ディワリ舞踊祭が近くなって、ふと昨年の秋の事を思い出しました。

昨年の夏の終わりら父が調子を崩し、このまま寝たきりになるのではないかという状態になりました。

急に介護が必要になり、母の負担が大きいので手伝う必要もあり、仕事の勉強で月一回行っていた東京行きもその余裕はなくなっていました。

それでも何とか予定を繰りあわせ、東京へ行く事にし、さらにクチプディダンスレッスンを無理矢理入れて、という時、クチプディの先生が急にイベントで踊られる事になりました。

どうしても着いて行きたくて、親の状態を確認した上で、半日だけ予定をずらして、そのイベントに着いていきました。

その時に観た踊りがストレスフルな状態の心をどんなにら慰めた事か、心の中に小さな光を見つけたような、そんな思いでした。

幸いにもそのイベントの時に先生の踊りがビデオに収められたので、その後何度も見返して、親の介護が始まるかもしれないという暗い憂鬱な時期を乗り切ったのでした。

幸いにも、その後父は回復し、弱々しくも自立して生活できております。

ディワリの語源、ディーパ(光)ヴァリ(列)の真の光の意味とは心の闇の中に灯る光ではないかと思うのです。

あの時、暗い心の中に光を灯したのは踊りを観ることでした。

何がその人にとって光であり闇であるのかは、それぞれですが、

このディワリ舞踊祭が、すでに準備段階から自分にとっての光になっていることは間違いなく、願わくばご覧頂いた誰かの心の光にもなれたらと思うのです。
ゴッドファーザーといえばマフィアの親分と思っていたけれど、ゴッドマザーというの知らなかったワ。

インドのマイソールに行っていた時、向かいのお部屋に住んでいたOさん。

彼女はロンドンから夫婦でヨガを習いに来ていたのですが、私の鍼灸が気を気に入ってくれて、
滞在期間中よくやってあげていたのです。

そうしたら、体調がすこぶるよくなったとかで感謝されすぎじゃないかっていうくらい感謝され、毎日のように旦那様の手料理をご馳走になったりと、よくしてもらっていました。

その後Oさんは日本にも遊びに来たり、時々メッセージをやりとりしていました。


最近になって彼女が妊娠したという事を知り喜んでいたら、私に子供のゴッドマザーになって欲しいと言ってきました。

ゴッドマザー???

なにやら名誉職的な響きが・・・

しかし、それがどういうものなのかさっぱりわかりまへん。

ウィキペディアなどでは調べてみると、

代母とか、名付け親、とか。

彼らがどういう感覚で何を求めているのか?

いったいどうすればよいのでしょう〜

インド舞踊・バラタナティアム教室が閉鎖されてから、クチプディを習うようになった経緯。

 

長年習っていたバラタナティアム教室が閉鎖になって、2年程たって再び踊る機会が訪れました。

 

インド・マイソールにプチyoga留学をしているときに、バラタナティアム教室を見つけてしまったのです。

 

それが楽しくて爆  笑

 

それから、先生にお願いしてマイソールにいる間ほぼ毎日レッスンを受けました。

 

踊ることによってもたらされる魂の歓喜とでもいいましょうか、自分自身の深い部分を楽しませることができることに気がついたのです。

 

 

 

ある日、たまたま東京に行った際 ‘インド 独り舞ふ‘ という公演があることを知り、独りで観に行きました。

 

そこで、たまたまその日の司会をしていらしたのが現在のクチプディの先生です。

 

ずいぶん前に公演で踊りを観て、それ以来憧れの存在であった先生ですが、司会者の名前の紹介があるまで気づきませんでした。

 

帰りに勇気を出して話しかけ、そこからはトントン拍子に話が決まり、クチプディを教えていただけることになりました。

 

初めてのクラスが決まった日には興奮のあまりよく眠れなかったのを覚えています。

 

奇跡的な出逢い、私の人生においてちょっと遅すぎた感もありますが、この縁を大切にしていきたいと思います。