No.2-1~5
応接セットの上に放り投げられた写真週刊誌をぼんやりと眺める。
開いたページにはどこかで見たことのある十代の少年少女ふたりの写真が載っていた。男は背が高く女のほうはまあそれなりだ。ふたりともひと目でモデル、或いは芸能関係者とわかる格好をしている。ファッション雑誌から抜け出てきたようにお洒落、なのだ。こんな格好で歩いてたら目立つこと間違いなし。自分たちがどれほど有名であるかを自ら確認したがっているのだとしか思えない。そんな服装。俺だったら絶対しねえよ。
本来ならそう断言できるはず。なんだけど。
「これって。……俺?」
指差しつつ訊ねた。一応確認。
覚えは、あった。
この日は新しいドラマの制作発表があるからと、同じ事務所に所属する里中あやなと一緒にここから記者会見の行われるホテルまで歩いて行かされたのだ。着ている服はここで用意されていたもの。目立つのは嫌だから、ホテルで着換えてもいいかと問うた俺に、レイさんはダメだと言い放った。時間がないんだからそれで行きなさいと。ところがホテルには記者会見用の服がちゃんと番組スタイリストにより用意されていたんだ。そんなややこしいことは、これまで一度もないことだった。
おかしいな、とは思ったんだ。
ホテルまで結構な距離があるのにタクシーではなく歩けと言われたこと。やけに里中あやなが馴れ馴れしくこちらの身体に触れてきたこと。それから。ふたりのマネージャーが、妙に距離を空けてついて来ていたこと。……品川のやつ。知ってたんだな。
訝ってはいたものの、睡眠の足りない頭では深く考えるのも面倒臭くて言われた通りにしていた。最近の俺は本当に人形だったから。
それが。
このザマかよ。
じっと投げ出されている雑誌を見つめた。
─── スクープ 売れっ子新人タレントふたりの純情な恋
─── 「とても優しい先輩です」 里中あやなが語る 同じ事務所内でひっそりと育まれた 先輩モデルAkiとの初恋物語
─── 冬の新ドラマでも共演のふたり 息もピッタリ!?
すげえな。
初恋だってさ。純情って、誰の話してんだよって感じだ。
呆れ果てていた。
だけど。記事を読んだ後に写真を見ると、本当に幸せなカップルに見えないこともないから不思議、なのだ。
俺は膝に頬杖を突いた格好でじろりと目の前の女社長に視線を移した。
「……仕組んだの?」
「あら。人聞きの悪いこと言わないで。実際、あなたたちふたり、こうやって仲良く歩いてたわけでしょう?」
はっ、と笑った。
「勘弁してよ、レイさん。こんなことしなくちゃいけなほど売れてないわけじゃないだろ、俺も、このあやなって女も」
「言ってくれるわね」
レイさんは不敵に笑ってる。
「これって、あれだろ。ドラマの視聴率上げる為の話題づくりってやつだろ?」
「それにしては時期が早いわよね。そうは思わない?」
「……」
口を噤んで考える。そう言われてみればそうかもしれない。だけど、制作発表があったタイミングと同じだから、間違いないとも思える。
「どっちにしてもこれ、明日発売されるから。佐藤さんには今夜前以って伝えておいて。ドラマの視聴率を上げる為のデタラメだって説明して構わないから」
「……」
「あなたのおじいさんはあなたと違って、これくらいの大人の駆け引き、目くじら立てて怒ったりはしないでしょう?」
俺は首を傾げた。
「どう、かな」
レイさんは顎を上げ見下ろすようにこちらを見ている。
「孫をこんな風に扱われていい気持ちのする人間なんかじゃないと思うよ。だけど、これも仕事のうちだからって言えば、直接レイさんに文句言ったりもしないって、そうも思うけど」
「アキは?」
「え?」
「案外冷静じゃない。もっと怒ると思ってたのに。あの可愛いコには何て言い訳するつもり?」
あの可愛いコ。
平澤。
問題はそこなんだよな。っつーかさ、大問題だよ。
わざとらしく、大袈裟に、わかりやすいように溜め息を落としてやった。レイさんは半ば呆れ顔で苦笑してる。
