先祖と治水
3年ほど前のマンションが傾いた事件の時、くい打ちの話を書きました。
→こちら
https://ameblo.jp/xyav/entry-12089815022.html
要は、私の先祖がくい打ちで失敗し、夜逃げしなければならなかった、と言う内容です。
この時はマンションが話題になっていたため、単に くい と書いたのですが、実はこのくいは、川べり に打ったものでした。
ムラから集落に対し、くい を打つよう指示があり、一本だけどうしても岩盤が硬くて最後まで打ち込められず、仕方なく 上に突き出たところを切って誤魔化した。
それがばれて逃げた。
川べり ですのでこれは治水です。
別に土木工事の業者でなくただの百姓だったのに、命に代えても くい を打たねばならなかった。
それくらいに 治水 が重要でした。
ムラを守るのは治水だ、という事だったのでしょう。
この度の水害を見て、昔から治水の重要性を知っていた、いま、それを思い出させられているんだな、と感じました。
私の先祖も治水で苦労したのでした。
災害が多い国ならではの治水。
国民が対立し分断していてはこれに立ち向かえません。
誰が、という、個人の責任を問いにくい国柄がこうして醸成されました。
私のトラブル、裁判は先祖から引き継いだモノにも関係しているのですが、なぜか日本では、裁判官の判断、とは言わずに、裁判所の判断と言う表現をします。
和解の話し合いのテーブルの表記も、裁判官、でなく裁判所。
裁判官個人を表面に出さず、組織として行っていると言いたいようです。