No.1-1
春。
薄桃色の花を咲かせた桜の大群が、そこかしこで見られるようになった三月の終わりに。
予定日より少し早くしおりちゃんは赤ちゃんを産んだ。
2,520gの、小さな男の赤ちゃんだった。
生まれたのは夜中の二時くらいで。いつ生まれるかわからないからあなたたちは寝てなさいと、家に残されていたわたしとひかるちゃんが赤ん坊と対面したのは、その日のお昼前のことだった。
小さな産科の新生児室には五人の赤ちゃんが並んでいた。母子同室を推進しているということで、他の赤ちゃんは、みんなお母さんと一緒の部屋にいるんだそうだ。しおりちゃんも、明日からは赤ちゃんと一緒の部屋になるんだって。
「どの子?」
「あ、あれ。ほら、“平澤しおりbaby”って書いてあるよ」
「あ。ほんとだ」
「やだー。ちっちゃーい。可愛いー」
しおりちゃんの赤ちゃんは目を閉じて、眠っているようだった。
中にいた若い女の看護師さんが気を遣って、透明なベビーベッドごとごろごろと赤ちゃんを廊下まで連れ出してくれた。
わたしとひかるちゃんが上から覗くと、赤ちゃんは、口をあーんと大きく開けて頭をかすかに動かした。
「起きたのかな?」
ひかるちゃんの声が鼻声になっていた。あれ、と見ると涙ぐんでいる。もう泣いてるんかい、と思わず笑った。
「起きてないよ。いまのって、あくびかな」
「赤ちゃんでもあくびってするんだ」
わたしはそっと指先を伸ばし、人間のものとは思えないツクリモノみたいに小さな小さな爪に、触れてみた。
「ほんと、ちっちゃい……」
肌には白い皮膚のカスのようなものがところどころついていた。赤ん坊、の言葉の通り、顔は真っ赤だ。顔を近づけると、これまで嗅いだことのない生あたたかい匂いがした。
「抱っこしてみますか?」
看護師さんに優しい声で訊かれ、
「いいんですか?」
と、やや緊張した声で問い返した。看護師さんはにっこり笑って下に敷いていたバスタオルごと、わたしに赤ん坊を手渡してくれた。
「軽い……」
羽根のような軽さだった。赤ん坊は微かに眉を寄せたけど、ぎこちない抱き方のわたしの腕の中でもまだすやすやと眠っていた。
「可愛いね」
「う、ん……」
ひかるちゃんに答えながら、わたしも泣きそうになっていた。
生まれたときから父親のいないこのコのこれからの人生は、おそらく平坦ではないだろう。そう思うと胸が痛む。
だけど。
「みんながついてるからね。大丈夫だよ」
あなたはひとりじゃないんだよと。ちゃんと教えてあげたかった。
今日生まれたばかりの新しい命は腕の中でほかほかと温かく、いつまでもいつまでも、見飽きることがなかった。