「これ、もう止められねえの?」
「無理ね」
「こんなことばっかつづくんならやってられない。……これが本音だよ」
「あら。この仕事、やめる気なの?」
「……」
黙っていた。黙って有り得ない文字の飛び交う写真週刊誌に視線を落としていた。
この仕事をやめる。
そこまでの決心は。正直つかない。
何でなんだろうな。
こんな仕事、いつやめたっていいって。そう思っていたのに。祖父に何かあったとき、誰に頼ることもなくひとり立ちできるのならばと思って始めた仕事なのだ。いま、俺は十五歳。もうじき十六歳になる。義務教育は終えたのだから、こんな大嘘を認めてまでつづけていいような仕事だとは思えない。なのに─── 。
唇に拳骨を当て考える。考えれば考えるほどわからなくなる。
里中あやなと腕を組んで歩いている俺。このときは避けても避けてもしつこく回される腕を振り払うのも面倒臭かった。すんげえ眠くてだるくて。だから放っておいた。だけどこの写真だけじゃそんなことはわかんねえよな。誰がどう見たってラブラブなカップルって感じだ。
冗談じゃない。
たとえ事前にこの記事がどんなものであるかを説明しておいたとしても。平澤はやっぱり嫌な思いをするだろう。俺なんか。高本に笑いかけてる平澤の携帯の画像を見ただけでぶち切れしたのだ。
平澤だけじゃない。俺のことをライバルみたいに思ってる平澤の妹や、平澤にそっくりなお母さんや、娘思いで心配性な平澤のお父さんはどう思うだろうか。もうあの家に遊びに行っても歓迎されることはないだだろう。
それにうちの祖父だって。何も感じないわけがない。
髪の毛をかき上げ、写真を指差した。
「あやなってやつ、これ、認めてんの?」
「まあ、曖昧に、だけどね」
嘘だろ。アホな女だな。
いやある意味聡いのか?
「悪いけど。もし記者に訊かれたら、俺は否定させてもらうよ」
「……」
「そんなことくらいでこの事務所が困んの? それはないよね?」
今度はレイさんのほうが、わざとらしく大きな溜め息を落として見せる番だった。
「アキ、聞いて」
「……」
「うちの事務所は確かに大手って言われてるけど。でも歴史は浅いし、抱えてるモデルや俳優の数なんて他所と比べてすごく少ないの。それはわかってるわよね」
「……知ってる」
そのぶん、レイさんの目がひとりひとりに行き届いている。だから誰ひとりとして中途半端な仕事はしていない。稼げそうにない奴もたまに入ってきたりする。そういうやつにはシビアに早い段階で辞めてもらってる。量より質。それがうちの事務所の方針なんだ。
「もっと伸びて欲しいのよ。あなたにも、あやなにも」
「だけど。この記事がそんなことに繋がるとは思えない。つか、こんなことで伸びたって仕方ねえし」
「世間で騒がれれば皆がその顔を拝みたくなるものなの。それがドラマであれ何であれ、そうなるの。そうすれば自然に視聴率が上がる。視聴率が上がれば次の仕事が来る。名前も売れる。そういうものなの」
俺はレイさんの目を見据えた。
「俺はこんなことで嘘は吐けない。吐きたくない」
げっ。青クサイ台詞だな。言ってから気がついた。
「嘘を吐くのが嫌なら、笑ってなさい。喋らないで肯定も否定もしないで笑ってればいいわ。そうして」
「人形かよ」
「そういう台詞はもっとちゃんとした仕事ができるようになってから言うことね」
ぐっと詰まった。
はっきり言うね。レイさん。
「それに」
テーブルの上の煙草に手を伸ばしながらレイさんは言う。「あなた写真撮られたの、これが初めてじゃないのよ。それ、わかってるの?」
「……」
意味がよくわからなくてきょとんとしてた。
「アキ、あなたね。有名になってるって自覚、持ってる?」
「え。まあ……」
フツーにフツーの道を歩けなくはなってるから。一応それはわかってる。つもりなんだけど。
え?
何?
写真?
前にも撮られてんの?
え、と。
誰と?
「夏休みにあのコと何度も外で会ったでしょう?」
あのコ。平澤?
