やどかり族の育自日記

やどかり族の育自日記

やどかり族(宿借り族=転勤族)の妻の育児の日々。
つたない母と子供の成長を、鼻歌うたうように綴ります。
「好奇心」「対話」「自立」「多様性」がキーワード。今のとこ(笑)

ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。
転勤族の妻で、2人の子供(2011年生まれ女児、2013年生まれ男児)を持つ母です。自己紹介はこちら

子育てする中で、「どの方向に向かって子供を育てればいいんだ?」と疑問にぶち当たりました。
正解はなく、常に、自分はどうしたいのか?の自己問答です。

子育てに向きあうほど、自分の未熟さを痛感する日々ですが、
同世代の子を持つお母さんに、少しでも共感してもらえたら嬉しいです。

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ふと、胸がキリキリするような孤独に襲われることがある。

 

それは、そばにいると思っていた人が、

急に遠く感じられた時であったり、

結局、人は一人ひとりなのだ、と実感する瞬間でもある。

 

高校生時代。

皆で学校行事の準備を進めている最中、

打ち合わせを入れていたが、

他の皆が塾で全員不在で、私一人、会議室に立っていたことがあった。

誰も悪くない。受験生の夏なのだから当然だ。

でも、常に皆と一緒、の関係性から、一人ポーンと放り出された孤独感にさいなまれ、

真夏なのに、足元から凍りついていくようだった。

 

社会人時代。

会社のパンフレットを持って渋谷で飛び込み営業をして、

断られたりあしげにされたりするのを100回繰り返した。

足はクタクタなのに、見上げるビルは森のよう。

訪れてない会社は山のようにあった。

知らない人が流れるように私の横を過ぎた。

自分のちっぽけさが、痛いほど目の当たりになり、果てしない荒野に佇む気分になった。

 

孤独は、悪のように言われる。

ずっと孤独なのはしんどいけれど、

誰かとつながっていても、結局人は一人ひとりだ。

 

孤独が分かるから、深く分かりあえる。

一人できちんと立てる人が、

心から信じ合おうとするところに、絆が生まれる。

寂しさが分かるから、人に優しくなれる。

 

キリキリするような孤独に、

今年は何度も立ち会っていて、

それは、自分が自分の殻を破ろうとしているサインなのだと思う。

 

簡単につながってきた、居心地よいつながりに、

亀裂が入るかもしれない恐怖。

それでも、突き動かしてくる自分の何かに逆らえず、

孤独の中を一歩一歩進む感覚は、

近年稀に見ぬ、”自分の人生をちゃんと歩んでいる感覚”である。

 

”背筋を伸ばして、前を見据えて。

たとえケースは違っても、答えはいつも同じところにある。

どんなに複雑な問題も、当たり前の価値観に立ち戻ることなんだ。”

 

これは、高校生の頃、散々悩んで、悔やんで、孤独を突き抜けた先に、

廊下を歩いていたら、突如降ってきた言葉。

 

今の私は、あの時の延長線上にいる。

ほんの少しだけ、ふてぶてしくなって。

 

ひとりぼっちは、北極星の光

今日も、まっすぐ、一歩一歩。

 


「全部失っても、家族がいるからいっか」と思える、子どもたちの笑顔は宝です。

 


季節はすっかり初夏。

早いもので、来週からはプール開きだ。

6月とは思えない、真夏のような毎日が続いている。

 

一昨日、あーちゃん(7歳2ヶ月)の髪が伸びてきたので、

「髪、切ろうか?」

と、話しかけると、

「お店で切りたい」

と、返ってきた。

 

親が髪を切る年齢は、とうに過ぎてしまったようだった。

私は下手すぎて、ずっと前から拒否されていたのだけど(笑)

ここにきて、私よりもカット上手な旦那さんもお断り状態。

 

過去、幾度か美容院で切ってきたけれど、

今回は、あーちゃん一人で対応してもらうことにした。

 

「お店の人が、『どうしますか?』って聞いてくれるから、

自分で、どういう髪型にしたいのか説明してね」

 

と、告げると、冒頭写真のように、

あーちゃんは、自分のして欲しい髪形を折り紙にメモした。

可愛いのが、前髪メモ。

 

 

前髪は、ちょっとだけ切って欲しいんだって(笑)。

 

1,000円カットに娘を連れて行き、

チケットを買ってあーちゃんに渡した後、

私は、はる君(5歳0ヶ月)を連れてお店の外で待った。

 

