名古屋シュタイナー土曜学校  山里の森 -9ページ目

時間が私たちを包んでくれる



これもほんとに隠れた名著ラブ読んでほしい!


土曜学校って何


説明会では私が説明しなくては

いけないパートを下書き練習ニコニコ

親たちがシュタイナー教育を
週に1回だけでも受けさせたい


と当時立ち上げたのです照れ


最近はコロナとか移転後バタつきあり
親は集まる場所も苦労していましたが

本来は子ども共に親も学ぶスタイル

共に学び、親たちが子供たちを包む
覆い(おおい)となり、遊ぶように
自由に学べる場所を作ってくれた照れ

本来は「学び」はほぼ遊ぶ
と言うことに近い意味だと

私は個人的には、思っています
そこに自由さえあれば


子どもたちの学びは

親や教師がしっかりとつながりおおう
その自由さの中ではじめて
子どもたちは自分の呼吸を意識できて
普段と、日常とは少し違う風景を見る

一方で親たちの学びは

集まって一緒に本を読んだり
皆んなで話し合いをじっくり

そんな悠長な時間は

今も昔も大人たちには
用意されてなくて(-。-;

それでも運営を切り盛りしながらも
当時からずっと親たちは学び続けて

今はまた、今の時代に合わせた
親たちの学びは用意されている

今の時代、人々が手を取り
共に支え合い生きることは

夢物語に近いと思われてて

もっと現実を見ろ!

の世界が幅をきかせてるけど

当時、立ち上げた親たちの1人は
今も、先生として教えてくださり
理事として残ってくださる方々や

陰ながらずっと関心を持ち続け
支えてくださる方々、その関係
は、ずっと変わらず続いていて

その長い時間の流れに

私たち親子も身を委ね、6年間
の大切な時期を過ごさせて貰う

現実が、固く強く迫ってくる中で

そんな悠長なと、思われるような

学びの風景をまだ、守っています照れ


まだまだ終わらない
もっと話したい〜


持ち時間、、全然、足らないです悲しい

真顔

いや、やっぱり大丈夫、冗談です不安


わたしの今日の説明ってキョロキョロ


私個人の解釈がどっさり
入っていますのでご注意ニコニコ

5年保護者 原















子どものように伝えられたら



シュタイナーの本、先生にお勧めされた看板持ち

でも読むのは結構、勇気いるんだよねえ💦




言葉はどの程度の

インターバル

伝えるのが適切か?



子どもたちの言葉のチョイスは
いつも絶妙で身体感覚が伴って
いて、思わず、納得してしまう


一方大人たちのやりとりは…


ここにいると言葉の使い方
はほんとに勉強になります

会社とか社会で良しとされる
言葉の使い方とちょっと違う


今まですぐスピード感持って
返すのが何より、クレバーで
良いことだと思っていたけど


いつもそれが最善とは限らない


いったん寝かせたり、伝える言葉を
様々な表現からチョイスし直したり


することをここで学んだ…

(もしかしたらとっくの昔に
みんなそうしてるのかな?不安



ちょっと演劇の話になるけれど
演劇の稽古はパンをこねる作業
に似ていると先生に教えて貰い


それって日常も同じだよね


言葉の重さ、存在の重さ軽さ

言葉をすぐに返すと軽くなる

だから


一旦、その言葉たちを飲み込む

そして

生地に練り込みよく混ぜること


うーん(・_・;

何故だ(゚o゚;;


なんで、この時期に、わたしは
こういう話をしてしまうんだろう(・_・;

なんでちゃんと、新規募集!とか
説明会の話ができないんだろう?(・_・;


ま、全てつながっているよね看板持ち
…と勝手に決めつけ続けます



昔、臆病すぎた私は伝えたいことを
相手に伝えるまで3年かかりました


そのときの言葉の重みはすごくて
(3年分!)無事伝わりましたが

やっぱりそれは遅すぎる


一方でスピード感

最短で最良の回答にたどり着く

ディベートとかそんな思考ツール

そういうことじゃないんだよねキョロキョロ


一昔前は、それでいい
と思っていたんだけど

結局

事前に考えた思考や表現は
常にワンテンポ古びて行く


そして熱もない


子ども哲学カフェとかは

メンバーとか場所の準備
きっととても大変だけど

そういう意味ではすごく
大切必要と思っています



テーマがずれた、戻そう真顔


あらゆる思考がAIのように
秒単位で回答が出せるのが
良いとされているが本当か?


そんなに急がずに


いったんパン生地に全てを
入れてしまってはどうか?

そしてそれぞれの内側から
パン生地が、熟成するまで
少し待ってみてはどうか?


