体罰自殺を受けて大阪市長橋下徹氏及び市教育委員会は、件の高校の体育科廃止、入試中止を決定した。様々な論議を引き起こしている。
生徒側は「生徒の自殺と私たちは関係ない!」橋下市長「自殺者が出たことを皆で重く受け止めるべきだ」。教育評論家「子供達にあんな会見させたのは誰だ!」など。
いろいろな議論が会って当然である。橋下市長のの思い切った決断に賞賛も多い。
しかしある意味この事件確かに体罰教師と自殺した生徒だけの問題ではあるまい。学校と生徒、市と市民の関係、それ以上に広がっていく可能性はある。
つまり市側の責任逃れのために今回の決定をしたとも思えるのだ。学校以下に責任を押し付けて収束させようと言う意味が見え隠れする。
個人的なことを言えば大津のいじめでこのような決断をすれば、市民およびニュースを見た国民の怒りは加害者生徒側に向くであろう。これはこれで正しいという見方をする人もいるだろうし、私も以前「高野連による連帯責任は当然」とブログに書いたことは有る。
しかし、今回の怒りの矛先は市、学校、体罰教師ではなく「騒いだ自殺生徒の遺族」に向けられやしないか心配してしまう。
イラクの人質事件の初期の頃「三馬鹿事件」の時は左翼的思想を持った連中の自作自演の噂、日本に居る人質家族の騒ぎ様、解放の交渉、帰国の手続きにどれだけの人の手をわずわされ、税金を使わされたかで非難が集中し、誰も喜ばなかった。しかし次に人質にされ、実際に首を斬られた若者に対し、やはり非難が集中したのか家族は騒がず、殺害後も「国はよくやってくれた迷惑かけて申し訳ない」というコメントをしていた。
今回の事件も「学校側、先生方はよくやってくれた。うちの子が迷惑をかけて申し訳ない。体育科廃止、入試中止もうちの子は望んでいないと思う」というコメントがもしかしたらいたずら電話などで「強要」されたことなかったか?と勘ぐってしまう。
でなければ件の体育教師個人を刑事告訴しようとは思わないだろう。
このようなケースは。学校側のやり方、教育委員会の指導がなってないとして学校や市を訴えるものが多数であるが…と疑問に思った。
今後もこのような思い切ったやり方が賛否両論、賛成派なら絶賛されるだろう。教師側の現場の話を聞かされれば確かに事情も多々あると思われる。もちろん体罰はあってはならないことである。権力非武装の立場としては