日曜日の1,000円カットは、大人の男の人でいっぱい。

あーちゃんは、おじさま方に両脇挟まれながら、3~40分ほど1人で待って、

ちゃんと理想どおり”かたぎりぎり”のカットになって、お店の外に出てきた。

 

前髪は切らなかったんだって。

短くなりすぎると嫌だから、「切らなくていいです」と告げたそうだ。

 

ずっと一緒にいると気づきにくいけれど、

着実に、ゆるやかな成長の螺旋階段を一歩ずつのぼっています。

 


私が一人で美容院に行ったのは小学校4年か5年だったなぁと思いだしました。

あーちゃん(7歳1ヶ月)の「おうちの宿題」をしばらく辞めていたのだが、

約1ヶ月前から復活している。

 

「おうちの宿題」は、私が管理するあーちゃんの家庭学習のこと。

1年生の頃から、あーちゃんの様子をみながら、

3ヶ月おきに内容を試行錯誤している。

 

過去の内容はこちら

『おうちの宿題』振り返り (2017年4月~2018年2月)

おうちの宿題の撤廃 (2018年3月)

 

撤廃した理由は、

●学校の宿題が増えてきて、読み書き計算の学力を

 学校の宿題に加えて、さらに私がフォローする必要性を感じなくなってきたから

●親子の対話に、時間を割きたかったから

の2点。

 

何で復活させたのか?

何を取り入れたのか?を以下備忘録としてまとめてみます。

 

『おうちの宿題』の内容と復活の理由

 

『おうちの宿題』を撤廃した時、

すべての学力を親がフォローしようという発想を辞めた。

(発想を辞めた、っていうより、あまり考えてなかったんですけど)

 

学力(ここで言う学力は、読み書き計算の力のこと)は、
学校+家庭学習で賄えばよいので、

学校では補い切れない事を、『おうちの宿題』にしようと思った。

だから、学校の宿題が増えてきた時点で、

一旦『おうちの宿題』を全廃した。

 

宿題やテストから見えるあーちゃんの理解度合いや、

学校の宿題の内容を鑑みて、

学校ではフォローしきれない+あーちゃんに一番不足している力

の2点から、次の課題を取り入れてみることに。

 

■読解力を身につけること

 

■語彙力をつけること

 

学校の宿題で音読が出ているので、

音読を聞いている限りは、すらすら読めているように思える。

国語のテストも、1年生の1学期を思えば大分マシになった。

 

でも、新しい文章を読ませてみると、

易しい文章でも、一字飛ばしたり、一行飛ばしたり、

文章の意味が全然分かっていなかったりする。

 

成長とともに、これらも出来るようになるのかもしれない。

でも、学校の国語のテストって、

授業でやったことを答えるので、

読解力がなくても良い点とれたりするのですよね。

 

計算力は、算数のテストや宿題のドリルを見れば、

どの程度身に付いたかは測りやすいけれど、

読解力は、学校の国語テストでは、どうにも測りにくいように思え、

学校とは別に、『おうちの宿題』でフォローしようと考えた次第である。

 

語彙力がないと文章も読めないので、

毎日少しずつだけど、こちらもフォロー。

 

両方1ページずつしかやらないし、

論理エンジンは、小学校1年生(あーちゃんは2年生)なので、

双方合わせて10~15分くらいである。

 

『AI vs 教科書が読めない子どもたち』

ベストセラーとして巷で話題になった本で、

新井紀子さんの『AI vs 教科書が読めない子どもたち』がある。

 

 

新井紀子さんは、東大に入れるロボットを作る『東ロボくん』プロジェクトを

研究されていらっしゃる方。

その研究の最中で、受験生の読解力の無さが判明し、本書で警鐘を鳴らしている。

「この問題なら余裕で出来るでしょ」

と思っていた問題を、受験生の大半が間違えていて、

AIと戦うどころの話じゃない、という話。

 

『週刊 東洋経済』でも、新井紀子さんの特集が組まれていて、

AI時代に必要な力として”読解力”が取り上げられている。

 

 

また、埼玉県戸田市でこの新井紀子さんのリーディングスキルテストを取り入れ、

読解力を伸ばす授業を取り入れたところ、

多くの生徒が他の科目のテストの点も伸びたことが書かれている。

 

 

私の中で、ここで書かれている話と、

あーちゃんの上段で書いたあーちゃんの様子がすべてリンクした。

 

普通に学校の国語の授業を受けていても、読解力はなかなか身につかない。

なぜなら、雰囲気で解けてしまう問題が多く、

本当に理解しているのかどうかが、学校のテストでは分かりづらいから。

 

