マレーシア | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

マレーシア






マレーシア Malaysia
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/9/pdfs/0911_01_01.pdf
元首 アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー第14代マレーシア国王陛下
( His Majesty Almu'tasimu Billahi Muhibbuddin
Tuanku Alhaj Abdul Halim Mu'adzam Shah
ibni Almarhum Sultan Badlishah
The Yang di-Pertuan Agong of Malaysia XIV)
御誕生日:1927年11月28日
ご出生地:ケダ州アロー・スター
ご学歴:スルタン・アブドゥル・ハミド・カレッジ(ケダ州)、オックスフォード大学ワダム・カレッジ(英国)

外務省 マレーシア Malaysia http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/

焦点:南シナ海で狭まる「中国包囲網」、友好国マレーシアも態度硬化 平成26年03月01日
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA2000020140301




親日国マレーシア、先の大東亜聖戦で、大日本帝國陸軍はマレーシアを植民地支配していたイギリスを駆逐し、マレーシアを独立に誘った。

欧米列強諸国の植民地支配は、教育を施さず、その地の民族をして自主自立できる施策をなさず、只ひたすら、富を収奪するに及んだ。


大東亜聖戦開戦(昭和16年12月8日)前のアジアの勢力図
  ↓ ↓ ↓

現在(支那共産党が統治支配する中華人民共和国は、チベット、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴルを侵略)
(追記)
2015年の中国をこれまで以上に注意深く観察しなければならない理由
中国は周辺に覇を唱える大国になるのか
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42617?page=2
(追記ここまで)



大東亜戦争【不屈の武士道精神】



我が国日本の先人、大日本帝國軍人は、東南アジアの植民地支配からの独立の起爆となり、そして数多先人は幽冥(かくりよ)に旅立たれた。鎮魂

我が国日本は、敗戦の憂き目を見たが、國體を護持し、インド、東南アジアは独立を果たし、それはアフリカにも及び、アフリカの独立を誘った。

しかしながら、敗戦国として、戦勝国・連合国により、報復裁判である極東国際軍事裁判によって、いわれなき罪過を負わされ、戦後70年にならんとするも、未だ時計は、当時の極東国際軍事裁判の時で止まっている、否、更に数多の国内外の対日攻勢により後退したともいえるかもしれない。

サンフランシスコ講和条約でGHQの占領下から独立した日本国ではあるが、日本国に於ける正しい歴史の時計は止まったまま、否、あるいは後退したままの自虐史観が未だ大手を振っている。

正しい歴史のを公に述べること、発言することが、未だ躊躇、抑制されるのは、戦後の自虐史観に覆われたGHQによる占領下のまま続いているともいえる。

そして、正しい歴史のを知りながら自虐史観を日本国内に、また全世界にばら撒き続けているメディアの罪は計り知れない。

事実を事実ということが抑制される我が国日本の空気は、元を正せば米国主導といえるだろう。

正しい歴史を日本全国民が認識した時、その矛先が、米国による国際法違反である原爆投下、無差別殺戮の大空襲、沖縄での無差別殺戮に向かうことを回避するために、結果的に敗戦に至った日本が、日本人が悪いという自己否定に意識を誘い、先の大東亜聖戦を結論付けることが最善と考えるのが米国であるといえるだろう。

日本が先の大東亜聖戦の正しい歴史を自覚し、日本民族としての矜持を覚醒することを避けたいのは、米国、支那、韓国、北朝鮮であろう。

米国、支那は戦犯国日本、自虐史観日本という作られた思考空間に未来永劫密封しておきたいという点では合致しているはずである。

我が国日本は、国際連合(英語: United Nations、略称は国連)で拒否権が発動できる常任理事国、核保有国である米支の複雑に絡んだ思惑の狭間で、現況、自らをして立つ自主独立の気概を失うことのない舵取りが重要と思う。

ちなみに支那(チベット、ウイグル、南モンゴルでの虐殺、拷問、弾圧、民族浄化を執行中)が、「国連人権理事会」の理事国となっている様は、おぞましく、如何に国連が欺瞞に満ちた側面を有するかの一事象と捉えることができるだろう。

たとえ、日本民族が先の大東亜聖戦の正しい歴史に覚醒したとしても、米国に戦争を仕掛ける訳もないのだが、米国は日本を都合よく従属させておきたいとのことから、日本政府が正しい歴史を発言する気配を見せるだけで、圧力を掛けてくるのは、自らの行った国際法違反の戦争犯罪を自覚しているからに他ならない。

全ての罪を日本国、日本民族に負わせておく、これが、いわゆる戦勝国の意向であって、それは極東国際軍事裁判の時から何ら変わっていない。

国際連合憲章の条文には、未だ敵国条項があるが、日本を敵国としている条文が未だ破棄されずに残っていることは、忌避すべき事案であると思う。




マレーの虎  山下奉文
(やました ともゆき)陸軍大将
         谷豊
(ハリマオ)




反日勢力が日本国民に知られたくない【大東亜戦争】世界の声


【大東亜戦争】世界の声

マレーシアから見た大東亜戦争
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n201779


★ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」


★ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
この国に来られた日本のある学校の先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。
「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」
「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」


★ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」


★ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな“触媒”の役割を果たした。」


★昭和63年(1988年)9月マレーシア・ガザリー・シャフェ外相。謝罪する日本の政治家に対して。
 とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか」


★1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にてマレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」


★マラヤ大学副学長ウンク・アジス
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」


★マレーシア外務省情報センター所長ニック・モハマド
「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」


親日国 マレーシアの歴史教科書は日本軍のコタバル上陸・ 明治天皇御真影から始まる




おおす新聞 2675(27)-01-09 23:31 配信






第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持

古事記1300年 大須観音展



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