強き者よ
そう言えば、これまたBトレの話も長いことしていない、、、^^;
実はこの春にまたまたありがたくも「辞令」をいただいた。
行く先は、と言えば、
うっ、、、、、( ゚ ▽ ゚ ;)
「資料作成命」の企画系部門。
休みは取る由もなく、朝な夕なに提案書提案書、、、
こいつはきっと休む間もあるめぇっ!
またブログのアップが滞るに違いねぇっちゃ、、
、、といろいろ考えてみたのだが、なんだそれならば今と
全く同じやないかと、、、、
そんなワケで始めようと思う。m(_ _)m
待ったと言えば待ちに待った。
Bトレに「キハ85」のお出ましである。
いくつかある中の待っていたひとつである。
(ちなみにあとはキハ40、キハ81、787系あたりである。)
ホンマにこの「重戦車」待っていたのだ。
愛すべきキハ181を失った今、旅館屋の「推しメン」に
近い存在である。
実車がこれ↑であるから短尺Bトレとはいえ、その精緻な
造りはなんだか感動モノである。
さすがは日○夢工房、、
親会社がホンモノをこしらえているだけにリキが違う。
反対側の貫通部も完璧な表現である。
幌の部分に先に溝が掘ってあり、そこに差し込むという
Bトレにあるまじきこだわり。
いやはや、組み立てしていて涙モンだったのだ。
キハ85の実車は1989年(平成元年)に登場している。
外装から見ての通りだが、いわゆる「平成っ子」である。
しかし、登場して既に20年以上も経っていたのだなぁと
思うと、そら旅館屋もおっさんになるはずなのだった。
キハ85が駆逐した相手はかの名車「キハ82」である。
日本の気動車の歴史に輝く大物。
そんな大物をいともあっさりと蹴り飛ばしてしまった。
優美なスタイルでファンも多いキハ82。
切れ長のライトケースにパノラミックウインドウ。
日本が産んだ傑作車両には違いない。
ただ、こいつには致命的な弱点があった、、
『非力』なのだっちゃ、、、(-_- ;)
キハ85と較べて言うなら、重戦車と軽トラックぐらい。
わかり良く言えば、曙と舞の海ぐらいの差である。
日なたで昼寝している豆ダヌキ↑にしか見えないが、
ならば85の俊敏性は曙クラスかいな、というワケでも
全くないのだった。
軽快なカミンズエンジンの音を響かせながら、山坂を
ずんずん登っていく。
キハ85は「駿足重戦車」なのだった。
82が息も絶え絶えにえっちらおっちら登っていた飛騨の
細道を軽々と行き来する重戦車、、
そんなモノに昭和の残党が勝てるはずはなかったのだ。
その速度差はいかんともしがたかった。
岐阜-高山間で便によっては30分近い短縮。
急行を特急化したのではない。
特急の車両を代えただけで、その効果なのだった。
名車82と言えど、平成のパワフルブラザーには手も足も
全く出ず、あっという間に瞬殺、、、
というのが、昭和から平成に時代が変わる頃。
飛騨の山坂で起きていた出来事である。
実は旅館屋はキハ181は大好きであったにも関わらず、
何故かキハ82はそれ程まで好きではなかった。
これまた本人すら意外な事実である。
前面の造形はともかく、側面のメンテナンスフリーな
ステンレスにオレンジ帯のみ(窓枠のブラウンは◎)、、
デザイン的にはいつもならばこき下ろすタイプの車両
にも関わらず、キハ85が「推しメン」であるという理由、、
今回、この話を書いていて不惑も後半にしてようやく
旅館屋本人もそのワケに気付いたのだ。
それはおそらく多分、、、
ば、馬力にある車両が、好きなんやろな、、(-。-;)
間違いなし、、、
そして、子供の日も直前にして、何故だか雪景色の
アップといういささかの時差野郎状態。
そうなのだ。
この写真は2月に撮ったものである。
それを今頃になってアップしている、、、^^;;;
ひ、ヒマがねぇんだっちゃっ!!(-_- メ)