天災 と 天才
小さい頃 テンサイは忘れた頃に来る、のテンサイは 天災ではなく天才だと思っていた。
天才とは天賦の才能を与えられた者、であろうが、そもそも天才は知っていても天災と言う言葉も知らなかった。
そのような特別な才能の人が突然現れて奇跡を起こし人々を導く、と言うイメージで何となく考えていたが、そのような良いモノが与えられる事なのではなく、実際には悪い災いの天災が降りかかる事であった。
天災は人知では防ぎようの無い恐怖が突然天から与えられる事になるが 全く他になす術なく私達は天や自然を抗えない畏れとして向き合い受け入れる以外になかった。
そして才能と言う災いとは全く反対の幸福も天から与えられる天賦のモノとして考え、天や自然を畏れ敬う理由としてきたのである。
災いも天から与えられ また才能も天から与えられる。
私達は宗教心信心の少ない国民と言われるが 自然を畏れ敬う心がその代わりとなってきた。
いや代わりと言うよりは 恐怖をも超えた畏れは祈りとなり宗教であるとも言えるかもしれない。
このような全ての人の生活を一瞬にして根こそぎ奪ってしまう混乱の極みを受け入れるには 誰か一人の指導者によって広められる軽薄な宗教では何の役にも立たず、大自然そのものが全ての支配者として君臨する神をも超えた存在となり、宗教そのものともなる。
そして天は私達にただただ
「畏れよ」
と命じ 全ての人が今その声を聞いている。