No.6-4
調子にのり過ぎたんだ。
鼻がつんとしたのは。冷たい空気の所為ばかりじゃない。
「この辺りって。ほんとに高級住宅地って感じだね」
気まずくなった空気を変えようとしたのか、先輩が辺りの家々を見回しながら言った。「平澤さんって実はお嬢様なんだね」
「……えーと、そうでもないと思いますよ?」
「だけど静か過ぎだよ。夜はあんまり出歩かないほうがいいね。送って来てよかった。最近は不審者とか─── 」
と。
数メートル先の外灯の下。黒く長い人影が動いて、先輩と、わたしと、ふたり同時にぎょっとした。足を止め、互いの腕に手を伸ばし立ち竦んだ。
な、な、何? 本当に、ホンモノの、不審者?
黒い人影はこちらの動きをじっと窺っていた。少なくともそんな風に見えた。青白い外灯の作り出す影が足元から細く長く伸びている。
けれどそれが誰なのかはすぐにわかった。
「あれ? ……佐藤君?」
先に声を発したのは、隣に立つ先輩だ。
そっと。伸ばしていた手が離れていった。
人影が、ゆっくりとこちらに向かって来た。スニーカーの踏むアスファルトが静かな音を立てて近づいてきた。
心臓が強く打っていた。
会いたくないって思ってたのに。ずっと避けてたのに。どうしてこんな不意打ちみたいに現れるの?
まだ決心はついてない。
どうしよう。どうしよう。
どうしよう─── 。
「平澤」
真正面で捉えた佐藤君の顔は。青白く見えた。わたしの名を呼んだ口許が、寒さで強張っていた。
ああ。久しぶりに見る佐藤君だな。そう思った。
だけど─── 。
「どうして?」
「……」
「……どうしてこんなとこにいるの? 何、してるの?」
佐藤君の顔が悲しそうに歪んだ。顎を上げ、きゅっと唇を噛んでから、言った。
「平澤、電話に出てくんねえから。俺、明日から大阪なんだ。帰って来るの、少し先になるし」
大阪。
「今日、どうしても話がしたかったんだ」
ダメ。ダメだよ。
わたしはかぶりを振った。
「ダメだよ、佐藤君。明日、仕事なのに、こんな時間までこんなとこにいたら。寒かったでしょ? 風邪ひいたらどうするの? 仕事に穴、開けるつもり? 早く帰って寝ないと。それに、こんなとこ、もし写真に撮られたりしたら」
佐藤君の目が、高本先輩のほうに向いた。
「何で、……」
そう言いながら。とても痛そうな顔になった。
猜疑と怯えと、それから、困惑とが入り混じった、弱々しい顔。泣きそうな顔。狼狽の表情。こんな佐藤君、見たことないよ。
「佐藤君……」
ああ。そうか。そうなんだ、と。何かがわたしの奥底に、ぽとりと落ちた。
そうしてむくむくと。嘘が生まれた。
嘘を吐くならいましかない。そう思った。
そっと。隣の先輩の顔を見た。
先輩はわたしの嘘を許してくれるだろうか。
先輩は共犯者になってくれるだろうか。