No.6-7
佐藤君は、もう何も言わなかった。
わたしは顔を見ることもできず。視線を足元に落としたまま。嗚咽のようなしゃっくりのような、途切れ途切れの息を繰り返していた。
やがて佐藤君の履いた黒いスニーカーが動いた。何かを決意したみたいに先輩のほうへと向けられた。
佐藤君が先輩に向かって小さく頭を下げたのがわかった。でもそれだけだった。そのまま、佐藤君は先輩の横を擦り抜け、硬い足音だけが残された。それも徐々に遠ざかって聞こえなくなってしまう。
その後。どれくらい先輩とふたり、そこに佇んでいたのかわからない。
「……ひどいな」
やがて先輩が口を開いた。別段責めるわけでもない口調だったけれど。でもはっきりと言った。ひどいな、平澤さん、と。
わたしはゆっくりと顔を上げた。先輩は苦い顔で笑ってる。
「もう俺は一生佐藤君と口、利いてもらえないね。せっかくメル友になれたと思ってたのにさ」
メル友。そう言えば、アドレスを交換したって、先輩、嬉しそうに話してたっけ。
「ごめ、んなさい……」
言うと、また涙が溢れた。先輩が困ったように笑う。靴先でアスファルトをとんとんと叩きながら。
「……これで、いいの?」
今度は真面目な声で訊かれた。
わたしは大きく頷いた。後悔しないかどうかなんて、そんなことは、まだわからないけれど。
佐藤君とのつき合いが重いと言ったさっきの言葉に嘘はなかった。わたしには。余りにも荷が重過ぎた。
先輩に家の前まで送ってもらい、大きくひとつ深呼吸してから玄関の扉を開けた。開けてみてぎょっとした。母と、何故だか、お腹の大きなしおりちゃんとひかるちゃんの三人が、入り口で仁王立ちしていたからだ。
こっちもびっくりしたけれど、向こうも相当びっくりしてた。
何でびっくりしてんのって、思ったけれど、
「かれんちゃん、どうして泣いてるのー」
ひかるちゃんに言われて、ああ、と納得がいった。ひかるちゃんはすでにもらい泣き寸前の状態になっている。反応早過ぎだよ。
母もしおりちゃんも度肝を抜かれたのか、用意していたらしい言葉を呑み込んで、わたしの顔をぼうっと見てるだけだった。何も言わない。わたしは、へへへと薄く笑って、遅くなったことを先に謝っておいた。怒るタイミングをうしなった母は困った顔をしている。
「あ、あのね、あたしね」
努めて明るく伝えることにした。「あたし、佐藤君と別れたから……」
大したことではない風を装って、笑いながら言った。泣いてるのにそんな演技は無駄だったんだけど。あんまり心配かけたくなかったからね。三人の誰の顔も見られなくて。だから、俯いたまま、固まってる三人を置いて階段を上がった。途中で、あ、と気がついて振り返り母に言った。
「お母さん、ごめんなさい。もう塾サボったりしないから。だから、やめさせないで。あたしこれから勉強頑張るから」
母は青白い顔で二度、頷いた。横でひかるちゃんが、
「いまそんなこと言う必要ないのにー」
と、涙声で抗議した。
翌朝。
泣き腫らした目で朝食を食べ、いつもどおりの時間に家を出て、学校へ向かった。
おはようと声をかけ合いながら。またいつもどおりの一日が始まると思いながら。校門を抜け、靴を履き替え、教室の自分の席に腰を下ろした。
佐藤君はその後二度、学校へ出てきたけれど、わたしたちが目を合わせることはなかった。そして、結局佐藤君は二月の終わりに学校を辞めてしまった。自主退学だと。教壇に立つ先生はみんなに説明してくれた。