自分にとっての友達ってなんだろな。
って考えてみても、これっていう答えは見つからない。

それぞれに対しての自分があるし、全ての友達に対して同じ自分ってわけではない。
どれも自分だし、意識して創ってるわけでもなく、自然とそうなっている。
だから、友達に限らず自分以外の”人”って言うのは、自分の鏡なんだなって思う。

「友達はこうあるべき」っていうものをもっていないから、色んな自分を見つける事ができる。

それは、何に対しても言える事で、自分自身の未来に対してもそうだし
もっと広い範囲で捉えた未来に対してもそう。

あの時、あの人がいたから・・・
っていう出逢いの連続で、今の自分がいる。

今、高校時代の親友が日本から遊びにきてくれている。

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卒業してからもこうして繋がっているっていうことは、それなりにお互い感じるもの、通じるものが何かしらあるからなんだろうなって感じる。

いつまでたっても、変わらないものがそこにはある。
変わらないものがありつつも、お互い進化・変化を遂げてきた。と思う。

ともだち。
親友。

親しい友人。
親みたいな友人。

うん。
まさに彼女は親みたいな感じがする。
お母さん!って呼びたくなる。

だから親友っていうのかな?