事罰ておい。




○第一大邦丸事件


そしてそんな中痛ましい事件が起きます。


1952年1月22日。


福岡を出航した漁船・第一、第二大邦丸の二船は、2月4日に公海上で漁を開始。


そして同日午前7時頃、二隻の韓国漁船が近寄ってくると、付近で停船した。


そのうち第一大邦丸は網を揚げる作業を開始。


するとだ。


二隻の韓国船が第一大邦丸に対し突如銃撃を加え始めた。


そう、この二隻の船、実は漁船に偽装した韓国海軍の船だったのである。


第一、第二大邦丸の二船は驚き、逃走を試みるも、失敗。まずは第二大邦丸が拿捕される。


第一大邦丸はしばらく逃走を続けたが、銃撃はあまりにも熾烈かつ執拗であった。


そしてこの銃撃により漁労長が後頭部に被弾重症となった為、第一大邦丸もついに逃走を断念した。


第一、第二大邦丸の二船は、韓国船に従って韓国の済州島へ入港した。


船内の漁具、漁獲物、日本人船員の私物等の内めぼしいものは没収される。


日本人船員らは直ちに漁労長の手当てを依頼し、病院に入れたのだが、


そこは設備どころか病室すらなく、医師は見ただけで「無理」と判断、治療を拒否した。


船員らは警察に対し、軍病院に入れてくれるよう依頼するも拒否され、


憲兵隊のもとへ赴き再度依頼するが、これも拒否された。


そして、そうこうするうちに漁労長は死亡してしまうのである。


警察へ行っても憲兵隊へ行っても病院へ行っても、「我々に責任はない」との回答があるだけだったという。


船員らは解剖後の漁労長を火葬してくれるように再び警察へ赴いたが、これも拒否され、


結局わずかに残った私物を売り払い、自分たちの手で火葬した。



2月9日。


約4畳の部屋に船員18人が監禁される。


食料は支給されず、船内に残ったもので食い繋いだ。


明らかにジュネーブ条約違反だろ


(※ジュネーブ条約:戦時捕虜に対する扱いを定めた条約)


取調べでは日本人船員らと韓国側で、拿捕された位置が食い違った。


船員は韓国側の矛盾を指摘したが、両者の中間点で拿捕したということで捺印させられる。


(この状況で韓国側が譲歩する意味はないので、やはり日本人船員の指摘が正しかったのだろう)



2月12日。


船員らは別の場所へ移送されることになるが、この時点では誰も漁労長の遺骨を持って来ていなかった。


その為、遺骨を取りに行こうとしたのだが、警察署長がこれを拒否。


しかし、船員らの度重なる抗議の末、なんとか1人だけ別行動が許された。


同日、済州警察の留置所に入れられたが、ここも約4畳程で、更に無関係の韓国人と一緒に入れられた。


(※食事はあった模様)


後、韓国警察はハングルで領海侵犯したという旨の書面を作成し、船員らに捺印させる。


そしてこれを日本側に通知した。



しかしこの嘘の書面があまりにも適当に作成されたものであった為、


逆に公海上で起こった事件であることが判明。


事態の深刻さを把握した、米国の朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が李承晩に働き掛け、


その結果、李承晩は遺憾の意を表明し、第一、第二大邦丸の二船の釈放に応じた。


(日本には度重なる謝罪と賠償を請求する彼らも、自分たちは決して謝らない)



