【1】映画『エンドレス・ポエトリー』感想と考察 | 空白の瞬間

【1】映画『エンドレス・ポエトリー』感想と考察

久々にグッとくる映画に出会ったのでじっくり考察しながら回想したくなって
自分のための覚書兼感想文をツラツラ書こうかと思います。


【この映画の作風について】

アレハンドロ・ホドロフスキーと言えば
鬼才と呼ばれる世界的に有名な映画監督だそうですが
私は今まで全く存じ上げなかったので、Koziさんの紹介をきっかけに勢いで見て
なかなかに衝撃を受けました。

今まで見てきた映画とそもそも概念が違う。

表現とはこんなにも自由でいいんだっていうことを
ストーリー性ではない部分からも教えてくれる作り方でした。
物語展開や演技よりも画的に魅せる迫力を強く感じて
非現実的な描写や展開が次々繰り広げられるので柔軟な見方が要される作品。
「マジック・リアリズム」と形容される手法なんですね。

それはとても正しい1人の視界。
恐らく「印象や象徴」を重視した描写になっていて
無機質に感じたことはモノクロの静止画で表現されたり
生命力を煽られる衝撃的なものはカラフルに描かれたり
色味や躍動感にも監督の価値観を映していたように思います。

「このシーンはこういうことなのかな」っていう
独自解釈を浮かべながら見ないと意味が分からない少々難解な映画でありながら
「その感覚私の中にもあるある、すごく分かる」って共感の糸が繋がると
描かれたシーンの美しさに胸を打たれる、そんな芸術でした。

また、R18指定とあってモザイクなしの全裸やアダルトシーンも多々あります。
「人間」を描こうとした時に
飾るべきものと脱がせた方がいいものを極端に使い分けられていた印象。
見えづらいものを派手に分かりやすく、生々しいものはとことん生々しく。
それが彼の目に映った真実なんだろうなと。

内容は88歳になった監督の自伝映画で
前作『リアリティのダンス』に続く2作品目でありながら
まだあと3部作りたいと語っているそう。
思春期・成人期が描かれたので
現在の年齢まで全部描こうとすると5部作になるんでしょうか。
私の年齢以上の主観で描かれる作品にもとても興味があります。

前作『リアリティのダンス』から繋がっているお話なので併せて見るとより理解は深まりますが
これだけ見ても十分楽しめる作品でした。



■以下ネタバレ■
 

1シーンずつ考察しながら回想していきます。
勝手な解釈なのであくまでもこんな見え方もあるよ程度に。
明快な映画解説ではなく、私の記憶にあるものを書き連ねた読み物です。

映画館には2回足を運びました。
1回目を見た後に思い出せる限りバーっとこの記事を書き
確認の意味を含めメモを取って再度鑑賞(手元見ずに静かに殴り書き系)。
1回目と2回目の間に『リアリティのダンス』も見たのでそこも踏まえつつ。
でも詳細な言い回しは違うとこ多々あると思いますのでご了承下さい。



【無機質な引っ越し先】

豊満ボディな母サラと、ヒトラー役もイケるんじゃっていう厳格そうな父ハイメ。
12歳当時のアレハンドロ少年を含む親子3人が
船で港へ辿りついて寄り添うシーンから始まります。
前作の続きで、故郷トコピージャから首都サンティアゴへ引っ越してきたという設定。



母サラのセリフは全てオペラ調に歌い上げていますが
他のキャストで歌う人はいません。
最初は「ふわふわした穏やかキャラ」の象徴なのかなと思ったけど
監督の実母がオペラ歌手に憧れていたことに由来するのだそう。

港には大量の人…のパネル。
皆仮面をつけているし、乗ってきた紫の船も骸骨が立っていたりしてちょっと不気味です。
希望を感じる要素はなく、来たくもないところへ来てしまったという印象。


【住みたくない街】

ここで早くも現在のアレハンドロ・ホドロフスキー監督本人がナレーション役で登場。
店のシャッターが下りて人気のない通りの真ん中に立って
今は廃れているけど以前は商売が盛んでにぎやかな場所だったことを説明します。

 



すると演劇舞台のように営業中の店の大型パネルがスライドし、当時の街並みを再現。
そのパネルを運ぶ黒子もしっかり映っていて、映画なのに舞台を見ている感じに。
そこには怪しい薬売りが居たり、娼婦が客引きをしていたり
活発な当時の光景が広がります。
人々は皆仮面をつけている。

そんな通りで突然の殺人事件。
不自然に内臓がべろんと飛び出た人が倒れると
数人の子供たちが我先にと死体に駆け寄り、金品を奪って走り去ります。
大勢の目撃者に囲まれながらも大騒ぎになる様子はなく、日常を描いたシーンのよう。
死体のリアリティは重要視されず
「腸が飛び出してる人が転がってた」というインパクトを強調した演出なのかな。