子どもが自律的に学習を進めていけるようになるために、

必要な親のサポートは何か、を考えた時、

この”読解力”は、最小限であり最重要なサポートポイントのように思えた。

 

きちんと文章が読める、というのは、

算数・国語・英語・社会・理科、すべての基礎だ。

 

◇◇◇

 

『おうちの宿題』は、あーちゃんが学校の宿題をやるタイミングに合わせ、

学校の宿題の後にやっている。

 

「宿題やった?」じゃなくて「9時に寝るよ」』で書いたとおり、

宿題をやるタイミングは、本人に任せているので、

だいたい朝になることが多い。

 

夕食後の時間は、親子の対話の時間にあてている。

ゆっくり皆で話したり、ボードゲームやったり、TanQファミリーの実験やったり、

映画を見たり、早めに布団入って絵本読み聞かせたりしている。

 

夕飯までは、友達と毎日遊んでいる。

 

毎回、『おうちの宿題』を試行錯誤するたび、

「これでいいのかなぁ~」という思いはつきないのだが、

今回は、この時間配分、私の干渉の匙加減は、

現時点で、ベストマッチだと思っている。

 


はる君もマンションに友達が増えてきつつあって、幼稚園後に友達と外で遊ぶようになって大助かり。

あーちゃん(7歳2ヶ月)の2年生の担任の先生は、

とても優しいらしい。

学校も楽しそうに通っている。

 

1年生の頃は、あーちゃんが自分でも言っているけれど、

よく怒られていた。

 

特に字。

ほんの少し見本からずれても書き直しをさせられていて、

持って帰ってくるノートはいつも直されて真っ赤だった。

 

娘から聞く先生からの”叱られ話”は、

怒られて当然、と思うこともたくさんあったけど、

もう少し他の言い方ないのかな、と思うこともあった。

 

1学期の前半は、朝、ほぼ毎日のように泣いてた。

忘れ物をして怒られることを、極度に怖がった。

(帰ってくるとケロっとして、友達と遊びに行った)

 

秋になったら、「学校に行きたくない」と1週間連続ダダをこねた。

行かない、という選択肢もありかもなぁと考えた。

考えたし、オルタナティブな教育についても調べた。

 

結局、その後、クラスで”けん玉名人”に君臨したことで、

1年生の後半はテンションが復活。

何だかんだで、1年生の先生のことも大好きになったみたいで、

最後は楽しそうに通った。

 

◇◇◇

 

この一連の、あーちゃんの気持ちの浮き沈みを傍で見ていて、

ひとつ学んだことがある。

 

親は、むやみに子供の出来事を事件化しない、ということ。

 

子供の変化に気づいてあげられなくて、

痛ましい事件に帰結してしまった例もあるので、

「事件化しない」が、全てのケースにあてはまるなんて思わない。

 

どんな教訓だって、ケース・バイ・ケース。

それは、何だって変わらない。

 

でもね、例えば、

「先生、その言い方はあんまりなんじゃ・・」と思っても、

すぐに、騒ぎ立てずに静観してみる。

 

周りのお母さんに愚痴を言うのではなく、

冷静に、先生に意見を言ってみる。

 

「担任はずれたー!最悪ー!そんな言い方ないよね!」

と、大きな事件が起きたかのように、騒ぎ立てない。

騒ぎ立てているうちに、「よくあること」でも、

何だか大げさに捉えられてしまうから。

 

子どもの成長は、線でつながっている。

1点だけを見ていたら、一大事に思えることでも、

そこを乗り越えた先に、子供の成長が待っているかもしれない。

 

例えば、あーちゃんに見られた成長は、この2つだ。

 

◇◇◇

 

1つ目は、先生への手紙。

 

1年生の後半になっても、

相変わらず真っ赤に訂正された宿題やテストを

持ち帰ってきていたあーちゃん。

 

宿題をやっている時、私が、

「先生もさ、こんな風にして、30人分漢字の直してくれるんだから、すごいよねぇ」

と、あーちゃんに言った。

 

そうしたら、あーちゃんもうなずいて、

プリントのすみっこに、こんな付箋を貼って提出した。

 

”いつも、30人ぶんのなおしをみてくれて、ありがとうございました”

 

漢字の直しを毎日、イヤイヤやっていたけれど、

こういう言葉を先生に贈れるようになったのなら、

それは、彼女の、内面的な成長だ。

 