2月15日。


日本人船員らは済州警察所長から口止めとも取れるような発言を受けた後、帰国の途に着く。


そして2月22日、ようやく福岡に帰ることが出来たのである。




どうですか。


こういう事件が実際にあったわけですよ。


更に驚くべき数字。



不当に拿捕された船舶数328隻



不当に抑留された者3929人



不当な銃撃等による死傷者44名


韓国ではこの李承晩ラインを平和線と呼びます。




今まで平和に漁をしていた日本人漁民を不当に抑留し、殺すことさえあるこの線が、


彼らにとっては平和線なのです。



昨今発行された『フォトしまね 竹島特集号 』には、


3年もの間、韓国で拘留された方の回顧録が収録されています。


3年間ですよ、3年間。



稀に、


「日韓友好の為に、竹島みたいな小さな島は韓国にあげてしまえばいい」


「日韓友好の為に、竹島をハンブンコして、友好の証の島としよう」


等と言う人間が日本にはいます。


あなたの平和と友好を俺は疑う。



この問題を解決する為、日本がどれだけ辛酸を嘗めたか。


韓国政府はこの日本人抑留者を日本へ返還する見返りとして、


在日韓国・朝鮮人の犯罪者達を解放するように要求してきたんですよ。


日本政府はこれに屈し、重犯罪者を含む472人を赦免、特別在留許可を与えています。




まるでテロリストではないか。




当時の日本には、まだ海上自衛隊が組織されておらず、


韓国側はこれを利用してのやりたい放題だったのである。


卑劣極まりない。


そして、この後竹島は韓国に不法占拠されてしまいました。




でもまぁ、過去のことはいいじゃないか。韓国だって今はもうそんな国じゃないよ。


って言う人。


あなた大甘です。


スピードワゴンもビックリです。


別に過去だけの話じゃない。現在進行形の問題だってあるんですよ。




○竹島周辺海域の漁業状況


1965年、日韓基本条約及び、日韓漁業協定が結ばれたが、竹島問題は棚上げされ、


日本漁船は協定締結後も同島周辺には近寄ることすら出来なかった。


1999年には新日韓漁業協定が締結され、竹島周辺海域は両国が共同管理する暫定水域に含まれた。


しかし、その後も韓国が海洋警察を常駐させている為、竹島の12海里以内には近づけない。


竹島は本来日本領である為、この状況が既におかしいのだが、問題はまだある。



竹島周辺以外の暫定水域内でも、韓国側のズワイガニ漁の漁具が張り巡らされており、


日本側が入り込むのは容易ではないのだ。


それに、日本側と韓国側とでは、漁業規制にも大きな違いがある。


資源保護に熱心な日本と違い、韓国はこれまで殆ど規制なしの状態。


漁具の数や、網の目の大きさ、休漁期間の長さなど、数々の違いがある。


この両者が同一の海域で漁をするのだ。


日本漁民の苦痛は言わずとも知れよう。


暫定水域


地図を見れば解って頂けるように、これは島根県民だけの問題ではない。

漁をする日本海側の各県、また、それを消費する日本国民全ての問題なのである。



島根県の2005シーズンの暫定水域内水揚げ量は、何と条約締結前の約4分の1


更に、韓国側は近年になって日本の排他的経済水域を侵すようになっている。


自分たちが無規制に漁をしてきたツケで、暫定水域内の資源が減少すると、


それを少しも反省せず、日本側の経済水域を侵すのだ。


99年に2件だった違法漁具設置の押収が、04年には31件にまで増加。


いまだに韓国側はやりたい放題なのである。




どうですか、解って頂けたと思います。


今日は内容が内容なだけに、異様なテンションで書き続けましたが、


戦後の日本っていうのはホントに不甲斐無いですよねー。


政治家の方々にはもっとシッカリしてほしいものだ。


(既に、韓国人が真っ当になることは諦めている)



では今日の授業終了。


せんせーさよおなら。みなさんさよおなら。


・・・・・・なんか屁の出そうなあいさつだ。

四時間目 竹島領土問題4

え、タカシお前彼女いんの?


生徒の分際で?


え、マジ? 嘘っしょ?


え、ヨウコ? ヨウコと付き合ってんの?


え、マジ? 嘘っしょ?


え、タカシお前マジヨウコと付き合ってんの?


生徒の分際で?


・・・・・・・・・・・・お前今度の成績表覚悟しあっ、



・・・どうも、俺です。


前回の授業で言ったように、今日で「韓国の主張」終了です。


ま、竹島問題の授業はまだ続くんですが、とりあえずキリのいいトコまできましたね。


今日の授業は第二次世界大戦後、韓国が竹島の領有を主張し始める頃のお話。


正直GHQの無責任統治がなければ、竹島における領土問題なんてものは発生しなかったと言えるんですが、


まぁこの辺のクダリも授業を進めるうちに理解して頂けると思います。





5.韓国の主張




○カイロ宣言


カイロ宣言には、


「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」


と記されている。


竹島は日本が大韓帝国侵略の過程で強制的に略取したものであり、


この文中の地域に含まれる為、日本は竹島を放棄せねばならない。


このことからも解るように、やはり竹島は韓国領である。




はぁ? 日本は竹島に軍を進めたことがないのに、どうして「暴力で略取した」になるんだ?


最も平和的かつ合法的に自国領としたわけだが。


そもそも韓国(歴代政権)は竹島を領有した事実がないだろ。


なのに韓国から暴力で奪った・・・って何じゃそのたわ言は。


島根県への編入の際にも抗議なんて皆無だったじゃねーか。


そんなこと言ってる前に、まずは日本より早く竹島を支配していた証拠を出せ。


そして日本がそれを強奪したという証拠を出せ。


それがなきゃこの暴力云々の文は全く意味を成さないな。




○GHQの日本統治下における竹島


『連合国軍最高司令官総司令部覚書』677号(以下SCAPIN677)で、


竹島は日本領から除外されている。


また、『連合国軍最高司令官総司令部覚書』1033号(以下SCAPIN1033)でも、


竹島は日本領から除外されている。


このことからも解るように、やはり竹島は韓国領である。




はぁ? ちょっと待ってみようか。


まずは2つの指令書の確認作業から始めよう。



※SCAPIN677


この指令の目的は、日本人による日本国内外での権力の行使を停止させることである。


つまり、日本人による日本統治を停止するということ。



指令書内には日本の定義(領土域)と、日本ではない地域が記されている。


この日本ではない地域に区分されているのが満州、朝鮮、台湾等であり、


それぞれ後に返還・独立することとなる。



では、竹島はと言うと、上記の何れでもない、


「この指令の目的では日本の定義に含まない地域」


という、ややこしい項に区分されている。


この中には沖縄諸島や小笠原諸島、現在は韓国領である鬱陵島や済州島等も含まれているのだが、


「日本ではあるが日本としては扱わず、GHQで預かる地域」


という風に解釈すればいいだろうか。



まぁ解釈はどうであれ、


韓国側の主張通り、竹島がこの指令で日本領から除外されているのであれば、


満州や朝鮮と同じ項に区分されるはずであり、この主張は誤りということになる。



※SCAPIN1033


こちらの指令の目的は、日本人の漁業・捕鯨業の操業区域を指定することだ。


俗に『マッカーサー・ライン』と呼ばれる。(こっちの方が有名だね)


マッカーサー・ライン


そして、この操業認可区域の中に竹島は含まれていない。


ただ、沖縄諸島や小笠原諸島もこの中に含まれていないことに注意しなければならない。



さて、ここまでSCAPIN677,1033の説明をしてきたわけですが、まだ重要なことを書いていません。


それは、この2つの指令書には共に注意書きがあることなんですわ。


ではその注意書きには何が書いてあるかというと・・・・・・、



「・・・(前略)最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」(SCAPIN677)


「・・・(前略)最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」(SCAPIN1033)



