2/21 母ちゃんが逝きました・・・
どんな時も沢山の愛を注いでくれたやさしい母ちゃんでした。
また強い人でもありました。
どんな苦境でもけして弱音を吐かなかった。
その愛情と強さは最後まで健在でした。
呼吸器をつけるという決断は、とても重く
自責の念は少なからず残りました。
(苦渋の決断の様子はこちら)
http://ameblo.jp/yaku2tatsu/day-20150113.html
一旦つけた呼吸器を外して、もしも死んでしまったら医者は殺人罪を問われます。
だから中々、呼吸器をはずすということは難しい。
それが外せたのです、完全に!
目の前から撤去されました。跡形もなく!
でも順調だったのは2週間あまり。
私がGocooの公演で京都・伊勢を周って帰ると、容態が急変していました。
また呼吸器をつけることになってしまいます。
今度は肺炎と腎不全を引き起こし、徐々に体全体の機能が低下していきました。
そして
再度、呼吸器をつけてから1週間後、ついに2/21帰らぬ人となりました。
今思えば、もしかして
呼吸器をはずしたのは、「お前の決断は間違っていなかったよ」ということを
私に分からせるためだったのか?
そうに違いありません。
我が子が悩まされることがないように
懸命に呼吸器をはずして、力が尽きてしまったのでしょう。
とても深い愛情と母の強さを感じました。
自分も母ちゃんの死を受け入れる体制ができていました。
入院してからの3ヶ月
色々なことをやりました。
もう楽になった方が良い、と思えるようになっていました。
父の時もそうでしたが、死を受け入れるための時間をくれたのです。
そして絶妙なタイミング
1週間後にはフィリピンツアーが控えています。
前は京都・伊勢ツアー、自分が企画した味噌作りWSがありました。
亡くなってから、明日の通夜・葬儀まで
ちょうどそばにいれるタイミングがここしかなかったのです。
母ちゃんは、そこまで気を配っていたのか、
本当に不思議な力を感じます。
深い深い愛情を感じ
出てくる言葉は、親父の時と同じ
ただただ「ありがとう」です。