短い時間で伝わりきらないのは
わかっているけれど、説明会…


今パン生地を練りこんでいます
みんなで。熟成間に合うかな指差し


いつも無理矢理ラストで
話をつなぐな!コイツ→口笛

5年保護者 原




























入校説明会 オイリュトミー講座 




土曜学校&芸術教室

入校説明会と
大人のオイリュトミー
講座のリンク

改めて貼り付けておきます😊

肝心の説明会の案内
下のほうに行ってしまったので(・_・;


またご不明な点等あれば何でも

yamasatonomori@yahoo.co.jp

まで、お問い合わせください。

よろしくお願いいたします。

5年保護者 原

変わらないもののひとつの答えとして



説明会〜わたし達がお出迎えしますね照れ



この時期の出会いと別れ…
私はいつも苦手なのですがショボーン

必要なことだと思ってて

6年生の人とはもうすぐ
お別れの時期が近づいて

ずっと引っ張ってくれた!!
めっちゃ頑張ってくれた!!


ありがたい環境だったと思う

けど、色んなアドバイス
言葉や気持ちに対しては

もっと、素直であれば
よかったな、とも思う


まあ私、誰かに素直であったことなんて
これまでの人生で、ほぼない
のでそもそもが無理な注文なのですが(・_・;


そして

また新しい人たちと出会う



物事は確かに移り変わって
いくように見える、だけど

変わらないものって、何?

…と言う問いには、以前よりは
イマ答えられそうな気がして…

物事の終わりの場面は
私は、苦手なんですが

今年の景色はよく見て
おきたいなって、思ってて

いかに自分が周りの人に
助けられて生きているか?

この時期になると気付く

…ん、まてよ、このセリフ

…おお(゚o゚;;    

私ってやつは(-。-;

去年のこの時期と
全く同じこと書いとる!
…つまり全くわたし
成長してないのか?(゚o゚;;

まあ、とにかく(・_・;

このメンバーで作るのは
泣いても笑ってもこれで
最後だし…頑張ろう!!


何となく…私の明日の宿題が
やっといっこ終わりそうです

ある物事や景色を

ずっと変わらないもの
できるかどうか?

それは

景色を終わりまで見届ける
ことが出来るかどうか?

あるいは

これは変わらないものにする!
と決められるかどうか?

に掛かっていて

変わらないものとする=連れて行く
と決めること。すると、その景色
たちは自分の影になり、人生を
ずっと、共にすることになる…

物事が、これからも、
変わっていく中でも!

きっとそうさ…


真顔うん

確かに真顔

悩むのは
止めたけど…


今度は…


完全にナルシスト
=妄想世界に突入ニコニコ



5年保護者 原









やるだけやったら、後は



↑読みたい本が山ほどある幸せ❣️


先日、理事と話をしていて

悩むのやめなと言われ
どうやめようか?悩む私(・_・;


説明会の日が迫って参りまして


今回、説明会の参加申込を
頂きました方々へ〜心より

ありがとうございます!

私たちのような、ニッチな
細々とやっている団体
に興味を示してくださった
ことが、心から嬉しいです


日にちは迫って参りましたが
引き続き、ご興味がある方へ
お問い合わせお待ちしてます看板持ち


閑話休題〜


先生と先日、話をしていて

私「なかなかスマートに運営
ができず、すいません(・_・;」

先生「この世の中スマートに
物事が進むことなんて何一つ
ないから大丈夫だよ(^O^)」


その通りだなと思う。


また、いつも頼りにしてる先輩Tさん

Tさん「私達やるだけやったから
後はどっちに転んでも大丈夫!」

今の私は、まだそこまで
の境地には至らなく、いつも
1人反省会を実施しています(-。-;


言葉はやっぱり言葉でしかない

その言葉にその人たちの背景
時間が重なって初めて、届く


本当に伝えたい事ってなんだろう?
想いを伝えるってなんだろう?

以前、生誕劇の練習をしているとき
先生によく言われた事を思い出す…

先生「言葉が軽いんだよ」

私「トーン落としているつもり(・_・;」

先生「重さがないんだよ、存在に」

こんなキツイ言われ方は
たぶんしてないんですが(・_・;

当時の私にはそれぐらい響き
泣きべそかいた記憶が(T . T)


実際、その重さの意味がわからず
やけ食いしてた記憶がある(・_・;


「存在の軽さがなんだ!!
要はたくさん食って
お腹パンパンにして
重くなればいいんだろ!」

今考えたバカだなぁと(・_・;


同じ言葉なんだけど、先生たちや
先輩方が言うと響くのはなぜか?