          終 了 。



韓国終了です。


簡単に言うと、


「この2つの指令書にある日本の領土域や漁業認可区域は(仮)ですよー。


 正式な決定ではありませんよー」


という風に明記してあるわけだ。


つまり、例えSCAPIN677の「日本ではない地域」に竹島が区分されていたとしても、


それをもって即日本領ではないという理論にはならないっつーこと。


この注意書き1つで韓国の主張は全く無意味であることが明らかです。


まぁ具体的な例を挙げるとすればー、


(当指令書内では)竹島とほぼ同じ扱いだった沖縄。


指令書内には書かれていない米国による信託統治、


指令書内には書かれていない日本への返還を経験しています。



はい、もう一度簡単に書いておきましょう。


SCAPIN677及び、SCAPIN1033は日本の領土域を変更、放棄するものではない


↑テストに出すかもよ。



ああ、あまりにも韓国が可愛そうだ。ダメすぎて。


よし、今度は韓国側の立場に立ってみようか。


じゃあ韓国側はどうすれば竹島を自国領と証明出来るか。


それは、日本の領土域が画定されるサンフランシスコ講和条約に、


「日本は竹島を放棄する」とか、「韓国の竹島における主権を認める」


といった文章があればいいわけですよ。


よーし、期待しちゃうぞー!(実際にあっては困るがw)




○サンフランシスコ講和条約


英文ではTreaty of Peace with Japan 、つまり日本との平和条約である。


そして、前文には


「今なお未決である問題を解決する平和条約を締緒することを希望する」


とある。


先にも述べたが、一連のSCAPINに「最終決定ではない」との記述があるので、


領土問題も当然未決である問題であり、当条約で解決する事案ということになる。



さて、ではその領土問題。


第二条では


「日本国は、朝鮮の独立を承認して、


 済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」


・・・・・・あれ?



     竹 島 出 て こ な い じ ゃ ん 。



この一文には、読んで解る通り、日本が放棄する地域が記されている。


つまり、放棄する地域に記されてない以上、竹島は放棄していないわけだ。


(※注:ちなみに、他にも書いてない島が韓国領になってる等の反論はあるが、


 それは半島に近く特記する必要性がない、又は、


 この時点では日本領と認められたものの、韓国の支配に対して日本が抗議しなかった


 等の理由が考えられる。どちらにしても竹島が日本領であることに変わりはない)



そして、第三条では


「沖縄(南西)諸島や小笠原諸島を合衆国の信託統治にする」


と記されているが、ここにも竹島は出てこない。


よって、竹島は第一条の日本の主権回復と同時に、日本領に復帰しているのである。



やっぱり韓国の思い通りには運んでいませんw


しかも、更に韓国側にはお寒いお知らせの数々があります。




○シーボルドからバターワークスへの電報(1949/11/14)


簡易説明:この電報はサンフランシスコ講和条約の草案に対するコメントである


       シーボルドは駐日政治顧間代理。バターワークスは国務長官。


(前略)


第六条 リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。


    この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われる。


(後略)



うーん、どうやらこの時点では竹島も朝鮮領になる予定だったようです。


それにしても・・・シーボルド・・・いい仕事します。




○北東アジア課ロバート・A・フィアリー覚書


簡易説明:この覚書はサンフランシスコ講和条約の原則の表明に対し、


       オーストラリア政府が提出した質間に対する回答である。(日時不明)


(前略)


瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島群島、琉球諸島最北部及び伊豆諸島、


いずれも古くから日本のものと認められていたものであるが、


これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている。


(後略)



うむ。仰る通り。


さぁー、ガンガンいきますよー。


あ、こっから何気に超重要です。しっかり把握してくださいね。




○北東アジア課朝鮮担当官エモンズ会談覚書(1951/7/19)


これは、会談覚書とあるように、会談の内容が記されているもの。


そして、誰と誰が会ったのかというと・・・


韓国大使ユーチャン・ヤン と ジョージフォレスター・ダレス大使。


この韓国大使がダレス大使を訪ね、ある種の陳情をしたのである。


その内容が、



サンフランシスコ講和条約に竹島の放棄も組み込んで欲しいというものだった。



やってくれます。韓国。


こういう手の回し方は日本より上手ですね。当時から。


我々から見れば、余計なことすんなタコって感じなんですが。



さて、ではアメリカ側の回答を恐る恐る見てみようじゃないか。



ダレス曰く「それが日本の朝鮮併合前に朝鮮のものであったならば特に問題はない」



ガビーン。


最悪です。


ダレスやっちゃってくれてますダレス。


あわわ・・・・・・


あ、今一番前の席の君、「ヤバイじゃん」って思ったね? んね?


でも大丈夫。


正式な回答はこちら。




○国務次官補ラスクから韓国大使への書簡(1951/8/10)


(前略)


韓国政府の要望に関しては、合衆国政府は、


遺憾ながら当該提案にかかる修正に賛同することができません


(中略)


獨島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、


この通常無人島である岩島は、


我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、


1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。


この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。


(後略)



          ワロス。



完璧。


見ての通り、当時のアメリカも竹島は日本領であると言ってます。


そして重要なのが、「修正しない」と言ったこと。


稀に、


「サンフランシスコ講和条約の放棄地に、竹島をわざわざ盛り込む必要はなかったので記述がないのだ。


 アメリカも韓国のものだということは認めていた」


とか平気でぬかす韓国人がいますが、この一連の経緯を見ればそれが明らかに誤りだと解る。


現在から見れば、韓国大使は最高の仕事をしてくれたことになりますね。


(日本側から見てw)




おっと、今言うのが最善のタイミングだな。よし、


どう見ても日本領です。本当にありがとうございました。


というわけで、四時間目終了です。


ではまた次回。

三時間目 竹島領土問題3

寒いとあそこ萎んじゃうよなっ? だよなwww


でさ、でさ、え? あっ・・・



どうも、俺です。


実はですね、一回一回の授業が大変な労力を伴いまして・・・定期的にというのは厳しい状況です。


不定期で授業を受けて頂くのは本当に申し訳ないんですが、なにとぞご容赦を。



さて、三時間目になります今日は、前回の「韓国の主張」の続きです。


「韓国の主張」と題していながら、その都度俺がツッコミ入れてるのは勘弁して下さい。


ついついやっちゃうんでw



ってか、すぐ反論しといた方が後でまとめて反論するより見やすいだろうし、よくね?


