哲学などなど その3
差別、について。
人には自尊心があります、自分はエライ、でも他の人も偉い、互いの自尊心を尊重しよう、、これは丸で人類共通、共有の理念のようにも思えます。
しかし、、その中身をよく見ると少し違いのある場合があると思います。
アダムとイブはリンゴをかじる、あのアップルのマーク、、までは完全で完璧な存在、神に似せて作られたモノでした。。
ところが禁断の実を食べた後は堕落し、追放されて苦役を与えられました。
これに向き合って努力すれば、元々はデキル子なんやから・・という、エライ人間観がありそうです。
白人の警官には 「自分の努力」 があったのかも知れません。
他人に対して 「努力の不足」 を感じた時、差別してしまったのかも知れません。
自分はどの階級、クラスにいるか、その上と下はどうか、施しをする側かされる側か、、などなど。。
プラトンの哲学、イデア を思い出せば、まさに人類が共有できる思想にも思えます。
ではアリストテレスの批判は当たらないのか、また、理想を共有して貰いたい勢力によって利用されているだけかも知れません。
昔の歌の歌詞に、、♪ 人間だけが偉いんだなんて事だけは思わないでください~ ♪ と言うのがありました。
人間はエライ、自分はエライ、他の人も偉い、という、そのエライ、という事の中身には実は微妙な違いがあるという気がしています。。
共同生活する人類は古今東西、歴史的にずっと人間社会を人々の自尊心のうえに成り立たせてきた事もまたその通りな気がします。
そのような必要不可欠な自尊心には実は様々な違いがあり、決して同じじゃないと思います。。