本当はただそこに居るだけで
大切なことが伝わるような人
に心からなりたいけれど(・_・;



そんなことを期待していたら

人生が終わってしまうので…



…ああ!しまった!


今日もまた悩んでしまった!

いかんな、これは(-。-;


…せめて、あと1週間、
説明会終わるまでは、

悩むの禁止!

ここ一本大事よ!
集中しよ!集中!

そんでもって

説明会終わったら
また存分に悩も❣️


5年保護者 原






















大人たちが作った小山は…



↑なんて魅力的なタイトル!!良本確定!


瑞穂区の新しい場所に移転
してきて、2年経過しました

いろんなことが落ち着き
同時に新しい課題が出る

説明会に向け、よく伝わるように
表現を考えなければならないけど

もともと広報で書き始めたブログも
自分の想いが入りすぎて
皆の認識とは違っているかも知れず

もし、だとしたら、ごめんね。
(…ぜったい違うと思う(・_・;

此処のみんなは一見ごく
普通の人達に見えるけど

みんなそれぞれ、色々と
抱えて生きているなあと

皆と関わるたびそう思う

失礼なのは重々承知の上

そんな皆と出会えたことを心から

感謝したい気持ちになる


それぞれが今まで重ねた時間を
此処へ持ち寄ってくれたことに


小山を作ると言う事は、それまで
積み重ね、抱えてきた時間たちを

ここに置いていく行為で

みんながそれぞれ少しずつ
自分の時間を、置いていく

その風景をいつも誰かが
ほんの少しずつ覚えてて

何かの拍子に小山の記憶が蘇る

必要な時に必要なことが起こる
全ての出来事には意味がある…
よく言われるけど、起こるには

必要な条件があると思っていて

土曜学校において、その一つは

「大人も子どもがお互いに
真に必要とされていること」

そんなの当たり前じゃん!

と思えるかもだけど、

大人も子どもも仕事、学校、家事
日々それぞれタスクに向きあって

共有したり同じ目線で
過ごせる時間は少ない

じゃあ、いったい

何が大事なんだろう?

…なんて言う問い掛けは
すぐかき消されてしまい

ただ時間だけが、淡々と
見通しもなく流れ続ける

とくに、大人たちは

当然だけど、子どもたちより
ずっと多く経過に耐えてきた

一方で、子どもたちは

手足が自由に動いた!とか
1人遊び飽きたら、すぐ誰か
が関わって来てくれた!と
一見平凡ささやかなことに

喜びを見出す天才

そんな子ども達の時間は
まだ、祝福に満ちている

当時、この学校を作った人達から
今までずっと積まれてきた小山は

きっとただそこに
あっただけで無く

喜びを見つける天才の子どもたちに
ずっといつも、祝福され続けてきた

大人たちがコツコツと小山を作り
子どもたちはそこに祝福を与える

そして祝福された時間たちは
初めてその意味を付与される

今日もまた意味不明な締め😮‍💨

5年保護者 原





















世界は根拠と必ずしもリンクしない




説明会・講座申し込みまだまだ募集してます

はぁーなんかこの時期ドキドキするんだよね



もはや、このブログは土曜学校

の広報ではなくなってるよね?


…と先日、土曜学校の人に

言われ、「そうですね…」

とうなずくしかない私…

誰か!早く立て直して(゚o゚;;


さすがに説明会を控えているので

今日は学校の良いところを書こう



学年が上がると子どもたちの
成長はもちろん親たちの意識
や、想いも共に変化していき

大人たちも学校生活を
やり直している気分に

みんな、せわしない日常と
限られた時間の中で、少しでも
楽しくやろう、優しくなろう、
と想いを馳せる、その姿は

水面の下では思いきりもがく
白鳥のように、とても美しい
(しまった!少し美化しすぎたか!(゚o゚;;

今はみんな共働きばかり
何かを他者に委ねる事は
やりにくくなってしまい

もっと自分が頑張らなきゃ!
わたしがしっかりしなきゃと
充分にがんばってる自分達を
更に奮い立たせるような感じ

追い打ちをかけるように容赦なく

現実は次から次へとタスクがくる

だから、すべては外注化してしまえば良い
食べ物はUber Eatsに運んでもらえばいい
面倒な事はシステムに任せてしまえばいい

子育てってなんだろう?

子ども持つってなんだろう?