「うちの近所をラフな格好で手を繋いで歩いたり。そのまま一緒にマンションに入ったり」
レイさんは煙草を気持ち良さそうに吸っている。そうしながら言葉をつづける。
「気をつけろって、ちゃんと言わないとわからないの?」
「写真、撮られたの?」
「当たり前でしょう? 記者なんてそこらじゅうに張りついてるわ。でも注意しなくちゃいけないのは記者だけじゃなくてもっとフツーのひとたちよね。イマドキは携帯で撮った写真がネットで流れる時代なのよ。もう少し気をつけてほしいわ」
「……で?」
レイさんは煙草の灰を落としながら、なあに? という顔でこちらを見た。
「写真、どうなったの?」
心臓がばくばく鳴っている。驚いたことに。里中あやなとの写真が世に出たほうがまだマシだと思っている自分がいた。
平澤との写真が出たりしたら。
平澤の生活はきっと目茶苦茶になる。
こちらの顔色が変わった理由に気がついたのだろう。レイさんは面白そうに笑ってる。
「そんなに心配しなくてもあのコは素人で未成年だから、目隠しか何かされて載るんじゃないの?」
それでも彼女のまわりで暮らす人間には彼女だってことはわかるでしょう。噂だって広がるだろうし。そんなことになったら間違いなく生活は一変するわね。
愉快そうにつづける。
何がそんなに楽しいんだ。性質悪いな。ったく。
「そんないまにも死にそうな顔しなくたって。ちゃんと抑えたわよ。だけど、これがインターネットの世界だったらもうどうしようもないわよ。止められない。未成年だ、素人だからって顔を隠してももらえない。もっと自覚、持ちなさいよ、アキ」
「……」
「あやなのほうがまだ相手としてはマシでしょう? 事務所としてもおんなじなのよ。だからあのコとの写真を抑えてもらってあやなとの写真に差し替えてもらったの。あやなはまだ知名度がそれほどでもないから。名前を売りたかったしちょう度よかったわ」
「里中あやなの人気はこの写真で落ちたりはしねえの?」
「さあ、どうかしら。一種の賭けよね。だけどイマドキの若いコはボーフレンドのひとりやふたりいたほうが健全だって思ってるんじゃないの? だからあなたたちがつき合ってるかどうかの真偽はある程度は曖昧なほうがいいわね。つき合ってるにしても同じ事務所の先輩と後輩の清い交際って感じに、匂わす程度でいいのよ」
清い交際? イマドキそんなのありなのか?
「とにかく。ムキになって否定したりしないでよ? こんな写真撮られてるのに往生際が悪いって思われるだけでしょ。イメージ、壊れるから」
「……」
悔しいので返事はしなかった。負けてる気がしてならないのは何でなんだ。
「アキ。こういうのはよくあることだから。あんまり気にしないの」
よくあること?
救いを求めるようにレイさんの顔に視線を当てた。ああ。弱ってんな俺。
「よくあることよ。いつだってこういう写真はタイミング良く掲載されるものなのよ。致命傷になるようなスキャンダラスな写真が出てしまったとき以外はやらせと思って間違いないんだから」
「……」
だけど。
そんなこと。
平澤や平澤の家族やうちの祖父に理解できんのか? どうやってわかってもらえばいい?
「また、そんな。いまにも死にそうな顔しないでよ。真っ青よ、アキ。……これからどこ?」
「……どこ、だっけ?」
頭は空っぽだった。「品川は?」
顔を上げ視線を泳がせてみた。
今日も学校まで迎えに来てくれた品川は、ここへ着いた途端姿を消していた。ここ最近ずっといつも以上にへらへらしてると思ったらこういうことだったんだな。どこぶらぶらしてんだ、あいつ。
「ケータイに電話してごらんなさい。あんまり怒ったらダメよ。品川、結構渋ってたんだから。だけどまあ、品川もサラリーマンだから。雇用主には逆らえないわね」
「別に、いいけど……」
力なく立ち上がって携帯電話片手に部屋を出た。
ずっと。平澤の顔がちらついていた。
平澤の。泣いてる顔。
俺は平澤を泣かせてばかりいる。そして。きっとまた泣かせてしまう。
ふと学校のほうは大丈夫なんだろうかという疑問が頭を掠めた。ああいう騒がれ方はオッケーなのか? まあ罪を犯したってわけじゃねえしな。それに。いまは学校のことまで考えられない。
今日仕事を終えたら取りあえず何時になってもいいから平澤に電話をかけようと思った。いま簡単なメールをすべきかどうか迷いながらエレベータを待っていると、非常階段の横に見慣れたいがぐり頭が見えた。