家の扉を開けたアレハンドロの足元にスプラッタ死体がゴロリ。
慌てて家を飛び出して街中へ駆け出します。
怯えるなら家の中にこもる方が自然なのにと思ったけど
親が経営する店を手伝うためのおでかけだった模様。


【父ハイメの権力】

店に到着すると父に遅刻を叱咤されます。
事情を説明しても「刺されたのはお前なのか?」という究極の質問。
関係ない他者の命より、店の経営の方がずっと大事という父の価値観が提示され
「万引きする奴を見つけたら合図しろ」と仕事を与えられました。
アレハンドロの感情は全く重視されず、外部の歯車となって動かされます。

そしてすぐに万引き犯の男女を取り押さえる展開に。
ブチ切れた父が男に蹴りを入れてボコボコにします。
攻撃される方もする方も感情が読める分、腸死体より痛々しいリアルな暴力シーンでした。
「お前もやれ!」と躊躇うアレハンドロにも蹴りを強要し、2人で万引き犯フルボッコ。

店の外につまみ出すと大勢の野次馬が足を止めて見ていました。
父は容赦なく万引き犯の女の服を引き裂き、全裸を晒して恥をかかせます。
この映画最初のフルヌードシーンは「貧困」の描写でした。
顔を手で覆って泣き出す女に、男が自分の服を脱いでかぶせて抱き締めとぼとぼ退散。

「うちの店で盗みを働いたらこうだ!」と野次馬に怒鳴りつけて威嚇する父。
現代日本ならイメージダウンで即閉店になりそうなものですが
強さを見せつけることで保たれる秩序が存在していた象徴のように
店の入口にはヒトラーの格好をした小人が立っていました。

万引き犯の男も小人ですが、この映画には低身長などのフリークスが複数登場します。
芸術と個性を扱うこの作品においては見た目の奇抜さも魅力の1つ。
ホドロフスキー監督の作品にはフリークスの出演が定番のようで
店先に立つ呼び込みの小人は前作にもいましたね。

妻サラは夫ハイメの暴行に対して「この支配したがり!」と嫌悪感を見せますが
「家族を養うのに必死なのに万引きを見逃せと言うのか!」と逆ギレされて黙ります。
ハイメのやり方に不満があっても、皆逆らえません。


【深く見えない絶望】

母サラの元にその母親がやって来ました。
早々に「ここは糞尿の臭いがキツイわね」「お母様、そのうち鼻は慣れます」という
なかなかにパンチの利いたやりとりの中で、おもてなしのケーキがテーブルへ。

 



お婆ちゃんの息子ホセの命日だとかで
2人で哀悼の言葉を口にし始めるとお婆ちゃんは嘆きっぷりがエキサイティング。
大号泣しながら「いちごケーキを喉に詰まらせて死ぬなんて!」と死因を叫び
そのまま、自分の顔面をケーキに突っ込んだんですけど!?!?
え、なにこのクレイジー婆ちゃん!
静かな映画館で笑いこらえるの辛かったよ…(笑)。

でも当のお婆ちゃんは悲しそうに泣き叫んでいて
「自分が感じる絶望って他人から見るとくだらないんだろうな」
って客観視させてくれるシーンのように見えました。

前作ではサラの父の死因も描かれましたが
電気をつけようと、たいまつを持って酒樽に乗ったら樽が割れて爆発炎上という
こちらもまるでコントのような死に方でした。
バラエティ番組でクイズ不正解の床が抜けてドボンみたいな。
死って恐怖とか痛みを連想しがちな一般論に反して
なんだかとてもあっけなく「死ぬときゃ死ぬし」みたいな価値観も垣間見れたような。


【母サラの権力】

母サラはお婆ちゃんに「失った息子の代わりを私があげる」と言っていて
前作で我が子アレハンドロは亡き父の生まれ変わりだと狂信していた名残もチラリ。
喪失を受け入れず代用するスタンス。
代用されるアレハンドロの感情を悪気なく無視するお花畑脳。
両親ともに「我が子=自分が自由に使える道具」のような価値観が見えます。

その頃アレハンドロは部屋で本を読んでうっとりしていました。
万引き犯が置いて行った荷物の中に1冊の詩集がありその魅力に陶酔。
映画タイトルでもある「ポエトリー」の由来である詩に対する情熱の始まりのシーンで
その憧れや情熱は果てなく続き終わらない、というテーマですね。

