No.1-1~5 | アキヨシとカレン  ・・・少女漫画風恋愛小説・・・

No.1-1~5

 例の写真事件のあとも。

 佐藤君は変わらず忙しかった。

 写真が掲載されてから五日後に、佐藤君が主演する舞台の記者会見が行われた。

 会見場に現われた記者の数は半端じゃなくて。それはもう明らかな写真効果。舞台には全く関係のない例の写真に関する質問が盛んに飛んだ。佐藤君の横に座ってる有名な舞台監督は終始むっとしていたっけ。見ているこちらがひやひやするくらい。いつか怒り出すんじゃないかって。どきどきしてた。

 佐藤君は写真の質問には一切答えなかった。きりっとした顔で。冷静ともいえる顔で。ただ座っていた。気の毒なのは進行役のひとだ。監督のご機嫌を窺いながら、身を震わせながら、今回の舞台と関係のない質問はご遠慮くださいと、九官鳥みたいに繰り返し言っていた。

 里中あやなの写真集もすぐに出版され。世間は例の写真を事務所側の明らかな話題づくりだと非難した。

 だけど。

 佐藤君と。里中あやなと。ふたりが益々有名になったのは紛れもない事実。

 やっぱりえみりさんのお母さんはタダモノじゃない。

 そうは思う。

 でも。もう前みたいには。あんまり好感は抱けなくなっていた。



 そんなことを考えていた所為でもないんだろうけど。

 塾へ行く途中でえみりさんに出会った。

「あ」

と。声を出したのはえみりさんのほうだった。

 久しぶりに見るえみりさん。以前会ったときより頬の線がふっくらしてるよ。それでも標準的に見ればかなり痩せてるほう、かな? ちょっと顔の印象が違ってる。こちらは変にまごついた。

「元気?」

 少し斜に構えた感じは変わらないね。だけど。前の彼女はこんな挨拶のできるひとじゃなかったはず。あたしと出会ったところで。つんとそっぽを向いて。行ってしまってたはず。

 聖華女子高の可愛らしい制服姿。トレードマークの長い黒髪は三つ編みにされている。

「元気、です」

 えみりさんを前にするとつい身を硬くしてしまうのは変わらない。同い年、なのにね。

 くすっと。笑われた。

「敬語」

「あ……」

 それは仕方ない。だってこのひとちょっと怖いし。

「いいけど」

えみりさんは言うと、あたしの身体を観察するみたいに上から下へと視線を這わせた。「元気って感じには見えないわよ。って言うか。あなたも大変よね色々と」

 色々と。

ある意味合いの篭った言い方。大変にしているのはあなたのお母さんだ、とは思ってても、口にできない。

「アキヨシと、まだつづいてるんでしょう?」

 つづいてる。

 こっくりと頷きながら、だけど、最近何となくぎくしゃくしてるふたりの関係を思った。

 あの写真事件がいけないんだよ。あれが元凶。

 あれ以来。佐藤君あたしに妙に優しくて。まるで違うひとみたいなんだ。それで、あたしもやっぱり心のどこかに引っ掛かるものがあるもんだから。優しいのは後ろめたいからじゃないかとか疑ったりして。そんなこと考えたってキリがないの、わかってるんだけど。どうしようもなくって。

 だから。ずっとぎくしゃくしてる。

 時間なくて、ふたりきりで会うこともままならないし。

 なんか。うまくいってない。

「アキヨシ、忙しいから、つまんないんでしょ?」

 えみりさんは見透かしたみたいな顔で言う。あたしは何も答えずにいた。

「浮気、しちゃえば?」

「え?」

 素っ頓狂な声が出た。

 えみりさんはくすっと笑う。

「ジョーダン」

 ああ。なんだ。冗談か。だけど。笑うことないじゃん。楽しそうなのが何だか癪に障るな。

「えみりさんは……」

「何?」

 えみりさんが小首を傾げこちらを見る。どきっとするくらい綺麗な顔立ち。

「あのひと。あのドラッグストアの副社長、覚えてます?」

 あたしの言葉に。

 ぱあっと。えみりさんの顔が反応した。ひと息に朱が散った。

 やっぱり。

 佐藤君に会いにマンションに行った夏休みのあの日。えみりさんと一緒にいたのは、あの何歳なんだか一見よくわからない、だけどあたしたちよりは確実にうんと年上の、例の副社長だったのだ。

 うっひゃあ。まじ?