うん。


では三時間目を始めます。





5.韓国の主張




○太政官指令書


1877年、太政官指令書によって日本は竹島を日本領土から外すと認めている。


この事からも解るように、やはり竹島は韓国領である。




はぁ? まずその内容を見てみようじゃないか。


これは1877年3月20日付けの内務省の通達で、「竹島外一島は朝鮮領である」という記述のある書類。


ただし、この文中の竹島というのは例によって鬱陵島のことなので注意。


韓国側は「竹島外一島」の「外一島」を現在の竹島であると主張しているわけだ。



証拠あんのか?プ



ないよな。そもそもこの外一島ってのは日本側でもどの島を指すのかが解らないんだよ。


この件を理解するには、ある問題を把握した上でもう一度検証しなければならない。




※アルゴノート島とダージュレー島


今までは日本と朝鮮の地図だけをここに載せて授業を続けてきた。


今回は西洋の地図を紹介し、またそれによって発生した当時の日本の混乱を伝えたい。



1787年、フランス軍艦学校のLepaute Dagelet教授が日本海で島を発見し、ダージュレー島と名付けた。


1789年、イギリスの探検家、James Colnettが日本海の別の位置で島を発見し、アルゴノート島と名付けた。



そして出来上がった地図がこれである。


1815年、トムソンの『朝鮮と日本』(一部)


朝鮮と日本略図


結論から先に言うと、実はこの緯度も経度も違う島が、実際には全く同一の島であり、


この島こそ現在の鬱陵島なのである。


海洋学の知識に乏しい俺にはよく解らないが、何故か全く同じ島(鬱陵島)が別の位置で発見され、


それが西洋の地図に反映されてしまったのだ。


ダージュレー島は確実に鬱陵島を指しているのだが、アルゴノート島の位置には島は存在しない。


つまり、発見者であるコルネットが何らかの事実誤認をしてしまったようだ。



1840年。この問題を更に複雑化させる人物が現れた。



シーボルトである。



彼は日本地図を作成するにあたって、日本の地図、西洋の地図、両方を見比べた。


そして、日本の地図から隠岐島と半島との間に現鬱陵島と現竹島があることを知り、


西洋の地図から隠岐島と半島との間にダージュレー島とアルゴノート島があることを知る。


彼は半島寄りであったアルゴノート島を鬱陵島、隠岐島寄りであったダージュレー島を竹島とした。


つまり、実際には存在しない島を鬱陵島とし、


当時西洋人には発見されていなかった現竹島をダージュレー島としてしまったのだ。


(現竹島が西洋人に発見されるのは1849年で、その船の名からリアンクール島と名付けられる)


そしてこれが、今まで諸島の位置関係を正しく把握していた日本を混乱させることとなる。



かの有名な勝海舟が作成した『大日本沿海略図(1867年)』。


これには本来存在しない島が竹島(鬱陵島)、鬱陵島が松島(現竹島)と記載され、


現竹島が存在する位置にはリアンクール島と記載されている。



このように、日本首脳は西洋からもたらされた地図によって、日本海を誤って認識してしまったのだ。


鬱陵島を松島(現竹島)としてしまうなど、まさに混乱の極みである。



さぁ、長々と説明してしてきたわけだが、ようやく本筋に戻れるね。


韓国側は、


「[外一島]は現竹島であり、これにより当時の日本政府は竹島を韓国領と認めていた」


と主張する。


しかし、1877年当時の日本政府は該当海域を正しく認識しておらず、この主張は的外れと言える。


では実際にはどうなのかと言うと、


「竹島外一島」の竹島は存在しないアルゴノート島、


外一島はダージュレー島(鬱陵島)を指していたと考えるのが自然だろう。



ちなみに、遡る事7年前、1870年にも


「竹島・松島、朝鮮付属に相成(あいな)り候(そうろう)始末」という文書が出されているが、


これも上記と同様の理由により、


竹島=アルゴノート島、松島=ダージュレー島を指すものであると考えられる。


韓国側が日本の現竹島放棄を主張するのなら、


リアンクール島が朝鮮領であるという旨の記述を証拠としなければならない。


(実際に、当時竹島はリャンコ島(リアンクール島の訛りw)と呼ばれていた)





○『大韓帝国勅令』


1900年、大韓帝国政府は『大韓帝国勅令』を発布し、竹島の領有を宣言している。


これは日本の竹島編入よりも5年早いもので、この事からも解るように、やはり竹島は韓国領である。




はぁ? 勅令41号にある、


「鬱陵全島と竹島、石島を管轄」


という文中の、石島が現竹島であるとして、上のように主張してんだよな?


(※注:文中の竹島とは、二時間目にもちょっと出てきた鬱陵島の属島チュクドのこと)


だぁかぁらぁ~、証拠あんのか?


石島が現在の竹島を指すっていう証拠だよ。


てか緯度も経度も記されてないしさ、大韓帝国ってホントに近代国家か?


そもそも他の文献には、石島なんて記述そのものが一切ないだろ。


それを「獨島と石島は発音が似てるから」とか・・・・・・何でもありかお前らw


じゃあまず、朝鮮で竹島はいつ頃から石島と呼ばれてたんですか?


発音が似てたって、石島と呼ばれてたことを立証しない限りは全く意味を成さないだろ。


俺の知る限り、竹島が石島などと呼ばれていたことは過去一度たりともない。


立証・・・・・・無理だよな?w



ま、逆に当時の韓政府が現在の竹島を自国領と認識してなかった証拠ならいくらでもあるけど。


『大韓地誌』だって鬱陵島の属島はチュクドまでって書いてるし。


1899年9月23日付の『皇城新聞』には・・・・・・


「鬱陵島の属島のうちで最も顕著な島は于山島とチュクド」


・・・・・・竹島出てこないし。


(韓国側は竹島を鬱陵島の属島だと主張している為、


 竹島が鬱陵島の属島であるとする文献が ない ことで、この主張を崩せる)



どうせこの石島ってのは現在の観音島(チュクド同様、鬱陵島の属島)のことなんだろ。諦めろ。





○日本の竹島編入(1905)不法論


日本による竹島編入は、大韓帝国侵略過程の第一歩であり、強制性があるため不法である。


日本による竹島編入は、一地方政府が秘密裡に行ったものであり、無効である。




はぁ? 強制? 何言ってんの?