お婆ちゃんがお土産に持ってきたホセの遺品であるバイオリンを持って
両親が2階の部屋へ上がってきました。
父は芸術を認めず医者になれと言い本を窓から放り投げ
「詩人なんてオカマだ!男は泣くな!」と強い口調で批判します。
その態度に怯えるアレハンドロは親の言いなりになるしかなく、頷いて見せました。

母からバイオリンを渡され、音楽学校に通って習いなさいと言われます。
バイオリンケースは黒い棺型のようなデザイン。
個人的には格好いいと思っちゃうけど
「欲しくないもの」の嫌悪感を強調した表現だったのかも。
アレハンドロ自身それを指摘し、全く喜びませんでした。


【偶然の助言】

ケースを手に街中を歩いていると
たむろしている子供たちが寄って集って「死体を運んでる!」と冷やかしにかかります。
嫌々持たされてるのに更に嫌な想いをしたアレハンドロは
炎が燃え盛るドラム缶の中にバイオリンを突っ込んで捨ててしまいました。
わーバイオリン高いのに勿体ない!…っていうのは大人の感情ですね。

その時近くを通りかかった酔っぱらいの老人がアレハンドロにこう言います。
「裸の聖母が君の行く道を照らすだろう。燃え盛る蝶を使って」

この一言が彼に強い刺激を与えました。
背中を押してくれるものを待っていた時の肯定ほど響くものってないですよね。
例え何の根拠がなくても「大丈夫、君は間違ってない」って認めて欲しかったんだ。


【葛藤】

本は捨てられてしまったものの、タイピング機械をこっそり隠し持っていたアレハンドロ。
父に内緒で思い浮かんだフレーズを指先で打ち込む時間は至福に満ちていました。
分かる分かる、自分だけの聖域って幸せだよねと
ようやく個人的に共感が芽生え始めました。
私も絵を描いたり、物語を創作したり、好きなアーティストの曲を聴いたりして
趣味に没頭する時間に特別な幸福感を見出していました。

しかし「詩人なんてオカマだ」と罵られたことを気にしているアレハンドロ。
脳内にボムッと浮かぶ父の怖い罵声が邪念となり、葛藤するシーンが描かれます。
「オカマ!」「オカマ!」と叫ぶ巨大な生首はアニメのような描写。
ハッキリ覚えている声と表情のみが強調して描かれているかのようでとても伝わりやすい。



私の親も趣味への理解が皆無で
「成人するまでは親の言うことを聞いて生きなさい」と押し付けられてきたので
「そんなものが好きだなんて頭がおかしい」と頭ごなしに否定されることがよくありました。
大好きだったhideちゃんの訃報に泣いていても
「そんなくだらないことより勉強しなさい」と叱られたショックは忘れられません。

どんなに強く訴えても、どんなに大切に思っていても全否定され
親の意向だけが決定の全て、けれど想いは冷めないという思春期だったので
このシチュエーションは共感の導入としてとてもスムーズでした。

紙を丸めて燃やすことで、その時の父の生首は退治。
両親の帰宅を察してベッドの下にタイピングを隠し
親の意向通りの本を読んでいたフリをしました。
私もよくやったわそれ。


【父の教え】

母はキッチンでケーキを作り始めます。
父は店の売上金の勘定を始め、手伝うように言われ2人でお札を数え始めました。
ここにも突然黒子が出て来て面白かったな。
机にある花瓶を持ち上げると黒子が受け取って片付けたり。
お金に霧吹きして消毒するハイメは神経質なんですかね…。

詩人になりたい旨を打ち明けようとすると、突然大地震が起こり街も騒然。
「助けて!死んじゃう!」と父に抱き着くも突き飛ばされ
ソファの下に避難すれば容赦なく引きずり出す父の鬼畜っぷり(笑)!

そして「笑え」と言って、2人で狂ったように笑い出します。
「父=理解のない邪魔者」として描かれますが、私はここでは頼もしさを感じて
この教えに救われることがあったんだろうなと思ったり。
地震が静まった後の「ほら何ともない」の説得力よ。
「恐れが恐怖を拡大する」の一言に納得させられました。

 



そしてすぐに金勘定の再開。
キッチンで1人神に救いを請いながらケーキを死守していた母もまた
「素敵なケーキが出来たわ!」と能天気に歌いながら両手に抱えて見せに来ます。
恐ろしいほどマイペースな両親。
「よそはよそ、うちはうち」のレベルがすごい(笑)。

「そう言えば何か話したいことあったのか?」と父は気にかけてくれますが
色んなことに圧倒されて言い出せませんでした。


【虚像の表向き】

今度はクレイジー婆ちゃんの家に家族3人で遊びに行きます。
親戚も同席する中、母は手土産にスペシャルケーキを差し出しました。
お婆ちゃん×ケーキはヤバい予感しかしない(笑)。