「どういう質問、それ」

 赤い顔のまま虚勢を張るえみりさん。不覚にも可愛いとか思っちゃったりなんかして。ちょっとだけあたしのほうが優位に立ってる? 何だか。わくわくしてきたよ。

「あたし、一度、見ちゃったの。佐藤君のマンションに行ったときに。えみりさんがあのひとと一緒にいるとこ。でも、あのひとだったかどうかわかんなくて」

「そう、なの」

 えみりさんはつんと澄ましてる。だけど、そういうフリをしてるだけで内心どきどきしてるのがはっきりと伝わってきて。面白い。

「あの、もしかして」

「何よ」

「つき合ってるんですか?」

 えみりさんはむっと唇を尖らせている。

 あ。あれ? はずれ?

「そんなんじゃない、けど」

 あ。そんなんじゃないんだ。

 けど?

「あたし。あのあと。ときどきあのお店に顔を出してたの」

「……」

「いい根性してるでしょ? あんな騒ぎ起こしといて。店長さんとか呆れてたのわかってたんだけど。なんだかもう一度会いたかったの。あのひとに」

「あの副社長さんに?」

 思わず目を丸くした。

 えみりさんがひと目惚れするような。それほどの色男、だったっけ?

 いい歳してプータロー風。にしか見えなかった。あ。でもいいひとでは、あったな。うん。話も至極真っ当だった。見かけと中身が違ってた。

「大丈夫かって。帰り際に声かけられたのが嬉しかったの。たったそれだけのことだけど。……また会いたかったのよ」

─── あんた、大丈夫か?

 ああ。それはわたしも覚えてるな。胸に響くような深く優しい声だった。

「笑う?」

 わたしは少し考えて、首を横に振った。

 えみりさんは黒い艶のあるローファーの先を見ている。長く伸びた形のよい脚が目に入る。紺色のソックスのワンポイントはオリーブのものだ。

「つき合ってはないの。あたしがつきまとってるだけ。今でも色々心配はしてくれてるけど。あたしとあたしの母親の関係、とか」

「そう、なんですか」

 それは。えみりさんの片思いということなの、かな?

「お子様あつかいなのよ。……高校生には欲情しないんだって」

 よ。

 欲情。

「……」

「だけど。あたしみたいないい女が傍にいて。どれだけ我慢、できると思う?」

「え?」

 にっこりというよりは。にやりという笑い。いつもは澄ましてる顔に茶目っ気が滲んでる。

「いつか誘惑してやろうと思ってるの。チャンスを狙ってるの。だって。あたしのこと本当に嫌いだったら、傍にも置いてくれないと思うから。ちょっとは気があるんだと思うのよ。歳が違い過ぎるのを気にしてるんだと、そう思ってる」

「はあ……」

 すごい自信だ。さすが美少女は違う。

 えみりさんがわたしの顔をじっと見る。

 何だろう。

「アキヨシのことはね。まだ好きよ」

「……」

「ずっと好きだったから。アキヨシは、あたしにとってもの凄くトクベツな存在だったから。そんな簡単には忘れられない」

 トクベツな、存在。

「だけど、もう邪魔はしない」

 わたしの気持ちを揺さぶるみたいに。瞳の奥まで見透かすみたいに。強く目を覗いてくる。こちらも。懸命に見返していた。

「安心した?」

 安心? 何かその表現はちょっと違う気がするよ。わたしは首を傾げて曖昧な顔をしてみせる。

 でも。誰かと争わなくていいのは気が楽だ。ほっと。頬が緩んだ。

 あ。

「やばっ」

腕時計を見る。目が。飛び出しそうになった。

 うぎゃあ。

「どうしたの?」

「塾。うわあっ。もう始まる時間っ」

「塾」

えみりさんは目を丸くした。「塾なんか行ってるの? すごいのね。そっちの学校もうちと一緒でしょ? 勉強なんかしなくたってそのまま大学上がれるんでしょう?」

「それはそうなんだけど……」

いや。そこまで簡単な話じゃない。実際佐藤君、苦労してるしね。

「じゃあ、あたし、これで」

 頭を下げて行こうとするわたしを、

「ああ、そう言えば」

と。えみりさんがまた引き止めた。今度は何っ?

