宅急便の生みの親


ヤマト運輸の小倉昌男は 


運送会社に対して、


理想の考え方を持っていた。




当初、小倉昌男


”よい運送会社とは、どんな荷物でも


 たとえ大量だろうと、


 少量だろうと、


 いつでも 


 どこでも 安い運賃で運び 


 荷主に喜ばれる会社になること。”  




小倉昌男は、


ある日、


日本経済新聞のひとつの記事に目がとまった。



記事には。。。



”牛丼の吉野家は、


 牛丼以外のメニューは全てやめてしまって


 牛丼一本に絞った。”と書いてあった。


*注、現在の吉野家は、蕎麦やカレーライスも扱っております。だから。。かな。





小倉昌男は


記事を読んで。。。いて。。。驚いた。



”???”


”牛丼以外を食べたいと思っている客は、


よその店に行ってしまうではないか!!!”




”吉野家は、それでもよいのだろうか???”




小倉昌男は


さっそく、


牛丼の吉野家へ行く。




小倉は


牛丼を食べ終わって。。。


謎が解けた。




吉野家は、


牛丼一本に絞ったことで、


良質な肉を安く仕入れることができ、


味がよくて、


値段が安い。


そのうえメニューがシンプルなので、


注文を受けてから、


すぐに熱々の牛丼を提供することが出来る。


しかも


店員は素人のアルバイトでも、


オペレーションがシンプルなので


分に戦力になっており


人件費を抑えながら


クオリティーを維持することが出来ている。


結果、


お客は増え、収支も好調。


しかも


メニューがシンプルなので、


お客様のイレギュラーな注文も受けることが出来ていた。



(例)


”つゆだくだく”⇒ ”だく”の数が増えるほど、つゆをたくさん入れてくれという注文


”頭の大盛り” ⇒ ご飯の量は並盛で具の量が大盛りのこと


”ネギ抜き””汁抜き”などなど。。。



小倉昌男は、


このとき確信した。



” 運送会社も、牛丼の吉野家と同じだ!


 メニューを絞って 


 新しい業態を開発したら 道は開ける ”



”ヤマト運輸も、商業貨物は捨てて、宅急便一本で勝負をする。”



そして、ついに


1976年(昭和51年)の2月、


クロネコヤマトの宅急便がスタートした。



だれもが、


ヤマト運輸は失敗して大変なことになると思った。




小倉昌男が宅急便をはじめた時、


一般家庭の人々が、


小荷物を送ろうとしたとき、


送る方法は、ただ一つ、


郵便小包以外存在しなかったのだから。。。 


なのに、


一民間業者が、


日本国の物流(郵便局)に無謀にも挑戦したのだから無理もなかった。




ヤマト運輸、初年度の実績



ヤマト運輸の宅急便・・・・百七十万個



郵便の小包・・・・・・・・・・・1億七千八百八十万個





だれもが、



”ほら、いわんこっちゃない!”と笑った。(^∇^)







しかし、


小倉昌男の開発した、


宅急便は、


利用者にとって


とにかく便利なものだった。



乾いた草原に、火が広がってゆくように


人々の間に 急速に宅急便の存在が知れ渡ってゆく。



小倉の宅急便は、


初年度・・・170万個


二年目・・・540万個


三年目・・・1000万個を超える。



そして、とうとう黒字化を達成した。




宅急便の黒字化を見届けると。。。



小倉昌男は決断する。





小倉は、


三越百貨店へ向かった。




そこで 


小倉は、こう話を切り出した。



”百貨店がもっとも忙しくなる12月までの業務には責任を持って


 完遂させていただきます。


 しかし、


 2月以降は継続できません。


 大変お世話になりました。”




小倉昌男は、


三越百貨店から、


どんなに慰留をされても、考えを変えることはなかった。




ヤマト運輸、


飛躍のきっかけとなった三越百貨店。


ヤマト運輸 


初代社長の小倉康臣から受け継がれてきた


三越百貨店とヤマト運輸の関係はここで終わった。




昭和54年3月1日


つまり、


三越百貨店との取引が終了した次の日の夜。



場所は、


東京・白金の八芳園の宴会場。



にぎやかに盛り上がっている


ひとつの集団があった。



ヤマト運輸三越出張所に所属している、


もとい


”三越出張所に所属していた” 約200人の社員たちの姿だった。


小倉の話によると、


三越出張所が解散、消滅することになったので


出張所の”お別れ会”だったという。


それにしても、


ずいぶん楽しそうなお別れ会だった。



まじめな人間を怒らせると怖い。。。小倉昌男。


                                            (つづく)



小倉昌男のことば


”人から信用を得ようと思ったら、


言葉だけではなく、


 態度でも誠実さや真剣さなどを示さなければならない。


よく企業は不祥事を起こしたとき、


 会社の幹部がテレビカメラの前で申し訳ありませんと謝罪をする。


 しかし、世間は納得しないことのほうが多い、


 それは、


 その態度が


 心から謝っているようには見えないからだと思う。


 人々は、


 口先から発せられる言葉だけで物事を判断しているわけではないのです。”






山形の名物、食用菊♪



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