また突っ込むか?突っ込んじゃうのか?とワクワクしながら見ていると
しゃしゃり出た親戚のおばさんがクリームを指でひとすくいして舐め
お婆ちゃんは糖尿病だから砂糖が多いものは食べさせられないと言って
母の目の前でゴミ箱にケーキを捨ててしまいました。
理由がどうあれ悲しむ母。
ケーキ可哀想…って私も一緒にショックを受ける(私はケーキの味方)。

父は親戚一同の前でアレハンドロに将来の夢を問いました。
ここぞと「詩人になりたい」と言うと「冗談だよな(笑)?」と無言の圧力をかけられ
「冗談だよ」と言って一同が医者を肯定する流れ。

母はポーカーを知らないからという理由で別室で1人編み物を命じられ
アレハンドロは暇つぶしに庭で鳩の餌やりをしてろと追い出されました。
邪魔者がいなくなるのを待ってたかのようにギャンブル大会の始まり!
必死に作った店の売上金をあっさりここに持ち込む父。
あれ?この人って堅実なキャラだったのでは…?

親戚が本を取り出したかと思ったら
パカッと蓋が開いて中から葉巻が登場し、全員が飛びつくように手に取ります。
お婆ちゃんも然り…健康状態はいいのか、おいおいどうなってるんだ。

テーブルの下ではイカサマのやりとりが行われていました。
父が勝てるように賄賂を渡し、親戚が強いカードを回してくれた模様。
しかし更なるどんでん返しでお婆ちゃん勝利。
親戚はそれを全て見越して中途半端なイカサマ商売をしただけであり
グルになっていた一族に父がハメられた形だったよう。

お婆ちゃんがケーキを食べない理由も
皆に宣言させたアレハンドロの将来の夢も
父の堅実そうな生き方も
入れ物には見えないただの本も
ギャンブルで勝てるという甘い誘惑も

ぜーーーんぶ嘘!(…に見えました)


【他人の宝物の価値は分からない】

心にもない医者という夢を皆の前で宣言させられ面白くなかったアレハンドロは
堪忍袋の緒が切れてしまいます。
上品に手入れされた庭の木を唐突に斧で切り付け始めました。
「クソババァ!クソな一族め!」とか叫びながら。

家の中にいた大人たちが「何の音…?」と慌てて庭を見て
「うちの大切な木になんてことをするの!」と悲鳴を上げて大パニック!
アレハンドロはふてくされて物に当たっただけのように見えましたが
皮肉にも、大切な夢を簡単に潰そうとする人たちへの仕返しになっていました。
バイオリンと言い、その価値を分からぬ者は簡単に壊すことが出来るのですね。


【ネバーランドへの招待】

大騒ぎする親戚たちから走って逃げ去ったアレハンドロは
ようやく自分の本心をぶちまけられた達成感に興奮していました。
ネクタイを外して投げ捨て、あてもなく急ぎ足で前に進んでいきます。

それを追いかけてきたのは同年代の従兄弟リカルド。
自宅に帰らないのなら、アーティストが集まる家へ行くといいよと案内してくれます。
親は不在で子供だけが自由に暮らすとか…えっ、何そのネバーランドみたいなとこ。
思春期の私にはそんなオアシスなかったのにズルい。
相田みつをの本を勉強机に広げて家出したのに1時間で連れ戻された思い出。
しかも暫くそれをネタにからかわれる屈辱もセットでしたよ。

迎え入れてくれたのは優しそうな姉とバレリーナの美少女の妹。
普通の映画ならこの美少女がヒロインとなる恋愛物語に発展していくだろうに
あくまでも可愛いバレリーナがそこにいたという物理でしかない物足りなさ。
一般的な欲目とアレハンドロの目は違うのですね。

木を切ったクレイジーエピソードと詩人であるという紹介だけで大歓迎され
暗唱している詩がないのならと即興を求められます。
「ブラーボー!」
花開かない夢追い人がたくさんいる現実を考えてしまうと
詩人=素晴らしい!という方程式で歓迎されるのはズルいなと思ったり。
この家は本来成り立つ筈がなく、人で溢れ返ってしまうのではとか。

っていうことを考えると、選ばれし者のみが入れた家だったのかもしれないなぁ。
他の住人も有名になったとかいう情報をどこかで見ました。
手塚治虫や藤子不二雄が住んだトキワ荘を思い出します。


【実験】

従兄の少年リカルドはアレハンドロに想いを寄せる同性愛者でした。
カルメン(バレリーナの姉)に打ち明けると
「アレハンドロは男の子よ、あなた…そうなの!?」と驚くも顔を引き寄せて抱き締め
その笑顔にはほのかな感動すらあるように見えました。
決して一般的ではない同性愛という特殊な感情を見出し
それを自身が認めたことだけでも、何か素晴らしいことのように。

