No.3-1~4 | アキヨシとカレン  ・・・少女漫画風恋愛小説・・・

No.3-1~4

 食事を済ませたあと、佐藤君のおじいさんと少し話をしてから佐藤君の部屋へと行った。

 佐藤君ってばおじいさんの前で平然と、早くあっち行こうぜ、とか言うんだよ。信じられる? どう反応したらいいのかわかんなくて困っちゃったよ。

 ダイニングもそうだったけど、佐藤君の部屋もよく冷えていた。外はものすごく暑かったから。汗ばんだ肌にちょう度いい冷たさだ。

「そのへん、テキトーに座って」

「うん」

 なんだかぎこちない。さっきからずっとそう。だからふたりきりになりたくなくて、いつまでも佐藤君のおじいさんと話してたんだけど。

 マルメゾンで会った女のひとのことが気になって、視線が合わせられなくなっていた。佐藤君もきっとわかってる。でも佐藤君、何にも言ってくれないんだよ。

 あのひと。モデルのセイハ、っていうひとだった。ファッション雑誌、お化粧品のCM、それから最近ではほんの脇役だけど、テレビにも出てる。佐藤君と同じくらい今、売れている。東洋的かつ個性的な、とっても綺麗な顔立ちの人。間近で見て、思わずぼうっとしちゃってた。

 一瞬だけ目が合った。セイハさんは笑っていた。全然敵意むき出しってわけなんかじゃなくて。でも、こちらに対して興味津々なのがありありとわかる瞳の色をしていた。モデルのセイハがだよ? わたしに興味なんか持つはずないじゃん。普通ならね。佐藤君と一緒にいたからだよ。その裏側にある意味も、なんとなくわかっちゃったんだ。

 もし佐藤君が、軽い調子で妬いてんの? とか訊いてくれたらそんなこと、考えなくて済んだのに。バカ正直な佐藤君は、彼女のことに全く触れてこないんだ。

 何があったんだろう。昔、そういう関係だったうちのひとり? 昔? 今は? わたしとつき合い出してからもそういうことってあったのかな? 全然なし? 本当に? 佐藤君は前にそんなことないって言ってくれたけど。わたしもそういうの丸呑みするみたいに信じちゃってたんだけど。今はどこまで本気にしていいのかわからなくなってきた。

 不安だ。すっごく不安。

 だって。

 男のコってそういうの、我慢できないもんなんじゃないの? 佐藤君は平気なの?

 こんなこと考えてるなんて佐藤君に知られたくないから口にはできないし。本で得た知識だけじゃダメだって。絶対言われるし。

「何か飲みもの持ってくるよ」

 こっちの態度が変だって気づいてるのに、何も言わないの。怒ったっていいはずなのに。

 バカだな。佐藤君は。

 わたしは頷くと、わざとベッドに腰を下ろした。佐藤君はちらっとこちらを見たけれど、顔色ひとつ変えないで部屋を出て行った。

 佐藤君が持って来てくれたコーラは、喉によくしみた。

 佐藤君はわたしの横には座らなくて、はじめ、自分の勉強机の椅子に腰を下ろしてた。

 夏休み、何するの? とか。そんなことを話したと思う。

 佐藤君の夏休みは仕事一色になってたんだけど、今日先生に呼び出されたばかりなので、ちょっと考え中なんだって。追試も受けないといけないみたい。

「この前、見たよ。ほら、あのドラマ」

 佐藤君はつい最近単発モノの学園ドラマに出演していた。これで二本目のドラマ。台詞は二本とも殆ど無し。だけどすごく目立ってた。存在感があるんだよね。

 佐藤君の表情が忽ち苦いものに変わった。

「うわ、やめてくれ」

頭を抱え込んでる。「マジいやなんだよ。ああいうの。恥ずかしいったらないね。俺ってテレビに向いてないと思わねえ?」

「えー。でも見てて楽しかったよ。表情とかちゃんと役に合わせて作ってて、いつもの佐藤君じゃないみたいだった」

「楽しいって、なんだよ。ヒトゴトだと思ってさ。平澤だって、もし自分が出てたらって想像してみろよ。絶対、恥ずかしいって」

「うーん」

わたしは笑った。「そうかも、ね」

「だろ?」

 売り出してから二、三年は露出を多くし、ファンが定着してきたら徐々に仕事を減らしていく、つまり仕事を選ぶようになる俳優さんは多いのだそうだ。だから今が一番忙しい時期なんだって。

