◆ ひらかな盛衰記 源太勘當
全五段の「ひらかな盛衰記」の二段目の最後にあたります。
人形浄瑠璃が原作の時代物です。
三段目の最後にあたる「逆櫓」の公演は割とありますが、「源太勘当」は久しぶりの上演です。
「源平盛衰記」というものが素材になっていて、これを簡単にかいたものだよ~、という意味を込め、「ひらかな盛衰記」というタイトルにされたそうです。
というわけで源平の戦いの時代です。
ひらかな盛衰記は、源義経が木曽義仲を討ち、一の谷の合戦に至るまでを描いています。
源太勘当はあまり本筋には関係がないです。笑
主人公は、梶原源太景季という鎌倉時代の武士で、箙に梅の枝を差して戦場を駆けた、という逸話がある美男子です。
源頼朝は、弟の源義経に木曽義仲を討つよう命じます。
ここで宇治川の戦いが起き、この戦いに梶原平三景時[錦之助]は、長男の梶原源太景季[梅玉]とともに出陣しました。
次男の梶原平次景高[錦之助]は仮病を使い、出陣しません。
源太の恋人である腰元の千鳥[孝太郎]を、この隙に横取りしようとしているのです。
しかも平次は源太を陥れ、家督を手にいれようと狙っています。
出陣した源太は、佐々木高綱と先陣争いをし、負けてしまいます。
この時代、先陣をきる武将がかっこいい、とされていたので、味方同士で先陣争いをすることがよくありました。
場所は梶原平三景時の館。
平次の部下である横須賀軍内[市蔵]が、平三からの書状を持ってやってきます。
その書状には、宇治川の戦いで源太が先陣争いで遅れをとり、さらには先陣争いにも負けたことに腹をたてた平三が、源太に切腹を命じるということが書かれていました。
それを聞いた平次は、これで家督も千鳥も自分のものだと喜びます。
館に帰ってきた源太は、母の延寿[秀太朗]に先陣争いの模様を話し始めます。
そこで平次は源太が後れをとったことを責めたて、父の命令どおりに源太を切腹させるようにと延寿[秀太朗]に迫ります。
しびれを切らした平次は源太に切りかかりますが、投げ飛ばされます。
そして平次は逃げ出し、延寿と二人きりになった源太は、先陣争いの真相を話し始めます。
実は宇治川の戦いが始まる前、勝ち負けを占おうとした平三の矢が、間違って大将の白旗に当たってしまう、ということがありました。
そのお詫びとして平三が切腹しようとしたのですが、佐々木高綱のとりなしで、死なず済んだのです。
この父の受けた恩を返すため、源太は先陣の手柄を高綱にゆずったのでした。
延寿に全てを語った源太は切腹しようとしますが、母は死んでは主君に申し訳がたたないと、それを諭します。
そこへ軍内が現れます。
平三の書状どおり、源太を切腹させるようにいいますが、延寿は「阿呆払いにするのが当然」と源太の衣服をとりあげ、古布子に荒縄の帯という姿にし、勘当を言い渡します。
(阿呆払いとは、江戸時代の刑罰の一つで、不届き者が武士の場合は両刀を取り上げ、庶民の場合は裸にして追放する、という刑です。浅野内匠頭などもこの刑を受けています。)
平次を含む皆がその姿を見て大笑い。
そんな中、延寿は平次に向かい「西国へ向かって戦功をたてよ」といいますが、これは本当は源太への励まし。
延寿が奥へ引っ込むと、平次と軍内らは源太に切りかかりますが、反対に散々に打ちのめされてしまいます。
立ち去ろうとする源太に、延寿は選別として鎧櫃を与えます。
なんとその鎧櫃の中には、千鳥が。
源太は延寿の情けに感謝し、千鳥と共に館を立ち去るのでした。
見どころは中盤にある先陣問答の場面。
平次や腰元の千鳥もからんできて、とても面白いところのようですが、時代物なので、聞くのが大変かもです。