結論を急ぎ「それでどうするの?」と聞かれ
彼にその気はなさそうだから何もしないと消極性を見せると平手打ち。
決められたレールの上を歩くんだと不本意な自分の人生を見据えるリカルドに
「仮面を脱ぎなさい。勇気を出して!」
と行動を起こすように煽り、彼も賛同してしまいます。
個人的にこの展開は「そう簡単に言うなよ…煽った罪は重いからな…」という感想。

案の定アレハンドロは告白を拒絶しました。
しかし「思い出にキスをしても?」と迫られると「君には恩があるからいいよ」と唇を許し
少年同士の濃厚なキスシーンが訪れます。

リカルドは少しの希望を持って「何か感じた?」と尋ねますが
アレハンドロは唇を拭き「何も」と淡泊な回答。
「友達にはなれる」という提案を受け入れる余裕のなかったリカルドは
「もう二度と会わない」と言って泣きながら部屋を出ていきます。
可哀想に…胸が痛い。

「オカマじゃない!」

部屋に1人になった途端、アレハンドロはそう叫びました。
傷付けた罪悪感どころか、父の罵声を払拭出来た喜びを叫ぶアレハンドロ大物過ぎ。
「詩人だけど男とキスしても何も感じなかった!やった!」
ってそっちかーい!って突っ込みたくなりました。

インタビューによると実際は同性愛者に犯してくれと頼んで掘られる直前で拒絶したそう。
何度となく父に「オカマは財産を失い身を滅ぼす」と言われ続け
私が思うよりずっと強迫観念が強かったそうでこのシーンは彼にとって重要だった模様。
本当に男に欲情しないかどうか試さないと分からないという自論だそうです。


【芸術が爆発】

「兄弟を紹介するわ」と言って芸術の家に住む他の人たちの紹介。
何にビックリってドアを開けたアレハンドロが突然成人してる役者チェンジですよ。
父親役も成人のアレハンドロ役も、監督の実の息子だそう。
分かち合えなかった家庭環境へのトラウマから、自分の家族の絆を大事にしてるとか。

ガタイのいい全身タイツの男性が小柄の女性を肩に乗せたコンビの合体ダンサー
空中ブランコに乗りながら歌うソプラノ歌手
ピアノを倒し叩き割りながら弾くピアニスト
壁一面に大きな白い紙を貼ってペンキをぶちまけた自身の体をこすり付け
大声で喘ぎながら描く画家。
その属性にそのオプション必要ですかと面喰ってしまうインパクトのある芸術っぷり。

 



そんなアートを愛する者たちに囲まれて歓迎されるシーンが
この映画のジャケットとして各所で使われていました。



即興の詩を披露し、一同拍手しますが
ジャンルが違う芸術でもその魅力を理解して通じ合えるものなんでしょうかね。

バレリーナちゃんが有名な詩人の本をプレゼントしてくれて
落ち着いた部屋でじっくり好きなことが出来る環境を手に入れました。
抑圧された家庭内にはない希望を感じ、ようやくスタートラインに立った状態。


【対価の教え】

アレハンドロは自作の人形を使って住人たちに紙芝居のような劇を披露します。
大ウケし、バレリーナちゃんはお金をくれました。
「ここには何でもあって困ることなどないのに」と
アレハンドロはお金を使う価値が分からないようでしたが。
そう、この頃の彼はまだお金に困ったことがなかったんですよね。

賞賛すべきものには対価が必要であると伝えるのはとても大切だなぁと思ったり。
アーティストは商売色を出すなとか、無料が当たり前
という価値観を持つ若者が増えている恐ろしい昨今だからこそ。

お金っていうのは本来苦労しないと手に入らない財産であり
自分の手持ちを減らしてもいいと思える価値があなたにはありますよという
「本気の賞賛である証明」のような意味もあると思うんですよね。
口先だけなら適当な嘘でも済むけれど。
ファン活動として好きな人を支援する側にある私は日頃から強く意識していることです。


【求めていた解放感】

詩人が集まるバーがあると聞いて早速「カフェ・イリス」へ行ってみるアレハンドロ。
店内はシルクハットをかぶった老人男性店員たちが淑やかに歩き、客は俯き
色のないモノクロで描かれていました。
厳密にはフルカラーでありながら、なんと美しい光景なんだろうと魅せられましたね…。
本来ある筈の色味や躍動感や音がないというのは逆に強い衝撃を与えます。
こう表現した意味は何だろう?って気になりながら見入ってしまう。



