大祓(年越の祓 としこしのはらえ)
皇紀2673年・平成25年12月31日
富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)(大須)
御祭神 花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
瓊々杵命(ににぎのみこと)
大山祗命(おおやまづみのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
彦火々出見命(ひこひびでみのみこと)
境内神社 湊川社、天神社、出雲社、金比羅社、秋葉社、稲荷神社
住所:愛知県名古屋市中区大須2-17-35 大須観音・東南東約100m
大須商店街連盟HPhttp://www.osu.co.jp/history/history.html
明応4(1495)年、第103代 第103代 後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の命により、富士山本宮浅間神社から分霊を勧請し、創建された。
現在の社殿は、初代尾張藩主・徳川義直公の内室・高原院によって建てられた。
もともとは、尾張三名水として名高い柳下水を有する清寿院の鎮守として建てられたが、明治の廃仏棄却により清寿院は廃寺に。富士浅間神社のみが残っている。(転載、一部編集)
富士浅間神社 末社「湊川社」(みなとがわしゃ)
御祭神:楠木正成公(くすのき まさしげ公)
楠木正成公 七生報國
楠木正成公(くすのき まさしげ公)は、 後醍醐天皇に殉じ、湊川(兵庫県神戸市)で、弟・正季公(まさすえ)と「七生報國」を誓って刺し違え殉節(皇紀1996年・西暦1336年5月25日、新暦7月12日)された尊皇の士。その志は明治維新の志士・吉田松陰先生(皇紀2519年・安政6年・西暦1859年10月27日、斬首刑。靖國神社の御祭神)に熱烈に受け継がれ、また、坂本龍馬(靖國神社の御祭神)、高杉晋作(靖國神社の御祭神)、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝充、伊藤博文など(敬称略)維新の志士が、楠木正成公の墓碑(現・湊川神社境内)に額づいて国事に奔走された。
先の大東亜聖戦では、楠木正成公>の旗印である「非理法権天」が、沖縄特攻の戦艦大和に、人間魚雷「回天」を搭載した伊号潜水艦に掲げられた。
戦艦大和 沖縄特攻(菊水一号作戦)
菊水作戦
戦艦大和に関して記載したブログ⇒http://amba.to/ZYVChS http://amba.to/12glQlo
楠木正成公 七生報國
正季公「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」
正成公「いつかこの本懐を達せん」と誓った。
太平記・楠木正成公、湊川(神戸市)での最期
7:40~楠木正季公(くすのき まさすえ公。楠木正成公の弟)「次の世も、いや、七生(しちしょう)までも生まれ変わって、朝敵を滅ぼしとうござります」
9:02~(「非理法権天」の旗の元) 第96代 後醍醐天皇(大須観音の建立の起因、「北野山真福寺寶生院」(俗称・大須観音)の寺号を賜る)への忠誠を貫く楠木正成公は弟の楠木正季公らご一族と「七生報國」を誓って、皇紀1996年(西暦1336年)5月25日、湊川(神戸市)で殉節
楠木正成公の御遺徳は、明治維新で顕在化し、日本が欧米列強諸国の植民地になることなく独立国家として、現在に至るまで存在していることの精神的支柱、行動の原点たらしめたといえる。先の大東亜聖戦で、楠木正成公の旗印である「非理法権天」が、沖縄特攻の戦艦大和に、人間魚雷「回天」を搭載した伊号潜水艦に掲げられた。
戦艦大和 沖縄特攻(菊水一号作戦)
菊水作戦
戦艦大和に関して記載したブログ⇒http://amba.to/ZYVChS http://amba.to/12glQlo
非理法権天 回天楠公社前(岐阜県下呂市下呂町)
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaiten-gero.htm
皇紀2673年12月31日 熱田神宮
大祓(年越の祓 としこしのはらえ)
大祓詞
皇紀2673年12月31日
第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)
大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持
古事記1300年 大須観音展
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