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なんでも魔法で片付けてしまうのはもったいない

物語のなかに魔法を出すとき、魔法があらゆる知識や技術のメタファーであるとか、その世界では物事が物理現象ではなく精霊や妖精が実在して森羅万象を引き起こしているとか、通常の物理現象の上位に位置するなんらかの技術体系であるとか、魔法は存在しないが不思議なものは全部魔法だと思い込んでいるとか、世界観の中での位置づけをはっきりさせて扱わないと、魔法の存在が物事を深く考えないことの言い訳にしかならないと思うんすよ。
ファンタジーだから細かいことはいいんだではもったいない。

森羅万象を司っているのが魔法で、四大元素と水金地火木を司る精霊が引き起こしている世界観であれば科学技術はお呼びでないし、例えば金属を精錬するとなれば風と火と土の精霊と仲良くして手伝ってもらうようなふわっとした世界観になりますが、そういう世界では精霊や妖精と意思を通わせたり、拘束して使役するのが魔法使いということになってきますよね。
そこに銃を出すなら薬莢の中には火薬ではなくて火と風の精霊を閉じ込めるとかいう作り方になってきそうじゃないですか。

または大気中に気体のように『マナ』粒子が存在していて、言語や身振り手振りでマナを操作することで通常の物理現象に介入できるであるとか。
マナで水の分子を加速してお湯にしたり気体に変化させたり逆に凍らせたり、大気中の水分子を集めて雨を降らせたり、水分子を酸素と水素に分離して水素爆発を起こしたりできる。
マナにも質量があるので、満月と新月の日は潮汐力で密度が高くなって効果が高くなるとか。

逆に魔法は存在しないのに願望としてだけ存在するのであれば、花畑を作りたい場合、植物の繁茂に必要なのは窒素・リン・カリウムだ、水を撒きすぎると土壌が塩性化したり酸性化する、塩性土や酸性土には石灰を撒け、とかいう知識を持ってる人が魔法使いとして扱われる。
それが結果的に魔法と呼ばれれば魔法ですし、本来の魔女とか賢者というものでしょう。
現実では科学を装ったニセ科学が魔法のように扱われてますけどね。

人類が物事の因果関係を解き明かす知恵をつけないように上位存在が与えたのが魔法だ、魔法を使えば全てが起きる、人は成長しなくていい、深く考えず永遠に冒険ごっこをしていなさい、という設定なら、それはそれでひとつの世界観ではあります。
最強の武器はチェーンソー。


下手ほど魔法のアイテムに夢を見る

ギター弾いてて寝て起きたら寝る前に持ってたピックがどこかに行ってしまったので、在庫の最後の1枚がなくなったことだしせっかくだからZARDライブのバンマス大賀さんと同じピックにしたら、下手くそは変わらなくてもせめて弦を弾いた音だけは近づくのでは、と思ってウッキウキで探したら『ジム・ダンロップ製のオリジナル』とあって1ターンキルで夢が終了しました。


では次は通信教育の師匠織田哲郎先生。

なるほど。
Spot onな動画ありがとうございます。
何の変哲もない量産品というところにむせる。
魔法のアイテムに夢を見ず練習します。


まあどうせ引きこもりだし、部屋片付ければなくしたピックが2、3枚は床から見つかるんですけど。


注文したらほらでてきた。

ZARDにもある炎上案件

最近人気のグループのPVが炎上して謝罪した件は、内容的に猿の惑星のパロディみたいなもんで、CM降板は企業の判断でしょうがないとはいえ、そこまでボロクソ言われるようなものかと正直思います。

露骨にコカ・コーラの販促すぎる歌詞がだめとかまで言われてますが、タイアップ先からこの単語入れてくれとかはよくあることなのでそこを叩くか?


歌詞が絶賛されているZARDの『揺れる想い』の「青く澄んだ〜」ってポカリスエットのイメージカラーで青くなってるんだし、『君がいたから』の「輝く季節の中で夢は〜」ってのもドラマのタイトルが『輝く季節の中で』だからだし。

歌詞が中性的でいいとか言われるのも、タイアップの関係でターゲットを男女で限定したくないという理由だし。

『新しいドア〜冬のひまわり』も冬の販促でタイアップ先から新しい感じがほしいということでタイトル変更してます。そもそもが五木寛之さんの小説からタイトルパクりという説もありますが。

 『もう少しあと少し』が「気まぐれな九月の雨に〜」なのも、もともと歌詞は「四月の雨」だったのをドラマと発売時期に合わせて9月に変更してます。

4月の雨は確かに気まぐれですが、9月だと台風とか夕立の土砂降りで、少女が傘さして歩いてる場合じゃないような気もしますが、細かいことは気にするな。

僕がそのへんで歌ってる時は、庵野監督がウルトラマンからカラータイマー取ってしまうように「四月の雨」に戻してます。


『カラッといこう』はフジテレビ『めざましどようび』のオープニングテーマだったので歌詞に「さあ皆さんニュースです〜」と入れて時事ネタなども盛り込んでます。

「朝日に向かって目覚めましょう」はフジテレビ的にライバル局なので立ち向かうということでいいのかな。


そんなZARDの坂井泉水こと幸子さんですが、完全無謬の聖人君子ではないので、当時SNSがあったら叩かれてそうな案件もあります。

エロビ疑惑以外にも。


ZARDの撮影って基本的に放牧スタイルで、幸子さんが街ブラロケのように自由に動き回るのをスタッフが遠巻きに撮る感じなんですよ。


『Goodbye my loneliness』と『不思議ね』、『もう探さない』のPVはかの岩井俊二監督がイメージを作り込んで撮ってますが、1枚目以降あんまりセールスが奮わなかったせいか、素でカメラを意識させない方向になりました。


 

 

おしゃれスポットを探して歩き回りながら適当に撮るという危ない撮影スタイルで、『悲しいほど貴方が好き/カラッといこう』のときはカラッと行き過ぎて許可を取らずに喫茶店で撮影してたら、店主がすっ飛んできて「何やってんですか」と怒られるということがありました。(場所は伏す)


海外ロケの時には、路肩に止めてあったバイクに無断でまたがって撮影してたら、コワオモテの持ち主が帰ってきちゃってバッタリ出くわしたことがありました。

あっさり許してもらって、なぜかそのままタンデムで乗せてもらうというよくわからない展開になりましたが。

ニューヨークで信号機にぶら下がったりは現地の撮影スタッフの指示でやってるんですが、日本ほどうるさくないにせよ許可とかそういうのはどうだったか謎です。


 

『果てしない夢を』では長嶋監督とつてがなく、撮影許可が取れなかったので監督の行きつけの寿司屋で待ち伏せし、幸子さんが寿司屋で長嶋監督に酌をしながら酔っ払わせて「いいよ」と言わせ、そのままさらってレコーディングしました。

なんかイイ話みたいになってますが、『エリア88』の神崎みたいな手口で、球団関係者としてはどうだったでしょうね。

ちなみに幸子さんの好きな野球選手は高橋由伸氏でした。

そこは長嶋監督♡って言っておきましょうよ幸子さん。


 

(小学館刊 新谷かおる『エリア88』1巻)


 何をしたからがっかり、見損なったもう嫌いというのは愛ではない。

いま試されているのである。

次回も幸子と地獄に付き合ってもらう。