暫くすると真っ赤なロングヘアで存在感抜群のダイナマイトボディな女性が入店。
メイクも濃くかなり奇抜なビジュアルで
店内の色は彼女を引き立てる為に消されたように見えました。
色を持つ女性ステラは色を持たぬ店内の者に何度となく叫びます。

「あんた達は無よ!」

このろくでなし!と置き換えられるような罵声っぽい言い方。
無=つまらないもの、色彩を持ってこそ豊かな人生
その心に詩があるか否か、ということを表現したシーンだったのかなー。

 



1人の男性が性的な目で彼女に誘いをかけると
ステラは自分の服をめくって両乳を見せた後、暴力をふるって殴り飛ばしました。
「あんたはこの胸に興味があんのか?クソくらえ!」みたいな。
抵抗感なく見せちゃう勇ましさは、彼女自身はそこに自分の価値を感じてないのだろうな。

ステラは2Lのビールジョッキを一気飲みし、ゴゲェッ!と派手なゲップをかまし
一般的な女性らしさを美学と認識する人ならドン引き待ったなしの強烈さ。
しかし、そんな彼女に心を鷲掴みにされたアレハンドロ。
バレリーナちゃんに心惹かれることのなかった彼は、普通など求めてはいないのだ。
思ったことをストレートに大声で叫ぶ強さは、退屈な世界を色付ける斬新な存在。
それはかつて彼が憧れたものであり、彼にとっての正義なんですね。

多くのロッカーたちがシド・ヴィシャスに憧れるのと近いんだろうなと思ったり。
「歩く欲望」って例えどんなにハチャメチャであろうとも
「一般的な正論を強いられること」にストレスを感じる者にとってカリスマになりがち。
究極のビジュアル系と呼ばれたMALICE MIZERの虜になった私の心理も正にこれです。
ものすごくしっくり来ました。


【彼女はまるで魔法使い】

嵐のように店内を立ち去った彼女を追いかけ、同じバスに乗り込みます。
話しかけることなくしれっと前の席に座ると
ステラは尾行を察し、呪いのように手を翳してアレハンドロを眠らせバスを下車。
なんなんだこの映画は魔法も使えちゃうのか。

目を覚ましたアレハンドロも慌ててバスを飛び下り
尾行を謝罪の上で詩人同士であることを打ち明けました。
「興味があるのは詩だけ?おっぱいや尻は?」
警戒が解けてステラは彼を受け入れますが
余程自分のアイデンティティを詩に委ねていたんだろうなぁ。

道端にも関わらず、突然アレハンドロの下半身を見せろと要求します。
査定結果は「純粋なピエロ」とされ「あんたの肖像画よ」とそこにあった像を示しました。
そんなぶっ飛んだことをするステラに「愛しています」と告白。
燃え盛る蝶がどうこう言ってたので
自分の詩人人生を照らす「裸の聖母」が彼女だと確信したんでしょうね。
自らの手で心臓を表現し、それを羽ばたかせるジェスチャーが素敵でした。



店を変えて2人で飲み、彼女の詩のメモを見せて貰いました。
アレハンドロは「天才!美しい!」と大興奮。
店員の女性に「踊りましょう!」と強制したり、寝てる客を叩き起こして「魔法だ!」とはしゃぎ
それを嬉しそうに眺めるステラの図。
アーティストとファンの関係あるある(笑)。


【アレハンドロの提示する対価】

ステラはアレハンドロの耳を強く噛みました。
「君の為に耳を差し出せるか試してる?差し出すとも」
本気の愛である証明に彼はそんな対価を示しました。

 



前作に描かれた麻酔なしの歯医者シーンなど幼少期から痛みには耐えてきたので
「それで本気が伝わるなら。愛して貰えるなら」という方法が沁みついてるんですね。
それって虐待児童の心理では。


【ステラの提示する対価】

「明日の夜中12時にイリスで」
彼女の指定した待ち合わせ通りに店に行くも現れず、呑んだくれて待ち続けると
ステラは飄々と男連れで店内にやって来ました。

ステラに「付き合う相手を選ばないと自分の株を下げるぞ」とか
憧れの詩人ニカノール・パラを模した人形を持って連れの男を批判したり
その詩人の作品の『蛇女』の話をしたり、悔しさから来る怒りを2人にぶつけました。
しかしそれは全て的外れ。

「実物はもっとハンサムだ」
私がニカノール・パラだ、蛇女のモデルはステラだと
目から鱗の事実を突き付けられます。
ステラはアレハンドロの為にニカノール・パラを紹介しようとしてくれてたのに
折角の好意も思いやりも伝わらなくてすれ違ったんですね。

