画面裏のアフリカ紀行
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アクスムとラリベラ 9

分厚い木の門扉の前には中に入り損ねた信者達が開くのを待っていた。内側から閂が掛けられていて、中からは太鼓の響きに合わせて朗唱される御詠歌のような聖歌のコーラスが聞こえている。ミサがクライマックスを迎えているようだ。少し待っていれば開くのだろうか?

エチオピアの庶民層には英語を話す人は少ないので、尋ねてみても要領を得た返事は聞けなかった。それでも、皆ウキウキした表情で扉の前にしゃがみこんでいる。教会内で催されているミサがひと段落すれば中から司祭たちが出てきて行列が繰り出すはずだ。その少し前には必ず扉は開けられる。その隙を狙うしかない。

15分ほどすると教会内部が静かになった。ミサが終わったのだろう。外で教会を取り巻く群衆がザワつきだした様子が伝わる。私の周りにいる人達もソワソワし始めた。いつでもスイッチを入れることができるようにカメラを構えたまま私は扉の前にスタンバイした。すると間もなく扉の向うに人が寄って来る気配があってガタリと扉が開いた。何人かが教会の敷地内に飛びこんでゆく。私もカメラのスイッチを入れたまま吸い寄せられるように門を潜った。

建物の周りに居た信者達は皆立ちあがって教会の出入り口を注視している。外の切り立った壁の上で教会を取り巻く群衆には、昂奮して奇声を発したり踊りだしているような者までいる。出入り口を半分ほど開けて出入りしていた司祭が大きく戸を開き放った。



画面裏のアフリカ紀行

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画面裏のアフリカ紀行

画面裏のアフリカ紀行

アクスムとラリベラ 8

 日の出はるか前の午前4時過ぎ。限られた場所にしか街灯のない町は闇に包まれている。そんな町にホタルの灯りにも劣るほどにか弱い明かりが静々と流れているのが遠目に見える。木の表皮を固めた蝋燭を手に教会へと向かう信者達だ。耳を凝らすとドンドンと打ち鳴らされる太鼓に合わせて朗唱のコーラスが幽かに聞こえる。教会内に集う司祭と神学生たちが唱える聖歌に違いない。

ホテルの部屋のベランダから聖ギョルギス教会の方向を窺っていると、教会の周りに集まる蝋燭の灯りが少しずつ増えていっているのがわかる。聖人の日のミサは既に始まっていた。一般の町民は陽が昇ってから参拝するが、熱心な信者たちはそのようにして暗いうちから参拝して何時間も祈りを捧げ続けるのだ。

密着ドキュメンタリーではないので暗いうちから撮影する必要はない。陽が昇る少し前に撮影を開始したが、すでに教会の外は人垣が幾重にも取り囲んでごった返していた。カメラマンがその様子をいくつもの角度から狙う。その間に車で迎えに行った農民親子が到着した。小高い所に構えたカメラが群衆の中の親子を捉える。

一方で私は小型カメラを任されていたので持ち場へと急いだ。最近のテレビ取材ではサブカメラとして小型のハンディカメラを準備していることが殆どで、とくにこのような祭りなどの千歳一隅の情景を逃さない為には欠かせない。この聖ギョルギス教会は十字架型をした教会の屋根部分からそっくり下に岩山が抉り掘られているので、中に入るには斜面を谷状に削られた参道を下り、トンネル状の入り口を潜り抜けてゆく必要がある。メインカメラ一台ではカバーすることのできない教会下側の様子を撮るのが私の役目だ。

人一人が通れるしかない巾に削られた参道には列ができていて、前の人を押し退けて行かない限り先には進めない。一見して分かる外国人でありムービーカメラを手にした私は、ゴメンナサイと声かけながら列を掻き分けながら先へと進んだ。しかし、ようやくたどり着いた参道の先、教会の中庭への入り口に続くトンネル状の入口へ続く木の門は閉じられてしまっていた。殺到する人の数を制限するためだった。これには困ってしまった。

アクスムとラリベラ 7

 テレビ番組の常として取材対象を素直に紹介するようなことは少なく、この回のラリベラの岩窟教会群という世界遺産を見せてゆくにあたって、町に暮らす信者一家の日常から入ってゆくという演出が取られた。よくあるやりかたではある。

 エチオピア正教会の信者は、熱心さの程度の違いこそあれ、皆敬虔な信者であることは間違いない。清く慎ましやかに暮らす一家。その暮らしぶりと信仰を通して、彼らが通う教会への導入にしようというのがディレクターの考えたことだった。そこで私は町の一画に暮らす農民一家を探すことにして、現地コーディネーターに探しに行こうと相談を持ちかけた。中年以上のエチオピアの農民には英語を解する人は少ないのだが、そういう教育を受けてこなかったのだから仕方ない。だから共通語のアムハラ語や現地語を話すコーディネーターは欠かせないのだ。

 なるべく慎ましやかな暮らし向きの一家で小学校低学年の子供が居るような家庭が望ましかった。ラリベラは小さな町ではあるが、町なかの商人とかでは、いわゆるテレビ的な意味で「画にならない」。町外れの地区に目星を付けて早朝に候補者探しに出かけた。

 町の中心は教会群がある山の上の方だが、そこから少し下った辺りの街道沿いに小学校が見えた。辺りには植林されたユーカリの林があってその間に小さな民家がポツポツと建っている。土壁で草葺き屋根の民家からうっすらと朝餉の準備で出た煙がたなびいている。

現地コーディネーターが車を止めて一軒の民家の敷地に入っていった。こちらは車の中で待っている。いきなり外国人が出てゆくと警戒されたりすることもあるので、話の持ってゆき方は任せておいた方が良いのだ。

 コーディネーターは庭先に繋いであったロバの世話をしていた女性となにやら話をしていたが、女性が家に入ると替わって小柄な男性が出てきて挨拶を交わし、それから数分の間二人は立ち話を続けた。やがて車に戻って来たコーディネーターは、説明をして了解は取ったけど取材対象として適当かどうか見てくれと言う。ディレクター、カメラマンと私は期待しながら民家に向かった。

 家の主人は38歳の農民で、実家は少し離れた村にあるのだが現金収入のために町に出てきていて、植林地の守衛をやっているのだという。30歳の妻と学童である15歳の息子と11歳の娘があり、その下に542歳前という32女の子を持つ7人家族。歯が欠けた笑顔が人の良さを印象付ける。控えめな妻と利発そうな長男とハニカミ屋の長女が良い。

家を覗かせてもらうと、4メートル四方ほどの一間に大きなベッドがひとつ。夜具のほかは腰掛けと簡単な物入れがいくつかあるだけの典型的なエチオピアの農民の質素さだ。

ディレクターもカメラマンも大満足だった。

 翌日は十字架の形に岩山をくり抜いて造られた聖ギョルギス教会の聖人の日の祭りがある。その祭りを見に行く親子の姿を狙うことにした。




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