No.6-3
─── もう、わたしに会いに来てはいけませんよ、平澤さん。
─── 幸せに。
「かれん」
コウの。か細い声が下から聞こえた。
「なあに、コウ」
コウは、佐藤君のおじいさんの顔からわたしへと、ゆっくりと視線を移してきた。首を、傾げている。澄んだふたつの瞳が真っすぐにわたしを射る。
どうしてだろう。コウの表情があまりにも純粋過ぎて。胸が、押し潰されそうに痛んだ。
「佐藤のおじいさん、もう、目ぇ、覚まさないの?」
「……え?」
虚を、突かれた。
「もう、目、開けないの?」
「……」
どう言ったらいいのかわからなかった。
コウは。人が死ぬということを知っているはずなのに。どうしてそんなことを言うのかと。困惑した。
「コウ?」
コウがわたしをじっと見る。その瞳に期待と懇願の色が見えて狼狽えた。
コウは、人の死を知っている。それでも、佐藤君のおじいさんに目を覚まして欲しいと、そう願い、わたしに何とかしてくれと、そう言っているのだ。
ここにいる佐藤君のおじいさんは確かに眠っているみたいに安らかだけれど。
それは絶対できないことなんだよ、コウ。
わたしは首を横に振った。
コウの顔に失望が滲む。ゆっくりとまた、視線を棺の中に注ぐ。
─── もう、わたしに会いに来てはいけませんよ、平澤さん。
─── いやです。
ぎゅうっと。瞼を閉じた。涙がぼろぼろ零れ落ちる。洩れる嗚咽を堪えれば堪えるほど。涙はみっともなく流れ出た。
─── もう、わたしに会いに来てはいけませんよ、平澤さん。
いやだと言えばよかった─── 。
どうしてあの時わたしはいやだと言わなかったのだろう。
どうして佐藤君のおじいさんの言うとおりにしたのだろう。どうしてわたしは、会いに行くことをやめてしまったのだろう。
いやだと言えばよかったのだ。
どんなに嫌がられても。どんなに呆れられても。どんなに怒られても。ただ会いに行けばよかったのだ。
こんな風に。
別れるくらいなら。
こんな風に。
突然、死を知らされるくらいなら。
あんな別れ方をしたままなんて。辛過ぎる。嫌だ。こんな別れ方、絶対いやっ。
どんなに図々しく思われても、会いにいけばよかった─── 。
「かれん、泣くなよ……」
コウが。わたしのお腹にがばっと抱きついてきた。勢いあまって、こちらの足元がふらつきそうになる。コウの小さな身体が震えていた。コウは。声も上げずに泣いていた。
わたしはコウを抱き締め、うなずいた。ハンカチで鼻の下を押さえ、瞼を開ける。
わたしの前に。白い。百合の花が数本束になって差し出された。
顔を、上げる。
懐かしい顔が。わたしを見下ろしていた。
真一文字に閉じた唇は何も言わないけれど。わたしが花を受け取ると、少しだけ、目尻が下がった気がした。
佐藤君の大きな手が、コウの頭をくしゃくしゃっと撫でる。二度、撫でた。
……それだけだった。
コウとふたり、百合の花を。佐藤君のおじいさんの枕元と。それから。足元に手向けた。
そうして、わたし達はそこを後にした。
もう。
二度と佐藤君に会うことはないだろう。
そう思いながら。
速水先生の待つ車へと、雨の中、向かった。