アレハンドロは泣きました。
「君に託す」と詩人はステラを置いて店を出て行きます。

傷付けた罪悪感か、アレハンドロの本気が伝わったのか
ステラは今更名前を尋ね「A」と自分の手の甲に彫り「もう離れない」と宣誓。
アレハンドロもその血に口づけして喜びました。
あ、コレ世間では厨二と言われるヤツだ。

「私は処女よ。挿入以外なら何でもしましょう。
 私は神が降りてくるのを待ってる。あなたには代わりに唾液を飲ませてあげる」
何故か中途半端な許容と拒絶を宣言され絡み合うようにキス。


【無自覚の奴隷】

「一緒に歩く時はあなたのイチモツを握る」と
アレハンドロの胸元から下半身へかけて掌でなぞり、股間を握りながら歩く約束をします。
普通に考えて恥ずかしいし意味わからないけど普通に考えてはいけないのか。

女性優位であり、飼い慣らされてるように見えますが
アレハンドロにはその構図が見えなくて舞い上がってる感じでしょうか。
「私はあなたを愛さないけど、あなたは私に一途でいなさい」ってことかな。

彼女の気まぐれでそのままステラの下宿先に転がり込む流れに。
住人を気にして靴を脱いで忍び足で帰宅するも突然靴を放り投げたり
ステラは何を考えているのかよく分からない。
そして床が軋む音が動物の鳴き声みたいでユニーク。

「愛する女の裸を見てはいけない」とベッドシーン序盤は目隠し。
背骨に沿って髑髏が描かれ、太ももにもカラフルなペントが施されたステラの体。
これだけの極彩色を放っておきながら、見た目じゃないものを見て欲しいということか。
事後も自分の乳首に絵具でペイントしてましたね。
個人的にはステラの髪の毛をもみしだく光景に笑い声我慢するのが必至なシーンでした。
なんで、なんでそんなにムツゴロウさんしちゃったの。



ステラの家に食糧は僅かしかなく、調達を命じられます。
彼女の役に立ち、側に置いて貰えることに胸をときめかせて快諾したアレハンドロは
実家に戻って親の金をくすねました。
努力度低めかつ安全でセコいなオイ。
でも結局すぐには自立出来ないっていう風刺と思えばしっくりきます。
どんなに反抗したって親の力に頼って生きてきたのです。

札束を花束に模して差し出すと
「涅槃がやって来た!」とステラは大喜びしました。
金づる感すごいけど大丈夫か。


【心を圧するコルセット】

アレハンドロ×ステラのベッドシーン直後は両親のベッドシーンでした。
実はステラと母サラは同じ女優さんだそうですが1回目は全く気付かず衝撃。
親に似た異性を好きになる定説でしょうか。

息子の帰りを待つサラを宥めるようなハイメ。
しかし「医者の息子が欲しかった…」と悔しさをにじませており
そうでない息子は特に必要とされてないようにも感じます。
お金をくすねに帰宅したアレハンドロが花瓶を倒してしまい両親に気付かれますが
飛び起きて顔を確認することなく寝たままドア越しに声かけて二度寝。

サラはハイメのストレス発散のように愛のない行為として抱かれることが多かったそうで
レイプの副産物のように孕んだアレハンドロのことをよく思っていない節があったんだとか。
ってかそんな話を息子が知ってて映画にするって凄いな…。
この時に母が身に着けているコルセットは
自分の意思を抑圧して夫の所有物になっていることを意味していることが後のシーンで明らかに。

 

 

【トラウマが詰まったパンドラ】

握りながら歩く姿はまるで犬の散歩。
その夜も2人はイリスへ足を運びますが
従業員が亡くなったので営業せず、店内では葬儀が行われていました。
白い花に囲まれて白い棺で、統一されたコントラストが美しい。
本来も葬儀はモノクロだし、店員は老人ばかりだったしイリスは「死」のイメージなのかな。
イリスとは虹の女神のことだそうで、ステラのボディペイントとの関連性を察したり。

私は酒が飲みたいんじゃー!とばかりに休業にキレたステラは
連日発砲騒ぎがあるというヤバそうな店へ、抵抗するアレハンドロを連れて行きます。
彼女の身を案じてステラの胸元を服で隠そうとしますが
余計なお世話とばかりに跳ね除け「自分の身は自分で守る!」と勇ましく入店。

 



「おじさんビールちょうだい」「お嬢さんよ!」
というオカマとのやりとりに始まった店はゲイバーでした。
どっからでもかかって来いとばかりに敢えて胸をはだけさせ挑発すると
店内の男性客たちがジワジワと寄り集まってきます。
が、皆の視線はアレハンドロ。
え!そっち!?って顔してるステラが面白い(笑)。