わたしは今でも答える自信がなく
とても現実離れしたことをしてる
ような気がして、実際に子どもを
時々抱き抱えその重さを確認する

その重さに救われる

私が右往左往している間に
こんなにも大きくなってる

土曜学校でも勿論タスクは山程あり

自分も勿論、頑張るんだけど
助けられる事の方が多過ぎて

何の根拠もなく大丈夫だから
と声をかけてくれる人もいる

もちろんあらゆる行動には
他者を納得させる理由が
必要にはなるんだけれども

そこを通り越して
先に大丈夫と言える関係性

あー😮‍💨これが大切だったんだ!

と改めて思う。けど私はいつも
言ってもらうばかり他の人には
常に不安を撒き散らしています

わたしも早く周りに大丈夫だよと
言ってあげられる人になりたいが
あと3年ぐらいかかりそう(・_・;

だけどこの言葉も自分に
準備ができてから言う言葉
じゃないんだなと改めて

気づく。これはそういう
種類の言葉じゃない

この世界への信頼と大切な
ものを、何かに委ねる事は
環境や言葉や根拠リンク
しないのかも知れないなと…

↑ここが自分で何言ってるか
よくわからないんだよなあ💦

5年保護者 原













肝心な事はストックされない




写真の上手な撮り方…誰か教えて…(・_・;



うちの娘は5年生ですが
嫌がる宿題をめずらしく
自主的にやっていたので

私「おお〜自分から
宿題、偉いじゃん!」

「だって、結局全て
自分で引き受けないと
いけないんでしょ?」

と突然言う、その表情には
大人の面影が入り混じって

その表情を隣で眺めながら

驚き、そして声をかけない

あげたい言葉は山ほどある

けど、声をかけれずにいる

そう…結局は1人で自分で
全てやらなきゃいけない
それは確かにそうだけど

まだ、もう少しはそばに
いられるんだからそんな
に先を心配しないでよ!

…って軽い、無責任な
セリフしか浮んでこず

そんな

不器用な大人の代表選手
のようなわたしなのでこういう時

生誕劇の羊飼いみたく
今一体どこを歩いているか?
正しい道を進んでいるのか?
よく分からなくなってくるショボーン

現実これから大変なことが
目の前にやってきた時には

実際娘のそばにいられない

だからこそ

今この瞬間体験の全てを
ずっと思い出せるように

強くて優しい

記憶を残したいって思う

…って

死期が近いようなこと
言ってますが、わたしは
いたって健康体です(笑)

でも

なぜかそんな気持ちになる


私の父はいつもおどけてて
自分と言うものを余り表現
せずパッとしない人でした

なんで、うちの親は
こんな頼りないんだ!
といつもわたしは不満だらけ

死ぬ寸前にわたしにだけ
とんでもない表現を見せ

今でもずっと勇気づけられています
私は一生その記憶で生きていけると

父親が亡くなった後に初めて
父親の人生に興味持ち初めて

もっと早く興味を
持てばよかったな

気さくな父親だったんだから
なんでもっと自分から、お酒
でも飲みながら話そうとか、
何故言えなかったんだろう?


そして

今も相変わらず私は大切な
ことは何も言えないでいる

娘に必死で見せようとしている
自分の姿がとてもおどけていて
あの頃の父親の姿を見てる様だ

私はこれまで楽しい事なんて
正直何一つなかったんだけど

けれども、それでも、娘には
この世界は美しい楽しめるよ!
って言ってあげたい。大変な
事はきっと山ほどあるけど後で
お釣りが来るよ!マジで!って

結局、自分に言えなかったけど

いつか娘に伝える自信も全くなく
ずっと取ってある言葉

世界が美しかったと気づけたのは
子どもの心や体に感化されたから

父親はずっとおどけていたけれど

言葉で言われるよりも
ずっと良かったと思う

肝心な事は、結局
その時になってみないと
わからないんだぜ!!


そのことが今はよくわかる

不器用だった頼りない父親に
だんだん似てきているのを今
は、心から嬉しく思いながら

5年保護者 原

























共同体について⑦



バザーまたやりたいなあ〜❣️



共同体について⑦



誰もが傷つきやすい時代です
けど、傷つくことが出来る
才能と言うのは大切なこと


人が生きて死んでいくように
心も破れ、壊れて、そこから
新しく、生まれ変わっていく


逆に壊れない心にあまり成長は無い
(また余計なことを…コイツ→口笛

模倣天才時期の子どもたちに
意図的な模倣をさせたいなら

無機質なシステムの
側はきっと1番ダメ🙅‍♂️

まずは、人間は心も体も
傷つきやすくはかないもの
なんだよ❣️からスタート

失敗してナンボと言う場面を
どんどん見せる、一晩寝たら
ほらなんでもない❣️と言う
場面を何度も何度も見てたら

この時代でも少しは
安心できるでしょ😮‍💨

むしろ私の姿を見てくれたら
1番良い。失敗9割、打率1割口笛


なんでも素直にシンプルに
楽しんで進んでいけるのも
素敵な才能ではあるけれど

結局いつか死ぬんだから

破壊→創造を学ぶの大事
(失敗)→(感受)

