百五十年の循環 日本人は何故、桶を捨てたのか  | 常常日記

百五十年の循環 日本人は何故、桶を捨てたのか 

面白い話をめっけたのでのっけとこ。。。
(元記事はここ。。。


百五十年の循環 日本人は何故、桶を捨てたのか

                        桝一市村酒造場 セーラマリカミングス

かつて桶屋の木槌のたたく音が「コン、コン、コン」と日本中に聞こえていました。特に秋になり酒造りの準備が始まるころは喧しく聞こえたものでしたが、ミレニアム以上の年数をもつこの音が今、消えそうになっています。

 何年か前に味噌屋を訪ねて、昔酒屋で使われた桶をまだ今も使っていることに驚きました。素晴らしい雰囲気でした。その時言われたことは、今の酒屋は桶を使っていないので、いまの桶が駄目になった時はどうしようか。この桶が使える間はOK(桶)なのですがということでした。数多くの酒蔵を訪れて感じた事ですが、古い桶は大切に保存されているだけで一つも使われていない現状を大変残念に思いました。生きている文化が一番面白いと思います。古くから伝えられている伝統がただ単に博物館に陳列されているだけでなく、実際使用して次のまた次の次の世代に伝えていけるし、そうすべきです。

 以前、桶は殆ど地元の材料で作られました。日本は大変素晴らしいリサイクル(再利用)出来る文化を創りました。地元の山で育った木が桶に作られ、何十年酒屋が使った後、味噌屋で七十五年から百五十年ぐらい使われ、その後醤油屋のもとへゆく。味噌や醤油をつくるには古桶で十分で、むしろ桶に残るほのかな酒香が好まれたという話もあります。塩分が強い味噌や醤油に使うなら、ちゃんと手入れすれば、桶は数世紀も持つものです。

 でもその循環の輪は、昭和三十年代に酒屋が木桶を次々にホーロータンクに替えていくと、崩れ始めました。同時に地元の山の手入れしていた樵の仕事から桶の材料を準備することが消えました。かつての協力システムが崩れたので、今は桶職人が独自にすべての桶作りのプロセスを背負うようになっています。

 日本の木桶をつくるために200種類以上の道具があります。この道具を作った人も早い時期から、消えてきて、今も続いている桶屋は古い道具を購入したり、自分自身で工夫してつくることになっています。

 それにしてもなぜ酒屋は、あんなに潔く木桶を排除してしまったのでしょう? 
 酒屋の側にも、理由はありました。木桶よりタンクのほうが、微生物の動きを制御しやすく、またより低コストで酒ができると考えられたこと。そしてタンクにすれば、桶洗いも修理も木桶より簡単です。また自然素材である木桶に入れておくと(課税対象となる)お酒が自然に目減りしてしまう「欠減」現象を、国税庁は長年問題にしていました。木桶は「衛生的でない」という保健所の見解もありました。こういうお役所側の物の見方が、木桶の排除を早めたことは否めません。

 さまざまな理由と、「効率」や「衛生」を重んじる価値観の変動の中で、酒屋は桶を捨てていきました。それは時代の流れだったかもしれない。けれども……そうして酒屋という得意先を失った桶屋さんは、廃業に追い込まれ、大桶をつくれる職人は今では数えるほどです。

 しかし今は、木桶を見直す人が増えています。木桶は唯一、空気を通す器です。微生物は、ツルツルのホーロータンクには棲みつけないけれど、木桶ならば息をついて棲みつける。だからこそ木桶では醸造がうまくゆき、味噌や醤油がおいしくできる――と、このごろよく耳にします。ならばお酒にだって、実は「桶ならではのよさ」を活かせる道はきっとあるはず…。

 食べ物の世界では今、「効率」から「スロー」が見直されています。もう一度酒屋が原点に戻り、今の技と考えで桶を使ってみると、全く新しい味わいの世界が生まれる予感がしてなりません。

 また、ホーローやステンレスのタンクとは違い、桶には四季があります。春には、空桶の天日干し。秋には桶師が来て竹を削り、箍を締め直してゆきます。そして寒の造りの季節、蔵から聞こえる蔵人たちの酒造り歌。そうした蔵の美しい四季の風景も、桶ならではの文化です。

酒屋の旦那は、地域文化のリーダーであるべきです。その酒屋が桶を捨てたがために、日本の醸造文化から桶という多様な魅力の詰まった玉手箱が消えてしまったら――今こそ酒屋の旦那が踏ん張って、酒屋から味噌・醤油屋への桶の循環や、技術を伝える人を支える仕組みづくりなどに取り組むときではないでしょうか。

 桝一は2000年に木桶で酒造りを復活しました。これだけでは桶の文化を活かせるためにまで足りないので、この三年間をかけてソサエティーを作ろうとは働きかけてきました。まだ桶の技術を若い世代に伝えるマスターが居るうちに動かないといけません。五年先では遅すぎるかもしれない。「はじめるのに、今日より楽な日は来ない」の精神で、桶オッケー!





そんななか、小豆島の醤油屋さんが木桶職人復活プロジェクトを
はじめたんだって!