「そうか。じゃあ、あと二、三年したら、ゆっくり遊べるってことだね?」

「え」

わたしの言葉に佐藤君はちょっと驚いた顔になった。「……それまで一緒にいてくれんの? そういうこと?」

「え? やだ。ち、ちがうの? 佐藤君はそういうつもりじゃないの?」

 佐藤君は視線をすっと逸らした。頬が赤く染まってる。多分こっちも。

「そうなら、嬉しいけどさ」

 うわ。こんな素直な会話は初めてだ。は、恥ずかしいー。

 佐藤君はコーラを一気飲みしてる。大丈夫? グラスを机に置くと、赤い顔が少しだけ真面目な顔つきに変わった。

「だけど、この仕事、ずっとつづけていくかどうかまだわかんねえし」

「え? そうなの?」

そういえば、前にもそんなこと言ってたっけ。「えー。信じられない。すっごく向いてると思うのに」

「は? 向いてる?」

「うん。あのね、この前、見せてもらったでしょ、ハヤセケイタのショーのリハ。すっごくカッコよかった。佐藤君、新人なんて思えないくらい、あんなたくさんのモデルの中でも目立ってたよ。存在感が全然違うの。ああいうのって、結局天性のモノなんじゃないのかな」

「……」

 佐藤君はこちらの言葉に複雑な表情を見せた。ちょっとだけ嫌そうな。でも褒められて悪い気はしないみたいな。

「佐藤君だって、ああやって舞台に立ってるときとかカメラ向けられてるときって、結構その世界に没頭してたりしない?」

 頬を引きつらせるみたいな笑い方で首を傾げた。

「どうだろ。自分じゃよくわかんねえや」

 ふと、あの日のことを思い出していた。派手な衣装を着て煌びやかな照明を浴びた舞台上の佐藤君。違う世界の住人みたいだった。それから佐藤君のマネージャーの悪い虫って言葉と、えみりさんのお母さんの、これからもアキとつき合っていくの、って問いかけ。

「平澤?」

 名前を呼ばれて顔を上げると、佐藤君の顔が間近にあった。

 じっと見つめる。

「そういえばさ」

 佐藤君が躊躇いがちに口を開いた。

「……」

「その、リハのときにさ、レイさんに何か言われて平澤が泣いてたって、そんな風に見えたって、品川が言ってたけど。……ほんと?」

こちらの考えてることがわかったみたいに佐藤君がそんな質問を投げかけてきた。「レイさんに、嫌なこと、言われた?」

 わたしは首を横に振った。

 ただあんな台詞を言われたくらいだったら泣かなかったと思う。やっぱり。佐藤君の存在を遠く感じていたときの言葉だったからあんな反応になってしまったんだと。そう思う。

 さっきのセイハさんのこともある。

 うわ。変なこと思い出しちゃった。忘れなきゃいけないって、蓋をしようと思ってたのに。

 セイハさんのことは訊いちゃいけないことなんだ、きっと。あー、やだな。一気に気持ちが沈んじゃう。

 わたしの恋は前途多難だ。

 どうしてもっとフツーの男のコに恋しなかったんだろうとは、もう、今更思わないけど。だって。好きになっちゃったんだもの、どうしようもないじゃん。

「平澤?」

「え?」

「何で、泣いてんの?」

 動揺してるみたいな佐藤君の声。え? 泣いてる? わたし?

 頬に指先を這わせると、濡れたものが触れた。

「あ。ほんとだ。なんでだろ」

「やっぱなんか言われたんだろレイさんに。何、言われた?」

「ううん。違うよ。ほんとに、違っ……」

 言いながら喉を詰まらせていた。う。みっともないな。

「平澤」

 そっと腕を伸ばして佐藤君に指先で触れようと試みた。届かなくて。抱きしめてくれたのは佐藤君のほうからだった。

 ふたりで一緒にいても寂しいときってほんとにあるんだね。だけどこうやって抱きしめ合うと不思議と暖かな気持ちになる。

「好き」

「……うん」

「……」

「……」

「暑いね」

「暑いな」

 ふたりで顔を見合わせて笑った。

 


 佐藤君のマンションをあとにしたのは五時を少し過ぎた時間だった。

 家で夕食を食べて、それから塾だ。佐藤君のほうはこれから仕事。どんな仕事なのかは聞かなかったけど。勉強のほう、本当に大丈夫なのかな。心配になる。会えなくなるってことだけじゃなく。やっぱり学校は、辞めてほしくない。まだ高校生でいてほしい。

 住宅街に入ったところに濃紺の外車が止まっていた。別にこの辺りでは珍しいことではないけれど。薄い色のスモークしか貼っていない車の中、運転席の男性と助手席の女性が顔を寄せ合っているのが見えてどきっとした。

 知らない振りで横を通り過ぎる。

 だけど、好奇心からちらっとだけ。ほんとにちらっとだけ、横目で視線を向けていた。

─── ……え?

 心臓が止まるかと思った。

 中にいた女のひとと視線が合ってしまってた。

 女のひとの元々大きな目がさらに丸く見開かれた。

 しおりちゃんだった。