そういう意味で粘土とか素敵❣️

不安定さとの共存、と言うのは
心だけではもうどうにもならん


覆いの意味が少しずつ


自分たちが安定した土台の上に
立ってから、さあ〜あなた達
を守るよ!と言うことでは無く


どんなに不安定な土台の上でもわたし達
大人はこんなに柔軟に、この世界の呼吸
に合わせながら、ほら包んでいるよ〜と


だから不安定さの場面、舞台
は我々演者には必要不可欠で
(いつの間に皆、演者に!?(゚o゚;;

まだいけるんじゃないか?
と前回書いたのは、テキトーでもなく

それを望む人、答えられる人が
まだまだ居る、と感じるからで


そのバランスが大きく崩れたら
生き物と同じ、必要なくなれば


消えてなくなっていけばいいそしてまた
新しい生命(想い)が溢れるのを待つ…

(この考えは、細く長く〜考えとは
きっとずれて聞こえるもしれませんが
私の中では矛盾は不思議としてなくて)


私たち大人は、自分たちが今まで
作り上げたシステムに今翻弄され
もうとっくに心が体を追い越して


想いだけが先行してて


共同体の可能性にかけるって
いうのは、ある意味で人間の
可能性を信じられるか?です


デジタル化拡張して豊かさを
享受しようという今の流れや
社会と完全に逆行しています


いやいや機械は無限に増殖
していくけれども、人間は
そんなに強くないんだから

今この瞬間やりたいこと
やるだけだしそれが全て


それが、いのちを大切にする
それが、人間ってもんでしょ!!


この話題は…間違いなく
広報に寄与してない気がする(・_・;

逆にみんなを遠ざけている気が(・_・;

自分で、自分の首を
絞めてるような気が(・_・;

5年保護者 原




















共同体について⑥



さあ宣伝、宣伝❤️


共同体について⑥

そろそろ真面目に広報します。我が愛する

土曜学校の魅力に今日も迫りたく思います

でも、

結局いつもと同じこと言ってる

だけなのでいつも読んでくれて
いる人は読み飛ばしてください

失敗した!とか、話し合う時間が
全然足らない!…とか続くとつい

共同体はなんもかんも手作りで

みんなでフォローしあわないと
あちこちほころびが出て忙しい


やっぱそれ大変じゃん!

と思うかもだけどここの
学びってそれも込み

だと思ってて、本当なら

切り離される子どもたち
の学びと親とのギャップ
を埋めてくれる環境の中

親は知恵や行動を寄せ集め
環境作り、子はその手作り
の環境で学べることは貴重

万全に用意された学びも
良いけれど、その価値は

お前らなんで、こんな大変な
ばっかで一文の徳にならん事
に時間費やして何やってんだ!

と言う疑問ももちろんだけど


このご時世ほんとにないです
だからこそわかりにくいです

あとは、やっぱり眼差し
先生が子ども達を見つめる瞳は
単に生徒1人って見ていなくて

見方が強く、優しい

先に、広がる景色を
見てくれている感じ

出来たこと、成果よりも
何が今、起こっているか?

他人様の子供をそんな風に
見てくれる人なかなかない

本当に難しい時代に突入して
このスタイルはかなり厳しい

だけど、私は、まだここ
もうちょっといける
と思っているんですよね

まだゲームは終わってない
まだ、もう少しいけるって


…きた(・_・;

やばい脱線して

きたー(゚o゚;;

みんな逃げてー




まだやれる事あると
思ってるんですよね

もちろん拡張性、機能性
スピード、あらゆる面で
AIには、もう勝てません


けど、本当に大切なことを
忘れちゃいませんか

明日の宿題をやらずに
未来をデザイン
していませんか


1人の人間を単なる1
カウントをしなければ
もう少し、やれると思うんです


ちっちゃくまとまるなよ!

昔「チャンス!」と言うドラマで
三上博史が言っていた(古っる〜💦)
素敵な決め台詞!今でも大好きです

まあ…と言う私自身がむしろ
積極的に長いものに巻かれて
きた庶民中の庶民ですが(゚o゚;;

今まで巻かれてきたからこそ

もう一回、このめんどくさい
(↑めんどくさいって
言うてもうてるやん(・_・;

作業に取り組もうとこの年に
なり遅まきながら…思ってて

5年保護者 原