No.8-1
平澤の泣き顔。
ぐにゃっと。唇を歪めて。目尻をめいっぱい下げて泣く、コドモみたいな泣き顔。昔とちっとも変わってねえの。
わざと泣かせたんだ。
ひどい言葉を投げつけて。傷つけて。もう二度と。俺の前に現われないようにしてやろうって。そう思って言った。
「あたし、わかってたよ……」
背中側から平澤の声がする。
わかってた? 何を? 何をわかってたって言うんだよ。
「佐藤君が、あたしのこと許してないって。わかってた」
「……」
「佐藤君、九年前、あたしが嘘をついて佐藤君をふったこと、知ってるんでしょう? それでもまだ、ううん、違うね。だからこそ、あたしのこと、許せないんでいるんでしょう? そういうの、何となくわかってた」
急に息が苦しくなった。
平澤の、涙の混じる声で、喉元を締めつけられてるみたいに苦しくなった。
「でも、だからって、おじいさんのことで泣いたことまで演技だなんて、そんなこと、言わないでよ。さっきの佐藤君が、演技だなんて、そんなの……」
後は何を言ってるのかわからなかった。
平澤の、嗚咽ともいえない、ひっくひっくと、幼いコドモのようにしゃくり上げる泣き声だけが。部屋に残る。
祖父の骨の入った小さな筒が。視界の隅に映ってた。
遠く雷鳴が轟いた。
雨の音はしない。これから降るんだろうか。このあたりはまだ梅雨明けしてないんだろうか。明日。ちゃんと、島へ行けるだろうかと。そんなことを考える。
「ごめん」
俺は立ち上がると、自分の鞄のほうへと歩み寄った。「俺、平澤のこと許してないなんて、そんなこと、もう考えてなかったよ」
鞄の外ポケットから、一枚のカードを取り出す。
「だけど。言われてみたらそうなんだろうな」
平澤は、ソファに横になり顔を覆った格好のまま。まだ身体を震わせていた。
胸が、痛い。
こんなに苦しいのに。どうして俺は平澤にひどいことばかりするんだろう。
─── まったく、お前というやつは……。
祖父の声が聞こえてきそうだ。でも祖父はもういない。
俺を叱ってくれる人間はもういないんだよな。
「平澤にふられて暫くはほんと、俺、荒れてて。みっともないくらい、どうしようもない生活してた。……みんな、言ったよ。熱病みたいなもんだって。十代の初めての恋愛だからまあ、仕方ないだろう、とかさ。今は苦しくても、すぐに忘れるって。俳優やっていくにはそういう経験も必要なんだって、レイさんだけじゃない、品川まで、そう言ったよ。だけど、俺、ずっと平澤のこと忘れられなかった。マジで辛くてさ。あの頃は、平澤のこと、はっきりと憎んでたね」
憎んでたなんて。好きな女のコに向かって言う台詞じゃない。ひどいこと言ってるのはわかってる。だけど。これが俺の正直な気持ちだから仕方ない。
「だから。何年か経って、レイさんから本当のこと聞かされたときも、俺、全然嬉しくなんかなかったよ。俺がずっと苦しんできたことが。全部嘘から始まってたなんて、信じられなかったね。平澤はそれで満足したのかもしれないけど、じゃあ、こっちの気持ちはどうなんだって。そんなことばっかり思ってた。ガキ、だったんだよな。ま、今もあんま変わってないけど」
だけど、もういいんだ。
もう、いい。
そういうのも、今夜でもう終わりだ。
「ごめん、平澤。……って、俺、今日ずっと平澤に謝ってばっかだな」
ほんと、ごめん。
言いながら、平澤の隣に跪く。
「実はさ。ほんとはもうひと部屋取ってあるんだ」
カードキーを差し出す。平澤は顔を見せない。
「この階の端の部屋で、和室なんだけど。平澤、そっちに行く? それとも俺が出て行こうか?」
平澤が首を横に振る。顔を覆う髪の毛が、涙で頬に張りついている。平澤が今、どんな表情をしてるのか、まるでわからない。