竹島を島根県に編入した1905年2月当時、


大韓帝国はまだ日本の保護国ではなく、外交権を有していましたが何か?


(ちなみに大韓帝国が外交権を喪失したのは同年11月)


そもそも、これ自体、竹島を大韓帝国から奪う意図で行ったものではないんですけど。


だって元々日本領だし。


「1905年になってから日本領だと宣言するのは、今まで朝鮮領だと思ってたからだ」


とか言う人もいますが、「お宅も1900年になって鬱陵島領有を宣言してんじゃん」の一言でOKです。


それに外務省サイトにも、



「日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、


 それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、


 ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではなく・・・・・・」



とあるように、


以前から領有していたものを、正式に島根県に属させるという趣旨のものです。


そして、竹島編入に際しては、


・それ以前に他国による実効支配があった形跡がないこと(無主先占


・竹島に、隠岐島で漁業会社を営む中井養三郎の小屋が建てられていること(占領の事実


の確認を再度行い、合法的な手続きを経ているわけだ。


文句の言われようがない。


(それでも文句を言うのが困った隣国)



更に、竹島とは閣議で命名された島名であり、島根県が単独で竹島を同県に編入したわけではない。


一地方政府が~というのは妥当ではないのだ。


ってか、言いがかりでしかない。意味が解らない。馬鹿。


そして、秘密裡と言うが、当時新聞でも報道されており、全然オープンです。股ガン開きです。


(あれ? 強調するトコ間違えた?)


しかも、国際法上、これを他国に伝える義務は全くないんだなこれが。


(この辺りは一時間目の外務省コピペにも記されてたね)




さて、ついに1900年代に突入しました。


次回は韓国の主張の項がいよいよ終了する予定です。


では今日はこれまで。


きりーつ。きょーつけー。れー。

二時間目 竹島領土問題2

前回の授業で解ったでしょ?


韓国は(北朝鮮はあまり積極的に関与してこないのでシカト)反論の余地ないじゃんと。


ないっすよ。


それでも韓国は屁理屈こねくり回して領有権を主張してるわけですわ。


獨島(竹島の韓国名)はウリの領土だ! って。


いやー、痛い国です。


でも領土の広さはそのまま国力に直結しますからね、何が何でも欲しいんでしょう。


しかも彼の国は日本を異常に敵視してますから。


譲る気は(というか、返還する気は)更々ないわけだー。



では、前回授業の続きである今回は、韓国側の主張を見てみることにしましょう。



敵を知り、己を知れば百戦危うからず です。



あ、そうだ。その前にまずは前回貼るのを忘れてたこの地図を。


竹島


どうですか。


竹島の位置関係が理解できたと思います。


あ、そんでね、これから竹島の授業を続けていくにあたり、


上の地図にもある鬱陵島という島が大変重要になります。


テストに出ます。覚えといてね。


では二時間目、開始。





5.韓国の主張




○于山国と于山島


1145年に成立した『三国史記』によると、512年6月、于山国が服属してきたとある。


後の文献(1454年成立の『世宗実録』)によると、


于山国とは日本海にある島国で、于山島と武陵島(現在の鬱陵島)を領土とした。


この于山島が現在の竹島であり、この事実から解るように512年には竹島は既に朝鮮領であった。




はぁ? 于山国って名乗るからには于山島(竹島)が主島なわけだよな?


でも竹島には人が住めるような環境ないんですけどw


人の住めない島の名を国名にするなんてありえねーだろwww


はい、しかも1417年に成立した『太宗実録』によりますと、


「その島(于山島)には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる


ってな記述あっちゃいましたこれ。


更に更に、1452年成立の『高麗史地理志』には、


「朝鮮半島の東の海にある鬱陵島は新羅時代には于山国と呼ばれていた」


という記述が・・・・・・。


つまり于山島=鬱陵島と考えるのが妥当ですなー。ワロス。


この于山国に竹島が属していたなんて記述は一切ありません。





○鬱陵島帰属問題


1481年に成立した『東国輿地勝覧』によると、


「弊邦江原道蔚珍縣に属島有り、鬱陵と曰う。


本縣の東の海中に在り(中略)、本島峰巒(みねみね)の樹木、陸地より歴々と望見す」


とあり、「歴々と見える」とは鬱陵島から竹島が見えるということである。


このように、やはり歴史的にも竹島は韓国領である。




はぁ? 何で見えてる島は韓国領っていう風になるのか理解に苦しむんだが、


まぁそれは置いておこう。


しかしあなた、それ、やっちゃってますよ。



1693年、時の江戸幕府は鬱陵島も日本領と考え、


日本人に対しても漁のために同島への渡海を許可することがあった。


(当時、鬱陵島は朝鮮の無人島政策が布かれており、無人だった為に、


日本は同島を朝鮮領とは考えていなかった)


そして同年4月17日、日本人漁師が鬱陵島で朝鮮人を発見し、捕縛、


(どうやら、この朝鮮人も漁師だが、朝鮮の鎖国政策に違反して渡海していた模様)