「いくらでしゃぶる?」とにじり寄られたアレハンドロは
「男娼じゃない!詩人だ!」と言いますが「詩人だって(笑)」と嗤われてしまいます。
即興の詩を披露してもその魅力を認めて貰うことが出来ずバカにされ
力ずくでズボンをおろされ襲われ始めました。

 



パワフルなステラが客をボコボコに殴り倒し
お嬢さん…の銃を店内に発砲してオブジェを落下させ店は半ば崩壊。
「逃げろ!」とステラの合図で慌ててズボンを引き上げ半ケツで店から退却。
バーカウンターのすぐ近くに扉も仕切りもない男性用便器が並んでたのが印象的です。

見ている私はステラの強さが面白くて爽快なシーンでしたが
アレハンドロは物凄く気分を害したようでした。
思えば「オカマ」は彼にとって恐怖や嫌悪の対象であり
詩人としての自分を理解されず力ずくで我がものにしようとする行為は地雷です。
このシーンにはアレハンドロの苦痛が詰まってたんですね。

店を出るとステラの頬を殴りました。
泣いたステラが胸に顔を埋めようとすると突き飛ばし
いつものように握ろうとする手も「それもなしだ」と拒絶。
助けてくれたステラに何故怒るのか最初はピンと来ませんでしたが
自分の意見を聞き入れず強制的にこの店に連れて行った強引さに嫌気がさしたんでしょうか。

あんなに自信に満ちて痛快なキャラだった筈のステラが落ち込んで歩く姿に
私は何だか物凄く目を背けたくなりました。


【自分らしさとは生命そのものである】

気まずい空気が漂う中、顔を上げると首吊り死体が。
それはアレハンドロが振った従兄のリカルドでした。
失恋を苦に自殺してしまったのかと思ったけど場所が大学の前であり
行きたくもない建築の学校に対する絶望を表現したシーンだったようです。

カルメン(バレリーナの姉)にアレハンドロへの恋心を打ち明けた時に
「どうせ僕は建築の学校へ通って、結婚するんだ。でも仮面を脱ぎたい」
みたいなセリフがありました。
一時的に仮面をはずして自分になれたけれど再び仮面をつけて自分を殺したんですね。

アレハンドロは役者が変わったのにリカルドは少年時代のままなので違和感がありますが
失恋の苦には耐えたけど進学の苦には耐えられなかったと。
つまり、当たって砕けるよりも、本音を黙して無難に生きる方が苦痛だったんですね。

自分らしく生きられないのなら、それは死と同じ。
まさに今アレハンドロが感じていることでした。

「彼が死んだのは奥に秘めた魂に語りかけなかったせいだ。
 僕は君を映すだけの鏡になりたくない。自分を取り戻したい」

強引に自分を振り回すステラと今後どうしたらいいのか。
強く惹かれた筈の彼女は、自分を自分でいさせてはくれないのか。
彼女の瞳に映る為に言うことを聞いてしまうことを鏡と形容したんでしょうか。
アレハンドロは混乱していました。

暫く距離を置き、40日後にカフェイリスで再会を約束して別れます。


【玉手箱をどうぞ】

アレハンドロは芸術の家にこもり「失った顔を作っている」と黙々と人形制作。
以前と比べて格段にクオリティがアップしていますが
「再会したらまた蛇女の鏡になるかも」と恐れたまま思考に変化のない40日でした。
バレリーナちゃんは相変わらず献身的に見守り食事の心配をしてくれる優しい存在。

再会したステラは真っ白な服を着て、ロングヘアをバッサリ切ったボブ姿でした。
「待っていた神が山から降りてきた。もう処女じゃない。妊娠もした。私は伝書鳩よ」
そう言ってステラは箱を差し出して去りました。

 



出会った頃に「神を待っている」って言ってたのは運命の人を待っているということで
要は離れてる間にそれが見つかったんですね。
白い服はウエディングドレスの「あなたの色に染まる」という意味であり
かつての自らが虹色を放ち押し付けるスタイルから
愛しい人を受け入れるモードへ変わったことを意味するのだと思います。
額には信者っぽいシールが貼ってあって、神への信仰心を思わせます。

箱の中には断髪したステラの真っ赤な髪の毛。
まるで「あんたが好きだったのはこの奇抜さでしょ?」とでも言いたげな
切り捨てたって痛みのないものでした。
そう、ステラはあんなにケバケバしく飾りながらも中身を見て欲しがっていた。

「アーーーーッ!!」と絶叫するアレハンドロに店員が驚いて集まってくると
「大丈夫、危害のない悲しみの発作だ」と言いました。
この表現とても好きです。

アレハンドロは箱の中の髪の毛に火をつけて燃やしました。
「オカマ!オカマ!」の邪念を退治した紙を燃やした時のように。

 

 

【2】につづく