27歳からの香港生活記

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2018年3月25日 二松学舎沼南高校のサッカー部顧問であった野島先生が定年となり、歴代の部員が集まり慰労会をおこないました。私は残念ながら日本に戻れず参加することができませんでしたが、同年代の皆んなが一生懸命企画をつくり、人を集め、素晴らしい会にしてくれました。高校という多感な時期に、学校生活や部活を通して、ともに笑い、泣き、喧嘩もした仲間たちはこれまでもこれからもかけがえのない存在です。そしてそんな環境をつくってくれ、たくさんの学びをくれた野島先生は一生の恩師です。

43年間本当にお疲れ様でした。

 

慰労会のあとに先生が皆んなに送ったメッセージ。これを読んであらためて先生に出会えたことを心より感謝しました。私の中にも刻まれているであろうのじのDNAを誇りに思い、大切にしていきたいと思います。

 

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先日は慰労会を盛大に開いていただき大変有難うございます。まさかあれほどの数の卒業生と企画が待っているとは想像もしていませんでした。坂井先生と今井先生のおふたりが並んで待っていらっしゃったり、突然に千葉教員チームの監督渡辺さんがいらっしゃったりして慌てふためきました(ちょっと、いや大いに緊張した。年甲斐も無く。どうしよう。これはまずい)。


スライドを観ながら、あんなことこんなことあったんだ、と燃えるような夏やみぞれの冬を思い出していました。陽炎の夏が好きでした。寒風吹きつける冬も気になりませんでした。サッカーの厳しさは自分をも鍛えてくれましたから。どの試合でもいつだって、勝っても負けても、みんなが友だちと連れ立って何やら楽しそうに帰って行くのを見るにつけ、羨ましい想いでいっぱいでした。

 

ですからいつの頃からか君たちと互いに大人の話ができるようになったときには、友だちを(勝手に)感じさせてもらって嬉しくおもいました。運動がまるで駄目で、球技なんか特に駄目ですが、こんな自分とそれでも定年を迎える今日まで仲良くしてくれたことを感謝しています。

 

自分ができることといえば環境を作ることだけでした。あとは何もできないから。今にしておもえばいつのまにかみんなで自分が理想としていた部活を作っちゃったんですね。君たちの君たちによる君たちのためのサッカー部です。こんなチームがあってもいいですよ。

高校生は子どもの出口、大人の入り口、みんなでこぼこで面白い。いつの日も観ていて飽きたことがない。でも、このチームだけは特別です。昭和の匂いがする。 言い合う、助け合う、教え合う。そんな生徒たちの横で、それぞれの成長を見てこられたのだから、こんなに楽しいことはなかった。

それも、サッカーのことなど何も知らない自分なのに、いつだって不平不満のひとつも言わずに(頼りにならないんだからしょうがない)、相手のチームや先生、それから審判をしてくれた先生方にはいつも礼を忘れずに接してくれました。今だから言うけれど、ニ松の生徒は先生がひとつひとつ指示しなくてもみんな自分らでよくやるよね、とどこへ行っても言われたものです。

 

二松の赤赤赤。ベルギー代表の「赤い悪魔」の赤。みんなに任せっぱなしにしたのがそんな風に見えたのか。手を焼くことも多かったけれど、そこは君たち生徒、自分は教員。結果オーライ、かな。このチームは自分の誇りです。


改めてみんなの成長を見たとき、思うことはひとつです。言い合い、助け合い、教え合ってここまで来た卒業生みんなが羨ましい。そして、こういった関係をこれからも現役の生徒たちと共有していってもらえれば、なおうれしくおもいます。坂井先生にも今井先生にもお願いしましたが、卒業生みんなで押しかけて行って後輩と接し、中へ入って共に競技し糸を紡いでいってくれたらと願っています。


教員チームの渡辺さん、深谷の増田さん、ベイfmの酒井道代さん、土屋先生、元井淳くん、伊藤毅くん、メッセージ有難うございます。


スントの腕時計有難う。数数の贈り物有難う。身に余る光栄です。
司会の百瀬くん、間際まで調整に当たってくれた加藤くん、裏方で慰労会を計画してくれた川崎くん、どうも有難う。お世話になりました。


無理はしない、無理強いもしない。どちらも人を変えてしまって面白いことがない。だけれど、努力して悪いはずはない。練習は嘘をつかない。自分は今日もスントを腕に付けて走りにゆきました。歩きたい山が沢山あるからです。見に行きたいものが沢山あるからです。また深谷へゆきたいからです。

 

晴耕雨読。晴れて耕し雨に書を紐解く。みんな、自分という人間を作ってください。みんな知っての通り、チームというものはひとりのスーパースターがいても駄目で、ひとりひとりの自立こそが必要なんです。そしてそれは社会へ通じる道でもあります。みなさん、体を大切にしてください。そして、いつまでもみんなとサッカーができるように!祈っています🙃本当にみなさん、どうも有難う。

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クレソン畑を目指し、

荃湾から80のミニバスに乗り川龍村へ。

 

 

バスはB1出口を出て歩道橋を渡り、一本裏手の兆和街という通りから出ている。

 

ミニバスで約20分、川龍村が終点だ。

 

着いたところはこんな景色。

 

まずはお腹がすいたので、村の入り口にある”彩龍茶樓”で朝飲茶。好きな飲茶を選んでテーブルに持っていくスタイル。

 

 

店員さんのピンクの髪と飲茶のアンバランスさがいい。

 

クレソン畑へは、村の入り口付近にある階段を下っていく。

 

 

途中に端記茶樓という飲茶のお店がもう一軒。こちらも有名なようでお客さんがたくさん入っていた。

 

このお店の駐車場の左奥にある階段を降りると、クレソン畑が広がっている。

 

 

 

間を清流が流れているのだが、この水がとてもきれいで透き通っている。

 

荃湾からたった20分でこんな水のきれいなところがあるのかと驚いた。魚が泳いでいるのが見える。

 

 

クレソン畑に着いても、クレソンをどこで買えるのかがよくわからない。。

 

サイトには農家の人から買う、と書いてあるが、農家の人も見当たらない。。

 

けど、この家しかないよね、、

 

 

犬が3匹出て来てお出迎えしてくれる。

 

最初吠えられたり、噛まれたりしたらどうしようと心配だったが、寄ってきて匂いをかいで、どうやら受け入れてもらえたようだ。

 

また寝床に戻っていった。

 

けど人がいない。

 

さらに奥の部屋を覗くと、

 

人の足が見えた。

 

どうやらおばちゃんがソファで寝ている。

 

せっかくここまで来たので、お昼ね中悪いがおばちゃんに声をかける。

 

おばちゃんは突然の来客に驚いてソファから起きてきた。

 

そして笑顔で迎えてくれた。

優しい人で良かった。

 

英語は通じないので、広東語でおそらく「何のようだい?」というようなことを言っている。

 

もちろん”クレソン”は通じない。

 

畑を指差して、ジェスチャーでなんとか伝わった。

 

「雨の中よく来たね〜」ということを言っている。(たぶん)

 

クレソンは袋に入っているものが3袋だけ置いてあった。

もっとたくさんあるのかと思ってたけど、意外と在庫が少ない。あってよかった。

 

 

一袋HKD20

 

安いね。

 

夜はクレソン鍋。

 

大変美味しくいただきました。