年寄りの一日…夜
夕食の支度をしなければならないのだが
一人で食べるのは味気ない
米を二合磨いでスイッチを入れる
さっき採ったインゲンの両端をもいで筋を取ったものと
何日か前に採った小松菜をざく切りにして
油いためを作る
昼間採ったトマトを切って皿に盛る
もう一品をと思ったが沢山作っても
残るとまた何日も同じものを食べる羽目になるのでやめた
そのかわりに冷凍室を覗くと
パックに入ったマグロの切り落としがあった
一人暮らしの年寄り向けに
冷凍食品や野菜や肉などの食材を宅配している業者があり
一人で食べるのにちょうどいい分量のものが
小分けにされていて
解凍またはレンジで温めるだけで
食べられるものがあるので
時々それを利用しているのである
それを取り出しパックのまま水に漬けた
分量が少ないので二三分もあれば解凍できる
その間にグラスにウイスキーを七分目ほど注ぎ
別のグラスに氷を三四個入れる
後は箸と小皿と醤油差し
そしてトマトを小さなお盆に載せ
TVのあるところへ運ぶ
マグロは解凍できたようだ
パックから出して小皿に載せる
さっき作った油いためと一緒に持って行く
マグロの切り落としと
小松菜とインゲンの油いため
トマトと
ウイスキーとごはん
これが今夜の夕飯のすべてだ
ご飯はまだ炊きあがらないようだが
腹が減っているわけでもないし
ご飯はいつも最後に少し食べるだけなので
食事を始めることにする
習慣でTVを点ける
このところ相撲の中継をやっているので助かる
暫くぶりにTV画面を真剣に見た
相撲が終わってニュースが始まった
本当は本を読むほうが好きで
TVは好きでない
しかし数年前に白内障の手術をし
その時に左目が緑内障であることが分かり
結局左目はまったく見えなくなってしまい
本を読むことが不可能になってしまった
それでやむを得ずTVを点けるようになった
けれどもニュースを見ても何の興味もわかない
そもそも社会の出来事に
それほどの関心があるわけでもない
この頃は耳が遠くなり左の耳は完全に聞こえない
途切れ途切れにしか聞こえないので
何を言っているのか分からないし
取り上げる内容も行き当たりばったりで
幼稚な事件やスポーツの話題ばかりのような気がする
それでもその内容について
言いたいことを言い
その話を聞いて同意したり
反発したりしてくれる話し相手でもいれば
少しは気持ちが満たされるだろうが
会話のすべてが独り言になってしまうので
馬鹿馬鹿しく虚しいばかりだ
そうかといってバラエティと呼ばれるものは
若いものに媚びるように
ただ騒がしいだけで見ていてもつまらない
だいいち出ている人たちがみな若く
一人も名前を知っている者がいない
自分が八十を超えているので当たり前だ
たまに年寄りが出て何かの話をして
普通の番組かと思って見ていると
いつの間にか特定の商品と電話番号が出てくるといった
詐欺まがいの通販の番組ばかりだ
健康や長生きあるいはいかに若く見せるかという
年寄りの関心はそれしかないと
馬鹿にされているような気がして腹が立つ
だったら始めからTVなんか点けなければよいのだが
子供は結婚して家を出ていき
妻も亡くなってしまった一人暮らしの家には
そんなTVから流れる人の声さえ無いよりはましだ
暫く食事を続ける
そろそろごはんが炊ける頃だろうと思い見に行く
炊きあがると音が鳴って知らせてくれるのだが
残念ながら私にはその音が聞こえないので
立って見に行くしかない
炊きあがっていたので
小さな金のさらにご飯を盛って仏壇供える
TVのスイッチを切って
食べ物を仏壇の前に出しているテーブルに移す
線香をたいて
その前に座って食事を続ける
天気が良かったので畑仕事をしたが
雑草が繁っていて大変だったこと
トマトや胡瓜やインゲンが採れたこと
蚊に食われたこと
TVで相撲を観たこと
今日も一日誰とも口を利かなかったことなど
愚にもつかないことを延々と話した
グラス一杯のウイスキーが無くなったので
仏壇に上げたご飯を妻に断わっておろして食べた
食器を台所に運び洗った
今日は畑仕事の跡にシャワーを浴びたので風呂には入らない
まだ八時にもならないが寝ることにし
雨戸を閉めて戸締りをしてドアチェーンをかけた
仏壇の妻にお休みを言って
電気を消して二階に上がった
ベッドに入りTVを点ける
いつもはここから眠れないで十二時ぐらいまで
見るともなくTVの画面を眺めているのだが
今日は畑仕事をしたので
早く寝付くことができるかもしれない