領海侵犯であるとして日本本土へ連行する事件が発生。


ここで、日本と朝鮮の間に鬱陵島がどちらの領土なのかという紛争が勃発する。


この時、李氏朝鮮は江戸幕府に対し、鬱陵島を自国の領土と主張するために、


上記『東国輿地勝覧』の全く同じ文を引用し、こう述べてます。


「歴々と見える」とは陸地(半島)から鬱陵島が見えるということであり、鬱陵島は我が国の領土である。


ね? やっちゃってますよw


てかホント何やってんの韓国人!?ww


何で昔は鬱陵島を指してた文章が、現在では竹島を指す文章になってんだよwww



          捏 造 解 釈 乙 。



ちなみに1693年の事件以後、江戸幕府は鬱陵島を放棄、朝鮮領であると認めています。


(鬱陵島に関しては、朝鮮側の領有が早かった事実を確認した為)


誰かさん達と違って潔いです。


しかし、この鬱陵島放棄がまた新たな言いがかりを生む。





○竹島放棄説


1696年、江戸幕府は鬱陵島を放棄し、鳥取藩は


「向後、竹島渡海制禁仰出之旨、御紙にて領承其意候」


(※注:この文中にある竹島とは鬱陵島の日本名を指し、現在の竹島は当時『松島と呼ばれていた)


という請書を提出して幕命に従った。


当然、鬱陵島の付属島である竹島も放棄したもので、やはり竹島は韓国領である。




はぁ? 何だその希望的観測。


てか俺はその付属島っていう概念は詳しく知らんわけだが、


それなら対馬(※九州と朝鮮半島の間にある有人島。現在韓国は対馬までも韓国領だと主張している)


は明らかに日本のものだよな?


だって九州の付属島だろ? あそこ。


お前らが口出すのおかしいよな?


どう見てもダブルスタンダードです。本当にありがとうございました。


てか「竹島(松島)を放棄する」っつう一文がない限りお話にもなりませんな。


更に韓国がこの島の領有権を主張するなら、「竹島を韓国領と認める」っていう文も必要だ。


実際、これ以降も竹島(松島)が日本領として扱われていた事実があるんだがな。(これはまた後で)





○安龍福の証言


『東国文献備考(1770年)』、『萬機要覧(1808年)』、『増補文献備考(1908年)』によると、


安龍福(1693年の事件で日本に連行された朝鮮人)が「日本に対し于山島の領有を認めさせた」とあり、


『東国文献備考』でも于山島=竹島と記されていることから、やはり竹島は韓国領である。




はぁ? まず(朝鮮の役人の取調べに対する)安龍福の証言の原文を読むと、


「私は鬱陵島にいた日本人に何故ここにいるのかを問いただすと、


我々は松島に住んでおり、漁の為に来ただけだ。今、丁度戻ろうとするところだ〟


と答えた。そこで私(安龍福)は、


〝松島とは于山島のことだ。于山島だって朝鮮の領土だ。どうして日本人が住めるのか〟と、問いただした」


ってあるわけ。はい偽証きたこれ。


韓国側の言うように于山島=松島(竹島)だとしたら、日本人の発言には矛盾がある。


この日本人が言う松島とは、当然現在の竹島。


この点は韓国側も認めている。(そうでないとこの記述を議論に出す意味がない)


ここで、気づいた人もいるだろう、何度も言うように、竹島に人は住めないのだ。


当然、日本人も竹島で暮らした人間は一人もいない。


つまり、安は本当の松島(竹島)のことを何も知らないで(朝鮮の役人に)嘘を吐いたか、


もしくは他の島と誤解していたものと考えられる。



ちなみに安龍福は、別の資料(『辺例集要』)で、


于山島は鬱陵島よりも大変大きな島だった」


と証言したとする記述があるのだが、付近で鬱陵島よりも大きな島となると、隠岐島しか存在しない。


しかも、日本人が「松島」と言った部分を「隠岐島」に直すと意味が通じるのだ。


ただし、この『辺例集要』の記述が正しいと、


>日本に対し于山島の領有を認めさせた


という一文が「隠岐を朝鮮領と認めさせた」という無茶苦茶なものとなってしまい、やはり不合理である。



この安龍福の証言には他にも事実と異なる点が多くあり、信憑性は皆無だ。


そして、彼が日本(江戸幕府)から現竹島の朝鮮領有を認めさせたという事実がないことは確かである。


このことは、1836年に石見国(島根県)・浜田藩の会津屋八右衛門が、


鬱陵島で密貿易を行った罪で裁かれた際の判決文に、


「松島(現竹島)へ渡航の名目をもって竹島(現鬱陵島)にわたり・・・」


と記されていることからも明らかだ。


つまり、竹島へ渡ることを名目と出来るのであれば、それは違法ではないということである。


(鎖国中なのだから当然ではあるが、他国に無断で渡ることは当時も違法であった)


ちなみにちなみに、1954年、韓国は安の証言(我々は松島に住んでおり~と答えた)を


「〝我々は松島に行こうとしている〟と答えた」


と、原文(漢文)の「」を「行く」に捏造解釈している。


住むことが出来ない筈の松島(竹島)に、日本人が住んでいてはつじつまが合わない為である。



          ま た 捏 造 か 。



最悪。





※于山島


ここで、何度も話しに出てきた于山島の説明をしておこう。


この島は今現在もどの島を指していたのかはっきりしない島で、


文献によって鬱陵島であったり、鬱陵島の属島であったりとバラバラである。


韓国側はこの于山島こそ現竹島と主張しているが、1530年に成立した『八道総図』という地図によると・・・


八道総図


ワロスwww


鬱陵島よりも半島寄りじゃねーかw


どうやったらこの島が竹島になるんだよwww


ちなみに、鬱陵島の西にはこれ程大きな島は存在しない。



更に1899年成立の『大韓地誌』付属、『大韓全図』では・・・


大韓地誌


ワロスwww


やっぱ竹島ではないよな!w


ここで重要情報。


この『大韓地誌』は大韓帝国の教科書に採用されたものであり、


実際にこの地図における于山の位置にはチュクドという小島がある。


于山島が竹島であるという韓国の主張は、どう考えても事実とは異なっているのだ。


というか、多分このことは彼らも解った上で言ってるんだろう。


でも証拠がないから(あるわけないんだが)・・・・・・。


まぁ、このことには触れずにそっとしておいてあげよ。ね?