「あなたのお姉さん、見かけたわよ」

 一瞬。何を言われたのかよくわからなかった。

 なので。

「え?」

と足を止め訊き返していた。いや。もう行かなくちゃ。まじでやばいんだってば。

 えみりさんはわたしの呆けた顔には全然頓着しないのか、そのままつづける。

「吉祥寺のコンビニでバイト、してるのね。レジに並んでるときに、化粧っ気ないのにすっごく綺麗なひとだなって思って見てたんだけど。どっかで会ったことのある顔だなとも思ったし。名札見たら、平澤って書いてあったから。それで思い出したの」

─── 。

「どこっ」

「え?」

「どこのコンビニっ?」

 知らないうちに。えみりさんに詰め寄っていた。殆ど抱きつきそうな勢い。必死の形相、だった、と思う。多分。

「え?」

えみりさんは退いている。「だから。吉祥寺」

「吉祥寺のどこ? ねえ、どこ?」

「ちょ、ちょっと。何? あなた、自分のお姉さんがどこでバイトしてるかも、知らないの? っていうか。怖いわよ。どうしたのよ? いったい」

 わたしは固まった。

 そのままえみりさんの顔をじっと見ていた。縋るように。

「しおりちゃん……」

「え?」

 えみりさんの不審そうな顔と声に。すうっと。我に返った。

 顔を伏せながら。掴んでたえみりさんの腕から手を、離した。

「……ごめんなさい」

「どうしたの?」

 まだ怯んだ色を残しつつ。それでも心配そうに訊いてきた。

 言おうか言うまいか。暫く迷って。口を開いた。

「あの、実はね、うちの姉、家出してるの。あたし、夏からもうずっと会ってなくて」

 家出。

 と。えみりさんが呟くように言う。目が、丸くなってる。

「だから、つい。……ごめんなさい」

「そう、なの……」

「……」

「意外ね」

えみりさんが首を傾げながら、遠くを見ながら言う。「家出なんて。そんな風なひとには見えなかったな」

「……」

「あのとき。すごく仲のいい家族に見えたわよ。団結してるっていうか。あたし、ちょっとだけ羨ましかった。ああいうの、家族っていうんだろうな、って。そう思ったから」

 あの万引き事件のとき。母としおりちゃんとひかるちゃんと三人で。店の事務所に押しかけてきた。あの場面では赤面するくらいすっごく恥ずかしいって思ったけど。あれがあの頃のうちの家族の象徴的姿だったんだよね。

 そう。確かに。仲のいい家族。……だった。

「……」

「わかんないものね」

「色々あって。それで……」

 色々? それは違うか。原因はひとつだけだ。

 しおりちゃんの恋愛。間違った恋愛。これだけ。

「いいわよ。場所、教えてあげる」

 言いながら鞄を探るえみりさん。その端正なつくりの横顔を見ながら。このひと結構いいひとかも、なんて思った。

 わたしも相当ゲンキンだ。

 えみりさんは地図を書いてくれた。綺麗な絵と字。あ、これ、わかり易そう。

「ありがとう」

 塾は完璧遅刻。っていうか。行く気、ないんだよ、もう。

 ごめんなさい。先生。お父さん。お母さんも。

 今日、塾は行かないよ。

 しおりちゃんを捜しに行く。すぐに会えるかどうかはわからないけど。それでもいい。行ってみよう。

 メモを握りしめ、歩き始めた。日は少しずつ暮れ始めてる。