先生からも、どういたしまして、というコメントと、

花丸が書かれて帰ってきた。

 

私が思っていた以上に、娘と先生の間には、

親からは見えない絆が生まれていたのかもしれない、と思う。

 

もう一つは、2年生になってからの言葉。

 

「あーちゃん、学校楽しい?」と聞くと「楽しい!」と返ってくる。

「先生のことすき?」と聞くと「好き。優しい」と返ってくる。

 

そして、そこに加えて

「でも、漢字は●●先生(1年生の担任)の方がよかった」

と、あーちゃんが言った。

 

「どうして?」と、聞いたら、

「今の先生は、あーちゃんが汚いなぁって思った字でも丸するから」

と、返ってきた。

 

そういうの、分かってるんだなぁと思った。

汚い字も丸つけてもらえた方が、楽じゃん?

赤ペンで直されたら、宿題で書き直さなきゃいけないんだもの。

 

でも、ちゃんと直してもらえた方がいいって、

そういう言葉が言えるんだなぁと感心したのである。

 

◇◇◇

 

子供の成長は、いつだって通過点。

良いように見える時も、

悪いように見える時も、通過点。

 

「よくあること」で流していい時と、

そうでない時の境目の判断は難しいけれど、

子供は乗り越える力を持っているってことを、

あーちゃんに改めて、教えられた気がする。

 


子供の成長っていうか、自分だって、いつだって通過点。

「海が大荒れの時は、心の小瓶のふたをしっかりしめて、嵐が過ぎるのを待つ。

そうすれば、小瓶の中だけは穏やかな光が差し込むから」

 

と、いうのを、何で読んだのか思い出せないけれど、

どこかのWEB記事で拝読した。

 

昨日は、はる君の5歳の誕生日で、

5年分の写真や動画を、家族みんなで布団に横たわって見返していて、

「かわいいね」「なつかしいね」と、思い出に浸った。

「これからも写真や動画、いっぱい撮りたいね」、と。

 

幸せだった記憶は、心の小瓶だ。

 

もしも、外の天気が大荒れになったら、
キュっとふたを閉めて、外の空気をシャットアウトして、

幸せだった時の記憶に浸る。その瞬間だけは、穏やかな光で満たされる。

 

だから、今を残すのは、
未来の私のためでもある、と思った。

いつか嵐が来ても、ちゃんと乗り越えていけるように。

 

これは、1ヶ月以上も前の話だけど、
私の小瓶に詰めておきたい記憶なので、今さらながら残します。

 

**

 

2018年4月8日(日)。
その日、午前中、打ち合わせがあったので、

子ども達を旦那さんに託し、私一人都内に出かけた。

 

翌日は、私の誕生日。
当日は平日の為、一日前倒しして、
8日の夜に誕生日パーティーをしてもらえる事になっていた。

 

打ち合わせから帰宅すると、
子ども達が「ママ、誕生日おめでとう!」と、小さな花束を差し出してくれた。

リビングの壁には、

「ママ、誕生日おめれ(で)とう」「ママた(だ)いすき」と書かれた作品たちが、

たくさん飾りつけられていた。

 

 

壁には、下記の100円玉の絵も飾られていて、
描き主のはる君(4歳11ヶ月)に、「これは何?」と尋ねると、

「ママを買うため!」

と、返ってきた。(ママ安い(笑))

 

 

花束は、旦那さんが子ども達をイオンに連れて行ってくれて、

みんなで選んだくれたのだそうだ。

 

家族みんなの気持ちが嬉しく、

じわじわと、ホッカイロみたいに、温かさが効いてきた。

 

子ども達に両脇を挟まれ、母子3人で写真を撮ってもらったのだけど、
その写真が、全員とても良い顔をしていて、
見るだけで、一気に当時の幸せ感が腹の底から湧き出てくる一枚になった。

 

部屋は散らかっているし、
子ども達も普段着。

スタジオで撮影したような”綺麗な写真”では無いけれど、

 

放り投げられた私の仕事カバンも、

床に落ちた折り紙も、

たたまれてない洗濯物が入った洗濯カゴも、

 

すべてが”今”を刻んでいて、愛おしかった。

 

全部に一生懸命で、愛が詰まっていたこの日のことを、

小瓶に詰めこんで、幸せ貯金する。
 

小瓶に詰め込むということは、書くことと写すことだ、と思った。

 


あとから”振り返る”っていう所に、幸せがあるんだろうなぁ。振り返らなきゃ、ただ忘れてしまう。