古川智映子先生との出会い(まえがき)

 

2015年NHKの朝ドラ「あさが来た」は朝ドラ史上最高の視聴率をはじき出したヒット作だった。主演の波瑠さんの演技もすばらしかったが、やはり明治維新の時代に男性に引けを取ることなく豪腕を発揮し、銀行、保険会社、女子大学を次々に創設した女性実業家広岡浅子(ドラマでは白岡あさ)の人物像が視聴者の共感を呼んだのだと思う。

 

このドラマの原作は古川智映子著『小説土佐堀川』。著者である作家・古川智映子先生とは幸運にもその年、共通の知人の紹介で知己を得て、翌年2016年、創価大学文学部の授業にお招きして講演をしていただいた。当時既に御年84歳ながら、頭脳明晰で滑舌もよく、頗るお元気だった。

 

講演では開口一番、「女性の方が多くてびっくりぽんです」と。流行語にもなったドラマの台詞で教室を和やかな空気に包みながら広岡浅子の人物像について詳しく語ってくださった。この講演で最も驚いたのは、随所に古川先生ご自身の人生の苦労談を交えてくださったことだ。「九転十起」は広岡浅子がペンネーム(九転十起生)に用いた言葉だったが、古川先生の人生そのものが「九転十起」だった。人生の途上で倒れては起き上がり、それを何度も繰り返すうちに古川先生は広岡浅子に出逢ったのだった。

 

2018年には拙編著『ヒューマニティーズの復興をめざして』を出版したが、そこへ先生の講演録を収録させていただく幸運を得た。そのおかげもあって先生との交流は今なお続いている。

 

2022年11月、その古川智映子先生から新刊書『負けない人生』の贈本が届いた。古川先生ご自身の人生の自叙伝である。贈本には直筆で名入りのサインまでしてくださっていて、嬉しく手に取った。愛読紙「聖教新聞」での連載を再構成して単行本化したとのことだが、何度読んでも感動するし、連載にはなかった新たなエピソードも追加されていた。以下、敬称略の書評スタイルで記させていただく。

 

 

不幸のどん底からの蘇生

 

本書は90歳を迎えた作家・古川智映子の自叙伝だ。朝ドラの題材となった広岡浅子や徳川家康の養女・満天姫(まてひめ)など、歴史上の女性の人生を描いてきた古川が今度は自分自身の人生をありのままに赤裸々に綴ったのが本書である。

 

表紙には「日本一不幸な女」とのコピーがあるが、それは強ち誇張ではなかった。大学助教授だった夫が教え子の女子学生と不倫して家を出て行く。夫の荷物を取りに来た女子学生から吐かれた暴言。生活費も断絶された経済苦。近所の野原の野草まで食べたという。悲哀、屈辱、そして、絶望。

 

人生のどん底で知人の母娘から宿命転換の確信あふれる信心の話を聞き、32歳で創価学会に入会する。そこから古川の蘇生の人生が始まる。題目をあげると勇気が湧いてくるのを実感したという。その思いを綴る文面からは創価学会の信仰に対する誇りと感謝が強く伝わってくる。正式に離婚後、古川は都内の女子高校の教師を経て、作家として自立する道を選ぶ。

 

広岡浅子との出会いと徹底した調査

 

そして、女性史の小説を書くことを決意し、題材を探すなかで①高群逸枝『大日本女性人名辞書』から明治期に活躍した女性実業家・広岡浅子の存在を知る(p.43)。

 

そこからの更なる資料収集の徹底ぶりには驚かされる。②東京中野の三井文庫を訪ねる(p.49)⇒③「明治・大正を生きた15人の女たち」の筆者・邦光史郎氏と会う(同)⇒④大同生命大阪本社を訪ねて広岡浅子の資料を閲覧(p.50)⇒⑤広岡家の子孫の夫人と会い、多くの資料を閲覧(p.54)⇒⑥浅子の孫、神田多恵子さんと会う(p.56)⇒⑦浅子の教えをうけた竹内さくさんと会う(p.57)⇒⑧『豪商 日本の町人』の著者宮本又次氏と会う(p.60)⇒⑨浅子が創設に関わった日本女子大学を訪ね、資料を閲覧する(p.61)、等々。調査・資料収集への執念と行動力は、歴史学者のフィールドワークを見ているようでもある。

 

度重なる病気とその克服

 

90歳を超えてもなおかくしゃくとした今の古川だけを見ては想像できないのだが、度々病気に見舞われてはそのたびに克服している。

 

広岡浅子の資料収集に飛び回っている最中に①子宮筋腫、②自律神経失調症、③緑内障となる(p.65)。緑内障の不安にかられる最中、人生の師と仰ぐ池田大作創価学会会長と会い、「題目をあげて、あげて、あげ抜きなさい。病気に負けないだけではなく、あなたの境涯をすっかり変えることができるのです」(p.66)との激励を受ける。古川はその通りにひたすら唱題に励む日々を送り、手術することなく完治を果たす。

 

しかし、ひとつの病を克服するとまた次の病が襲ってきた。『小説土佐堀川』執筆中には④変形性股関節症の診断を受ける(p.76)。股関節の手術の後には⑤胆嚢全摘の手術も受けている(p.86)。心が弱ければくじけてしまうような難病の連続だが、古川はそのたびごとに不屈の信心で跳ね返し、克服している。