以下、そこのサイトから。。。

日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
和食のベースとなる基礎調味料は
「醤油」「味噌」「酢」「味醂」「酒」などの発酵調味料です。
これらが素材の味を引き立て、
旬の食材をより一層味わい深いおいしさに仕上げるのです。

江戸時代まで、
こうした発酵調味料は全て「木桶」にて醸造されていました。
ちなみに発酵調味料の全ては、
乳酸菌や酵母菌などの「微生物たちの力」によって造られます。
人間が造るのではなく微生物が造るのです。
よって人間(醸造家)の仕事は彼らが暮らしやすい、
または居心地の良い環境作りのお手伝いをすることです。
つまり、
彼らにとって最高に居心地の良い環境を創ってあげることができれば、
最高においしいものができるというわけです。
というわけで、なぜ昔から木桶を使って来たかというと、
そこにたくさんの微生物たちが暮らせる環境があるからであり、
自然の力を借りるためです。
おいしさの基本は、
あくまで微生物たちが造り出す自然の恵みなのです。
だからプラスティックの入れ物ではダメなんです。
「木の桶」じゃないとダメなんです。
 しかし時代と共に木桶による醸造はどんどん少なくなりました。
コストがかかる。つまり、割に合わない。というのが一番の理由です。
結果、現在木桶を使った天然醸造による醤油や味噌の生産量は「全体の1%以下」となってしまいました。
合わせて醸造用の木桶を製造する桶屋さんも残すところ「1社」のみとなりました。
このままでは日本の伝統文化が消えてしまいます。
どうにかしなければなりません。
そこで2009年に可能な限りの借金をして、
桶屋さんに「新桶」を9本発注することにしました。
相当な覚悟が必要でしたが、もう後がありません。
その時桶屋さんから言われた一言が強力でした。
桶屋さんはこう言いました。
「醤油屋から新桶の発注が来たのは戦後初だよ。」

しかし、新しい木桶を数本作ったところで、
このままだと日本の伝統的な醸造文化が消滅するのは時間の問題です。
木桶には「寿命」があるからです。
一般的に木桶の寿命は100~150年くらいと言われています。
しかし現在使われている醸造用の木桶は
戦前に作られたものがほとんどですから、
おそらく約50年後にはほぼ全ての木桶が使えなくなってしまいます。そうなると、本物の木桶仕込みの醤油を造ることも、
本物を「味わう」という美味なる楽しみ方もできなくなってしまいます。和食を最大限に引き立てる本物の基礎調味料が無くなるという事です。
むろん、我々が生きている間は大丈夫ですが、
子や孫の世代には
「過去のもの」となっている確立が非常に高いのです。
つまり、先祖代々受け継がれて来た伝統を残すということは、
言い換えれば「味の記憶」を残すということでもあり、
それは先代に対する感謝の思いを後生に「繋ぐ」ということでもあります。
ですからここで終焉するわけにはいかないのです。

そこで、これらの問題を解決するため、
2011年の秋に「木桶職人復活プロジェクト」なるものを立ち上げました。
もしも、自分たちで「木桶」を作れるようになれば、
そうした不安は解消されると思ったからです。
また、できるかできないかという以前に、もう後が無いのです。
やるしかないのです。
周りからはアホか。と言われますが、
もう一度借金をして「新桶」を3本発注しました。
そして2012年の1月、
小豆島の大工2人と共に最後の桶屋さんに弟子入りしました。
発注した3本の新桶を使って、
作り方を直接教えてもらおうと思ったのです。

島に戻った後は、
竹箍(たけたが)を編むための真竹の選定や確保、
道具の調達、そして箍を編む練習などを繰り返しました。
また、師匠より漏れ止め作業や20~30年後の漏れにつながる部分を事前に対処する方法など、様々な木桶の構造や特徴を学びました。 そうして試行錯誤すること約2年。
夢に見た新桶が自分たちの手によってようやく完成しました。
2013年9月20日のことでした。
ちなみに木材は奈良県の「吉野杉」を使いました。
吉野杉は古来より船の材料としても使われて来た銘木ですが、
外圧に対して「しなる」という強さがあることから、
昔から命を預ける船に利用されて来ました。
命を預けると言う意味では木桶も同じです。
そこに何万、いや何億という微生物たちが暮らしているわけですから・・・。
つまり、木桶は微生物たちの命を乗せて旅をする船でもあるのです。ヤマロク醤油の「鶴醤」は約4年の歳月をかけて熟成させますが、
言い換えるならば微生物たちが4年の歳月をかけて旅をしてくれる賜なのです。
よって少しでも長く使うために最高の材料を使うのです。
そして箍(たが)には試行錯誤した結果に小豆島(近所)の真竹を使うことにしました。
組上げる際には、多くの仲間たちが手伝いに来てくれました。
木桶は小さな狂いが「漏れ」につながるため繊細な技術を必要としますが、仲間たちの協力のおかげでようやく組上げることができました。ほんと皆様に感謝です。

そして今後も小豆島で木桶を作り、
自分たちで作った木桶で醤油を造り続けて行きたいと思います。
加えて桶屋としても精進し、
志を同じくする醤油屋・味噌屋・お酢屋さんなどの依頼があれば、
木桶を製作販売もしていく予定です。
情報を共有し、
おいしさのネットワークを広げていきたいとも思っています。






そうなのか、いまの酒や醤油は
昔のものより
不味いのか。。。

ぼくが子供のころには
まだ近所に醤油屋があり
一升瓶をもって
醤油を買いにいった覚えがある。。。

桶屋はさすがに廃れていたとは思うが。。。


上質の竹や木を手に入れるのは
だんだん困難になってきているそうです。。。

うーっ。。。
曹操が記録した九醞春酒法が
日本に伝来して1800年。。。
美味しい樽仕込み醸造は
復活するのかしらん?????

いや、中国だから甕酒なのかしらん???