では本筋に戻ろう。





○林子平


1785年成立の『三国通覧図説』という地図によると、竹島は朝鮮領と書かれている。


この林子平という人間は日本人地理学者で、このことからも解るように、


当時の日本人は竹島を朝鮮領と認識している。やはり竹島は韓国領である。




はぁ? まず、その地図が成立するよりも前に、ずっと正確な地図が出来てるわけだが。


1779年成立の『改正日本輿地路程全図』はその名の通り日本地図なんだが、


それにははっきりと竹島が描かれているな。


日本地図に書いてあるってことは、日本領だと認識されてたってこと。完璧です。


作者の長久保さん、グッジョブです。



ここで2つの地図を見比べてもらおうか。


『三国通覧図説』

三国通覧図説


片方は存在しない島(多分于山島のつもり)が描かれているいい加減な地図。


『改正日本輿地路程全図』 (ここにはupしないが、勿論東日本も描かれている)

改正日本輿地路程全図


片方は距離や方角まで記されている、かなり正確な地図。



あのさ、まず文献の信憑性とかさぁ・・・そういうとこからちゃんと調べようよ。韓国人は。


この林という人は確かに存在した日本人なんですが、


彼が書いた『三国通覧図説』に出てくる竹島は明らかに鬱陵島です。


(既に何度も記した通り、当時は鬱陵島が竹島と呼ばれ、現竹島は松島と呼ばれていた)





○日本輿地図藁と日本国地理測量之図


日本が伊能忠敬を用いて公式に編纂した、『日本輿地図藁』・『日本国地理測量之図』


という二つの地図には、竹島が記載されていない。やはり竹島は韓国領である。




はぁ? なんで日本の地図に書かれてなかったら韓国領になるんだ。


それに、書かれてる地図もあると言ってるだろ?


てか韓国側こそ竹島が正確に描かれていて、韓国(朝鮮)領であると書いてある地図を持って来いw





○海左全図


1822年に成立した『海左全図』によると、鬱陵島の東に島が描かれているが、これは竹島である。


やはり竹島は韓国領ニダ。




はぁ? それはチュクド(鬱陵島の属島)だろが。


どこをどう見たら竹島になるんだ。


20世紀に入るまで、韓国(朝鮮)では竹島の2つの主島が書かれている詳細な地図が存在しないんだろ? ん?


つまり、島の存在自体は聞いて認知していた可能性はあっても、その詳細は近年まで全く知らなかったわけだ。


韓国が竹島の領有を主張するなんて、はなから無理なのよ。諦めろ。




なんか、最後の方は生徒というより韓国人に向けて話してる感じになっちゃったw


ま、いいや。とりあえず、




どう見ても日本領です。本当にありがとうございました。




一時間目 竹島領土問題1

朝礼から随分時間が経ってしまいました。


どうも、俺です。


今更ながら、朝礼ではなく、入学式とか始業式とかにしとくべきだったと痛感しております。


っていうかね、ぶっちゃけ今からでもタイトル変更なんてチョチョイと出来ちゃうんだけど、


もうメンドクサイからこのままでいいよ。



さて、今日は一時間目なんですが、その内容はあれです。


俺出身地島根じゃん?


え? 知らないって・・・ちゃんとプロフに書いてあんじゃん!


OK? うし。


でぇ、だからとりあえず竹島の授業にしたいんですけど。


よし、じゃあ現社だな、現社。現代社会科。



ところでさ、俺って何気に教師免許持ってないじゃん?


だからもし、間違えがあったら遠慮なく指摘してくれよ。


よーし、前置き長すぎだぞー。(ほっぺを膨らませながら)


ってことで今日の授業開始。




1.竹島


島根県隠岐郡隠岐の島町に属し、男島(西島)・女島(東島)の二島と数十の岩礁から成る。


飲料水に乏しい等の為に人の居住には適しないが、


周辺海域は魚介類の宝庫であり、その水産資源に多大なる価値を持っている。


歴史的にも国際法的にも日本固有の領土であるが、


現在は大韓民国が武装警官数十名を常駐させており、不法占拠を続けている。




まぁ学校で習うしね、何が問題なのかっていうのは大概の人が知ってるっしょ。


え? 習ってないの?


うわぁ・・・・・・。


んー、じゃあここで勉強してけばいいんじゃねーの?(鼻糞ほじりながら)




2.竹島の歴史


1618
伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受ける


竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた


1661
遅くともこの年には大谷、村川両家が幕府から竹島を拝領


1904.9.29
 中井養三郎、内務・外務・農商務省に「竹島領土編入並に貸下願」を提出


1905.1.28
 閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする ←公式(国際法的)に日本の領土となる


1940.8.17
 島根県、竹島の公用を廃し、海軍用地として舞鶴鎮守府に引き継ぐ


1945.11. 1
 海軍省消滅に伴い、竹島は大蔵省所管になる


1952.1.18
 韓国大統領李承晩、海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)により竹島の領有を主張


1953.1.12
韓国政府、「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示


1953.2.4
第一大邦丸事件発生。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡


1953.4.20
独島義勇守備隊、竹島に初めて駐屯


1953.6.27
 島根県、海上保安庁共同で韓国人守備隊員6名に対し退去命令を出し、


「日本島根県隠岐郡五箇村」の標識を立てる


1953.7.12
竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲する。


 以後、日本政府の抗議にも関らず竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない


1954.9.25
日本政府が領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案。韓国政府はこれに応じず


1965
日韓基本条約調印、李承晩ライン廃止。竹島問題は紛争処理事項とされる


しかしその後韓国は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、


交渉のテーブルにすら着いていない


2005.3.16
 島根県議会、本会議で「竹島の日を定める条例案」を賛成多数で可決




だりぃ。


素で言うとこれほとんどコピペなんだけどさ、さすがに指疲れちゃうわよね。


あ、それからコピペ元はリンクがメンドイので自分で探してね。はぁと




3.問題点


これは簡単だ。


日本の領土にも関わらず、韓国(と朝鮮民主主義人民共和国)が領有権を主張してること。


更に、韓国に不法占拠されていること。


もっと言うと、解決の糸口を見出せないこと。


そして一番の問題は、日本政府が長年に渡ってこの問題を放置していること。って感じ?




