No.6-1~3 | アキヨシとカレン  ・・・少女漫画風恋愛小説・・・

No.6-1~3

 見舞い客用の入り口から病院に入り、すぐ正面にあるエレベーターに乗る。祖父のいるフロアに辿り着いた途端、平澤は繋いでいた手をぱっと離した。不満そうに見遣ると向こうも同じ顔をしてこちらを見てた。何で離すんだよ。だって恥ずかしいんだもん。そんな感じ。

 大きく開いた扉を出て左に曲がる。目の前には間口の広い談話室。そこでぼんやり佇んでいる中年の男と目が合った。向こうはこちらをじっと見て、だけど、すぐに視線を逸らした。

 何でだろう。妙にこちらの意識を引きつける男だった。

 あれ? と思ったんだ。

 どこかで会ったことがある? どこだっけ? 仕事だっけ? 近所のひとだっけ? 

 もしかしたら見舞いに来た祖父の知人かもしれなかった。祖父よりかなり若いけれど。祖父は顔が広いからな。それにこっちは変装してるので、向こうには俺が佐藤俊隆の孫だとわからなくても不思議じゃなかった。

 背のひょろりと高い痩せた男。小さな顔にそれほど大きくない目。鼻梁が高いので男前に見えなくもない。ああいう中年の男って結構女にもてるんだ。難点はあまり堅い職業の人間には見えない風貌。ちょっと遊び人風。歳食ったニートって感じだ。

「だあれ? 知り合い?」

「いや。違う」

と思う。

「ねえ、佐藤君のおじいさん、あたしと佐藤君に話があるって言ったんでしょう? 何だろうねえ」

「うん。何だろう」

 ふたりでうーんと首を傾げる。顔を見合わせ笑った。

 平澤と一緒ならどんな話も怖くない気がした。

 俺って。相当平澤に依存してるな。それって、ちょっとやばくね?



「サン、コツ?」

「ああ。そうだ」

 サンコツ。サンコツって何だ?

 祖父の口から発せられた言葉に俺はすぐに返事をできなかった。

─── ふたりに頼んでおきたいことがある。……サンコツして欲しいと、そう思ってるんだ。

 祖父はそう言ってものすごく遠い土地の名前を口にした。

 本州の果ての。小さな島。一度、ドラマの撮影で行ったことがあったので、地理に疎い俺だけど、知っていた。澄んだ海に囲まれた山陰の島だ。映画のロケにもよく使われている。

 そう言えば、そこへ俺が行くと決まったとき祖父はすごく羨ましがっていたっけ。祖母とふたり、新婚時代を過ごした島なのだと教えてくれた。

 サンコツが散骨だとわかるまで時間を要した。理解した途端怒りにも似た感情が腹の底から突き上げてきた。

「何で。何でいまそういう話をするんだよっ。ここ病院だぞ、悪趣味じゃねえかよ」

「明良、黙って聞きなさい」

「大した病気じゃないんだろ? すぐ退院できんだろ? そんな、死んだあとのことなんて、俺が知るかよ」

「明良……」

「佐藤君。ちゃんと話、聞いて」

 すぐに感情的になってしまう俺を平澤が横から柔らかく諌める。くそう。平澤の前だと祖父とふたりきりでいるよりは冷静さが保てる。祖父はそのあたり、わかってて平澤を呼んだのか。

「落ち着いて聞いて欲しいんだ、明良。いますぐどうという話じゃない。だが、どうしたってわたしのほうが明良より先に逝く。しかもわたしはお前の親じゃない。じいさんだ。普通の保護者よりもっとずっと歳をとっている。いまからある程度の覚悟はしておいて欲しい」

