皇紀2673年10月20日「第36回大須大道町人祭2013」二日目(名古屋・大須) | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市) 

皇紀2673年(平成25年)10月20日

「第36回大須大道町人祭2013」
二日目
 



商店全域があおぞら舞台になる二日間!

第36回大須大道町人祭実行委員長 東仁王モン(東仁王門通)
            世話役 古川真琴(東仁王門通/珈琲ぶりこ)


君が代

大須観音略縁起
当寺は、もと尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にありました。御開山は能信上人(のうしんしょうにん)です。

元亨四年(1324年)後醍醐天皇は、勅願を下し賜い長岡庄に北野天満宮を御造営
になりました。天皇は能信上人に深く御帰依(きえ)になり、元弘三年(1333年)上人をその別当職に補し、「北野山真福寺寶生院。(きたのさんしんぷくじほうしょういん)」という寺号を賜りました。

能信上人
は当寺の開創にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間お篭りになり 、「この世の人々が、お救いを受け、お恵みを頂きますには、どなた様をお祀り致したらよいでしょうか」と一心不乱にお祈りになりました。

 上人の誠は神に通じ、ある夕べの霊夢に、「大慈大悲の観世音
こそは利益無量、この世の人びとに、最も有り難いお方である。」とのお告げを得られ、その上、観世音の貴いお姿を拝されたのであります。

そのお姿は、昔、弘法大師
が一刀三礼御彫像(いっとうさんらいごちょうぞう)あそばされた摂州四天王寺の大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影でありました。
この霊夢の不思議は、後村上天皇の御代に至り朝廷に達し
、詔(みことのり)によって、当寺に移され、ご本尊と仰ぐこととなったのであります。それからのち、霊験は誠にあらたかなものがありました。



$論説  Article by yamap☆平成25年10月18日、同祭り前夜祭、演題で挨拶をする(事前の吹き替え)「第36回大須大道町人祭」実行委員長「東仁王モン(ひがしにおうもん)」氏 (於)万松寺境内(名古屋市中区大須3-29-12)

モーン!わしの名は怖キャラの「東仁王モン」じゃ。この第36回大須大道町人祭の実行委員長じゃ。なに!?わしが委員長なのかって?それはお釈迦さまに言われたから・・・イヤイヤそうではなくて、わしのルーツに関係があるんじゃ。わしはもともと大須観音の仁王門の中に居って、門に向かって右側の阿形像(あぎょうぞう)がわしで、左側に居るのが吽形像(うんぎょうぞう)じゃ。「阿吽(あうん)の呼吸」の語源はわしらのことじゃ。
「万物の根源=物事のはじまり」を表す「阿形像」のわしには、昨年400年を迎えたこの大須から「今と昔を繋いで新たな大須を発信する」という役目があり、それを果たす舞台として今回委員長に抜擢されたのじゃ。「商店街全域があおぞら舞台になる二日間!」わしと一緒にたのしもまいか
(同祭り配布紙面より転載)



東仁王モン氏(2013年4月に誕生した大須の新名物キャラクター。「世間ではゆるキャラ人気が絶頂だが、大須はそんなにゆるくない!」と世の中の流れに逆らった怖キャラです)は、「第36回大須大道町人祭2013」の実行委員長(笑)


フェイスブック東仁王モン

大須大道町人祭の特設サイト第36回大須大道町人祭





平成25年10月19日(土)「第36回大須大道町人祭」(名古屋市中区大須)が行われた。



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第36回大須大道町人祭 プロレス




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東仁王門通 「まっとったがね」が正しいのかとも思われて(笑)。大須の某氏によると「っ」の脱字との見解でした。もろ名古屋弁ですね。「待ってました」「お待ちしてました」という意味。

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万松寺通

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万松寺通

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大須のコメ兵 「歴代の大須大道町人祭のポスター」

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おおす新聞 2673(25)-10-21 06:21 配信 







第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持

古事記1300年 大須観音展



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日本のメディアが報道しない支那(china)の事実

http://ameblo.jp/yamap888/entry-11584663765.html





外務省「尖閣諸島」Senkaku Islands
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/


外務省 尖閣諸島→資料コーナー→尖閣諸島について(平成27年3月16日更新)(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/pdfs/senkaku.pdf


尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり, 現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決し なければならない領有権の問題はそもそも存在しません
日本は領土を保全するために毅然としてかつ冷静に対応していきます。
日本は国際法の遵守を通じた地域の平和と安定の確立を求めています。





外務省「竹島」Takeshima
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/
竹島の領有権に関する日本の一貫した立場
竹島は,歴史的事実に照らしても,かつ国際法上明らかに日本固有の領土です。
韓国による竹島の占拠は,国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり,韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません
日本は竹島の領有権を巡る問題について,国際法にのっとり,冷静かつ平和的に紛争を解決する考えです。
(注)韓国側からは,日本が竹島を実効的に支配し,領有権を再確認した1905年より前に,韓国同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません





外務省「北方領土」the Northern Territories
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/
1855年2月7日日本ロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。それ以降も,択捉島国後島色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は,一度も他国の領土となったことがない,日本固有の領土です。しかし,1945年に北方四島がソ連に占領されて以降,今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。
政府は,北方四島の帰属の問題を解決してロシアとの間で平和条約を締結するという基本方針に基づき,ロシアとの間で強い意思をもって交渉を行っています。









吉田松陰先生士規七則(しきしちそく)」


http://blog-imgs-67.fc2.com/n/e/z/nezu621/20140924101946977.jpg


士規七則

披繙冊子 嘉言如林 躍躍迫人 顧人不讀 即讀不行 苟讀而行之 則雖千萬世 不可得盡 噫復何言 雖 然有所知矣 不能不言 人之至情也
古人言諸古 今我言諸 今亦詎傷焉 作士規七則

一 凡生為人 宜知人所以異於禽獣 蓋人有五倫 而君臣父子為最大
  故人之所以為 人忠孝為本
一 凡生皇國 宜知吾所以尊於宇内 蓋 皇朝萬葉一統
  邦國士大夫 世襲禄位 人君養民 以續祖業
  臣民忠君 以継父志 君臣一體 忠孝一致 唯吾國為然
一 士道莫大於義 義因勇行 勇因義長
一 士賢以質實 不欺為要 以 巧詐文過為耻 光明正大 皆由是出
一 人不通古今 不師聖賢 則鄙夫耳 讀書尚友 君子之事
一 成徳達材 師恩友益居多焉 故君子慎交遊
一 死而後已四字 言簡而義廣 堅忍果決 確乎不可抜者 舎是無術也

士規七則 約為三端 曰 立志以為 萬事之源 選交以輔 仁義之行 讀書以稽 聖賢之訓 士苟有得於此 亦可以為成人矣。