4.日本の主張


最初に言いましたが、竹島は日本固有の領土です。


ですが、こう言ってるばかりでは国際的には認められません。


そこで、竹島が日本のものである証拠を並べたいんですが、


その前に国際法上での領土という位置付けを説明しましょう。



土地、島、岩礁などは基本的に実効支配している国の所有(領土)となります。


ただし、実効支配した国(者)がない場合、最初に発見した国(者)に領有権がある。



うーむ、これじゃあ今は韓国領という解釈も可能ですね。


そうでしょ? 現在実効支配されてるわけですから。



しかぁーし!


そうは問屋が卸しません。


韓国が今現在行っている実効支配。これに正当性があるのかどうかっていう問題があるのです。


だって1905年に日本が領有権主張してんじゃぁん。


韓国が守備隊を上陸させたのが1953年。50年も後のことです。


お話にもなりません。


つーわけで現在の韓国による実効支配には正当性がないと。



-------------------------------------------------------------------------------------

詳細(外務省サイトからコピペ)


1905年の日本政府による竹島編入の有効性


1905年(明治38年)の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置は、


日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、


それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、


ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではなく、


また、当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものではないなど、有効に実施されたものである。


(注:領土編入措置を外国政府に通告することは国際法上の義務ではない。)

-------------------------------------------------------------------------------------



ちなみに


>当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものではないなど、有効に実施


という点を補足すると、


日本が竹島領有を宣言した際に、他国から異論が出なければ国際的に領有を認められたこととなる。


その為、「当時韓国からも抗議が来なかったのでこの編入は正当だ」という理屈があるわけだ。


それに対して韓国人有識者(?w)は「秘密裡に行われたものであり、正当性がない」


と主張するケースがあるので、その反論として「当時~」の一文が添えられてんの。



・・・・・・・・・で、この俺の長文意味解った?


正直説明下手でゴメス。


つか解んないヤツは百篇読み直せばいいんじゃね?




さて、国際法の話が長すぎた。


ではこれより、竹島が日本の領土である証拠を列挙していこう。


(1) 現在までに竹島の領有権を主張したのは、日本、韓国、北朝鮮の3国のみ


(2) (1)の内、主張が最も早かったのは日本である


(3) (1)の日本の主張は国際法に照らし合わせて合法である


(4) (1)の主張の後、韓国が不法に占拠するまでの48年間、実行支配した過去を持つ


(5) (4)の証拠として、竹島は官有地台帳に掲載され、アシカ漁も行われていた。


(6) 上記以前にも、遅くとも1661年までには伯耆藩の大谷、村川両家が江戸幕府から竹島を拝領している


(7) (6)の事実がある為、日本による実質的な竹島領有は遅くとも1661年には始まっていた


(8) (6)の事実がある為、日本から見れば、(1)の日本の主張は領有を再確認したという位置づけである




どうよ。


これくらいでよくね?




どう見ても日本領です。本当にありがとうございました。



朝礼

きりーつ。きょーつけー。れー。

おはようございます。

どうも、俺です。

この度不肖ながら先生さんの役目を承り、きょるえつしごくでれす(噛んだ)。


・・・

・・・・・・この度不肖ながら先生さんの役目をうけたま え?

あ、テイクツーとかなしですか? そうですか。



んゴホンッ!

さて、今日からいよいよ始まります、大和民族学校なんですけども。

今のところ生徒はゼロです。

わーお。

でも普通の学校とは違うので、廃校になったりはしません。どうぞよろしく。

じゃあまずはこの学校の説明とかしちゃおっかな♪

よし、目的とか、その辺から攻めていこうか。

○目的

あのね、目的は俺も知らない。

っていうか知りたくもない。

それはここに来る人に任せますわ。

ってなんじゃそりゃ!と思うかもしれないけどね、

ここで俺が何を言おうと勝手だし、それをどう受け取るかもあなたの自由でしょ?

俺の並べる情報を妄信的に鵜呑みにするもよし。

なーに言ってんのと批判的に出るもよし。

出席しないのもまたよしw

全部あなたにお任せします。

じゃあ俺は何をするのかっていうと、ここにニュースを持ってきたり、

何らかの資料を持ってきたりして・・・・・・述べます。

自分の主観に基づき何かしら述べます。

ただ、そこには多分一貫性があって、それが次ぎに結びつく。

○方針

一貫性? どんな一貫性?

はい、よくぞ聞いてくれました。

それはね、日本人が好き。日本が好き。(キャー! 言っちゃった!(照)

そして現在の日本の現状を好ましく思っていないということ。

まぁ、これから授業(と題する日記)を重ねるにつれて、

あなたも解ってくると思うんで先に言っちゃいますが、

俺は多分世間的には右よりな思想の持ち主です。はい。

かと言って戦争万歳なわけではないですよ。もち。

んで、『方針』の本筋に戻るわけなんだけど、

つまりは戦後の自虐史観に一石を投じたい。みたいな。

戦前の日本人が世界の絶対悪であるかのような価値観を、


現代の日本人から払拭したいわけですわ。(あれ? これが目的?w)



○俺


現在彼女募集中です。




よし、まぁこれで本校の概要はご理解頂けたと思う。


と言うか、不十分であってもこれ以上はメンドクサイ。


とにかく授業を進めるうちに、段々俺のテンションにもついて来れるようになるっしょ。



ああ、朝礼から超投げやり・・・・・・先が思いやられるなぁ。。。