 

さらに、朝ドラが無事終了した後にも⑥悪性リンパ腫の診断を受ける(p.117)。リンパ節の癌である。しかもステージ4,全身の11か所に悪性腫瘍ができていたという。既に年齢は85歳。池田名誉会長からは「人生の総決算の題目、一生成仏の題目を」という激励の言葉が届く。

 

古川は題目をあげて、あげて、あげ抜いた。すると、この年齢まで生きたことへの感謝が湧き、死を恐れる感情は消え、無欲の透徹した心境でわが人生に悔いなしと達観する。

 

その後、チョップ療法の点滴を二か月継続したとき、何と悪性リンパ腫の腫瘍が全部消えて完治したのだ。古川が広岡浅子から受け継いだ座右の銘「九転十起」をその身で本当に表現しきった姿が綴られている。

 

人生の師との出会い

 

古川は人生の重要な節目ごとに池田大作会長と出会い、激励を受けている。最初の出会いは高校教師をしていたときで、教育部の会合で池田会長から激励を受けたことが作家として生きていく決心のきっかけとなったことを述懐している。

 

さらに1987年に創価大学で池田会長夫妻と会い、それを契機に『小説土佐堀川』が潮出版社から出版されることになる。そして、度重なる病気の克服もそこには池田会長の激励があった。

 

古川は池田会長の激励を毎回全身で受け止めきっている。そこには師弟不二と呼ぶにふさわしい生命の一体感がある。本書の随所には師匠への感謝、報恩の思いが綴られている。

 

前夫との再会とその後

 

単行本化に際して加筆された箇所で特に興味深いのは前夫とのエピソードだ。

 

離婚後に、別れた前夫が会いたいと連絡を寄こす。さんざん苦しめられた前夫に会う気はサラサラなかったが、再三懇願されて渋々会う。古川は敢えて相手の用件は全く聞かずに、信心と巡り合って強く生きてきたことだけを一方的に話すが、前夫はその場で自分にもその信心をさせてほしい、と言う。それ以降、再び二人の人生が接近することはなかったが、前夫は前夫で信仰者としての人生をそこから歩み始める。

 

その後ひょんなきっかけで、前夫と後妻の間に生まれて成長した長男と知り合い、疎遠になった前夫が今でも信仰を貫いていることを知る。そして、今の古川には前夫が抱えていた宿業がはっきり見えるようになった。そこには自分を苦しめた前夫への怨念を乗り超えた達観のようなものがあった。

 

後でわかったことは前夫は若い後妻との新しい所帯で勝手に幸福な家庭を築いていたのかというと決してそうではなく、後妻と不和に陥り、やはり宿命に苦しんでいた。あの会いたいと言って連絡を寄こした時も、その後悔、苦しみを伝え、よりを戻したかったのではなかったか。しかし古川はその余地を一切与えなかった。そこには唯一の救いとして古川と同じ信仰の道を選ぶことだけが残っていたのだ。

 

人生の何が幸福なのかを単純に常識で測ることはできない。あのかつての幸福そうに見えた家庭も、自身の宿業と前夫の宿業を内に隠し持ったままの仮そめの幸福でしかなかったのだ。そして、宿業が顕在化した地獄の日々を経て、そのなかを生き抜き、仏法に巡り合い、蘇生して、作家としての才能を開花させ、作品がNHK朝ドラの原作として採用されるまでに至る。この勝利の姿こそ本当の幸福ではないだろうか。

 

苦悩を生き抜いてこそ真の幸福がある。

病気を克服してこそ真の健康がある。

 

本書は、それを体現した生き証人である古川智映子の生命力と歓喜に満ちた証言書なのだ。

 

信仰の吐露(あとがき)

 

2016年、古川智映子先生を創価大学文学部の授業にお招きして行った講演では、広岡浅子についての人物紹介がメインテーマであったが、ご自身の人生も振り返られ、離婚歴のことも包み隠さず話してくださった。しかし、自身の信仰体験は一切封印し、仏法の言葉も一切使われなかった。それは、創価大学の学生にも創価学会員が多いとは言え、キリスト教徒もいれば様々な宗派の学生、無宗教と自認する学生もいることに配慮してくださってのことだった。

 

しかし、自己を信じて強く生き抜いた信念や、苦しみのなかから幸福を創造する生き様は、宗教的な言葉を用いなくてもある種の宗教性を帯びていた。その本心が実は信仰にあることを私は拝聴しながらよく理解できた。

 

そして古川先生は本書で初めて信仰の言葉を前面に出して語られた。信仰とは自身の内面の最も正直な部分であり、それこそがその人の真実でもある。

 

信仰を支えにして社会で活躍しながらも様々な事情でそれを表に出せない人もいる。敢えて出さないという人もいる。敢えて出すことによって宗教への偏見を被って自身の評価が下がることを恐れる場合もあるかもしれない。しかし、著名な作家である古川智映子先生がためらいなく堂々と信仰を吐露した本書は、信仰を支えとして生きる人々に誇りと勇気を与えることだろう。

 

私自身もその古川先生の誠実の言葉、報恩の言葉に呼応してこの読後記を記させていただいた次第である。