言ってから祖父はすまなそうに笑った。「お前はやっと十六になったばかりなのにな。申し訳ない」

 俺はさらにむかついた。傷ついてもいた。

「じいさんが謝ることじゃねえよ」

 祖父の目が。天井を一心に見つめる。天井のもっと向こうにあるものを見透かすように視線を当てていた。 

 ここへ来た当初よりずっと顔色は良くなっている。なのに。自分が死んだあとの話をするなんて。一体どういうつもりなんだ。

 乾燥しひび割れた唇を開く。祖父は緩慢な口調で喋り始めた。

「栄子の骨が仏壇の奥にある。お前は気づいてないかも知れないが白い陶器の筒がずっと置いてあるだろう? とても小さな筒だ。あの中に栄子の、粉状になった骨が、ある」

 栄子というのは祖母の名だ。祖父は骨壷の置き場所を俺に教えているようだった。俺は何が何だかわからなくなってきた。

「ばあさんの墓参り、毎年行ってんじゃねえか。あの墓に骨はねえの? 言ってること、よくわかんねえんだけど」

 祖父は笑って、そうだなと頷いた。

「墓にもちゃんと納骨してある。それとは別に、散骨する為の骨を用意してあるんだ」

わたしの骨も。同じようにしてほしい。わかるか? 明良。

 説き伏せるように祖父が言うのをぼんやりとした頭で聞いていた。

「歳をとったらあの島に戻りたいと、いつもそう話していたのに。結局都会の暮らしに慣れてしまって戻らずじまいだった。だからせめて骨だけでもと思って用意しておいたんだ。明良にいつ話そうかと、ずっと迷っていた。今回入院したのは急だったが、まあいい機会だと思った」

 そう言ってから祖父は弁護士をしている自分の友人の名を口にした。俺も何度か会ったことのあるひとだ。

「彼にも話してある。何かあったら彼の言うとおりにしなさい」

 何かあったらって。それって。遺言ってこと?

 瞳だけで。訴えかけるように訊ねた。

「もう少し先の話だ、明良」

「……いやだ」

「明良もきっといまよりは大人になってる。そのときは平澤さんと一緒に行くといい。あそこはとてもいい島だ」

祖父は笑って言った。

 祖父のベッドの横にある扉つきの小さなワゴン。この部屋に元々ある備え付けのものだ。その上に重ねられた数枚の色紙。

 俺がモデルで俳優のAkiであるということは、ここへ来たその日のうちにバレてしまった。昨日も何枚かサインを書いた。写真も撮られた。祖父の命がかかってる気がして嫌だとは言えなかった。病院関係者のみならず、入院患者まで押し寄せてきて結構な騒ぎとなってしまった。

「これ」

色紙を手にして祖父のほうを見ると、祖父は苦い顔で笑っていた。でもどこか嬉しそうな雰囲気も垣間見えるんだ。ちょっとくらいは俺のこと自慢だったりするのかな。だからさ。まあサインぐらいいいかなって、そういう気持ちにもなるんだよね。

「悪いな。頼まれると断れん」

「うん。わかってる」

 サインペンまでちゃんと用意してある。すげえな。

「あのさ」

椅子に座りサインペンを走らせながら訊ねた。「何で今日、平澤呼んだんだよ?」

 祖父はこちらの問いにああと頷いた。

「お前ひとりに話したんじゃ、心許ないだろう。なかったことにされても困る。平澤さんに証人になってもらった」

「何だ、それ」

 くすっと。隣で平澤が笑い声を立てた。

「信用ねえなあ」

「それにお前はすぐ怒り出す。平澤さんがいればいくらかはマシだ。短気は損気だぞ、明良。なおしたほうがいい」

「ちぇっ」

「平澤さん」

「はい」

「今日はすみませんでした。わざわざ来てもらって。どうか、これからも明良をよろしくお願いします。こいつを御すのは難しいですが、まあ、平澤さんなら大丈夫でしょう」

 平澤は神妙な顔で頷いた。え。少しは否定してくれてもいいと思うんだけど。

「明良。平澤さんに愛想尽かされないようにな」

「ほっとけよ」

 他愛のない会話だ。だけど、三人でこうしているのは嫌いじゃない。

 すう、っと。

 軽い音を立てて部屋の扉が開いた。

 顔を上げそちらを見る。

 あ。

 さっき談話室にいた中年の男。背の高いひょろりとした優男だ。そいつが立っていた。暫し佇んでいたが、当たり前みたいな顔で病室に入ってきて、こちらを驚かせた。

 祖父が露骨に顔を顰める。温厚な祖父が他人にそんな顔を見せることは滅多にない。そして男のほうは祖父の表情になどまるきり頓着しない。お構いなしの態だ。

 おまけに。

 俺の顔をじっと見たあと、にやりと笑いかけてきた。その笑顔が。自分の笑い方と似ている気がして胸が騒いだ。

 男は右手を軽く挙げ、のんびりとした口調で言った。

「よう、明良」

 うわ。

 何つーか。馴れ馴れしい男だった。俺は呆気に取られ、束の間ぽかんと口を開けていた。

 これが物心ついてから初めての、実父との対面だっていうんだから笑える。頼むよ、ほんと。