約1ヶ月も前の話になりますが。
大学時代の同級生が遊びに、というか「半年前に私が貸したバカみたいな量のCDを返す」のと「その見返りに私がクレクレ厨全開でねだった『デカいテレビ』とついでに『ファミコン・ミニのバルーンファイト』を届けに」遠路はるばるやってきてくれました。
ちょうど旭川への配達の仕事もあったという友人と、とりあえず今は無職で時間だけはアホみたいにある私のタイミングが、その日、合致したんです。
てことで、配達業務も終わって昼過ぎに私のアパートまでやってきた友人。
乗ってきた車は仕事の都合で2トントラック。
「そーいえば、わざわざ旭川まで来るんだからウチに泊まってくのかなあ」とその日の朝まで考えてたんですが、出発時の友人の、2トントラックの画像付きツイートを見て「ああ、ないな」と思いました。
到着後、貸していたアホみたいな数(400枚弱、うち8割はゲームのサントラ)のCDと、文字通り「デカい」25インチのアナログテレビ、そしてゲームボーイアドバンス版の「バルーンファイト」を運び入れ「じゃぁお昼行こう」という流れに。
ところが私、肝心の昼飯に関してノープランだったんですよねw
友人に「キミは僕が来るまでの間何をしていたんだね」と突っ込まれました。いやあ、友人が何か食いたいものがあったらそれに合わせようかなって能天気なこと思ってたんで。
■そしてノープラン発進
■目的地まではもう少し
結局、昨年CDを貸したときに行ったラーメンチェーン店に向かったのですが、今回は「トラックが停められそうなスペースのある店舗」が第一条件だったため別店舗へ。
到着して仰天したなあ。
2人して「なんでそんな中途半端な曜日に!」と驚きましたが、幸か不幸かそのすぐ近くには学生数減少で3年後になくなる母校があったので、その大学の学食目指してトラックで襲撃することにしました。
■学び舎アンテナ部分
いざというときに動くんだって だから電気が通ってるんだって
■懐かしの講堂
週明けの1コマ目から、2コマブチ抜きで必須科目の講義を受けていたのはいい思い出。
あれまだ1年生だから受けられたんだろうなあ。2年生以降にアレ受けろって言われたら、きっとダレててムリ。
学籍番号順に席順が決まっていたなあ。
今でもそうなんだろうか。
■みそ×みそ
食堂入りしたのはクローズ30分前の午後2時半。
入り口の食券販売機のメニューもほとんど売り切れた中『おすすめラーメンセット』というなんだか強気なメニューがあったのでセレクト。
学食のおばちゃんに「ラーメンの味はどうしますかー?」と聞かれたので、なんとなく「みそ」をチョイス。まさか「麻婆丼」とのセットだったとは。
美味しかったからオッケーだったけど「みそ×みそ」アタックは予想してなかったぜ。でもこれで420円。学食すげえ。
そして、偶然居合わせた、学科こそは違ったけれども顔と名前はなんとなく覚えている教授たちが近くの席にいたので、隣のテーブルに陣取る友人。これがコミュ力の差ってヤツか?
さすが現役でデザイナーやったり、地元帯広で精力的に活動してたり、もっと遡れば学生時代から学校敷地内で(たぶん)無許可で実家の農場で採れた野菜やジンギスカン焼いてたりと目立ちまくりな人だけあって、まー声をかけられるかけられるw そんな様子を私は傍から「見てるだけ」でした。これがコミュ力の差ってヤツか?(大事なことなので2回言いました)
また、学生当時にはなかった「エレベーター」が新設されたらしく、教授・講師方から「どうぞ乗ってみてください」とお勧めされたり。薦めたほうも薦められたほうも「そこかよ!」って苦笑いでしたが。
まあ… 普通のエレベーターでした。
てか、「この大学自体がえらい山の上にある」ので、通学途中にほぼ毎日果てしない階段昇ってました。なので、たかだか地上3階地下1階構造のキャンパス内の階段での移動なんて、アレに比べれば驚くほどのことじゃないですよ。
…とは言いつつ、別館の教授・講師の研究棟にあったエレベーターは当時羨ましかったよな。「ちくしょう、先生方ラクしやがって」って。
そしてこの学食に来た時間が大体午後2時半。
私らが現役の頃は、講義をサボってたり全コマ終了後のサークル活動開始まで誰かしら学生は居たんですが… やっぱ3年後に店じまいする大学だからでしょうか、学食に居た学生さん、2人しか見ませんでした。というか、構内でもあんまり学生の姿見なかったなあ。
講義・実技中だったってのもあるんだろうけど、こんなに大学って静かだったっけ。
■BADな奴らのたまり場ジャン?
キャンパス3階にある「製図室」のまん前にあるスペース。
学生当時の昼休み。
ほとんどの学生が学食に行く中、なんとなく「はみ出し者」っぽい状態になった我々友人一同は、なぜかここに陣取って購買で買ったカップ麺やスナック菓子を毎日食べていました。
羊羹(お客様用に出すレベルの長いサイズ)を1本まるっと食べてしまう者。
北海道ローカルのカップ焼きそばに付属している粉末スープを、ただでさえ塩分の多いカップ焼きそばにふりかける猛者。
ポテチ(コンソメ味)とカレーヌードルが主食だった俺。
いろいろ居たなあ(遠い目)
この構図はその頃よく見た構図を意識して撮影しました。
「あの頃」と違っていることといえば、当然「あの頃」のメンバーはもうそこに集まることはないであろうこと。ていうか懐かしむ暇があるなら今を生きろって年代だしなあ。
それよりも印象的な違いは「当時はあたりまえのようにあった『灰皿』が軒並みなくなった」ことでした。
ちなみに灰皿は、こんな風に屋外に移動させられています。
■図書館前
学生時代、たまにお世話になった図書館。
「なんでこんな宝の山をあの頃スルーしてたんだろう」って、このあと入ってぼやく場所。
極々まれに出されるレポート課題(注:デザイン系の大学だったので、提出課題はほとんど「レポート」ではなく「作品」だった。実際、卒業研究で「卒論」を書く人は年に1回居るかどうか)のときに参考資料探しに行くらいでした。
■大解放
Googleで「椅子 コレクション」と検索すると出て… こないな(汗)
あまりにもプロ志向が強いため、とうか実際「筋金入りのプロの広告屋」だったため(今になって経歴ふりかえったら「なんでそれほどまでの人がこんな片田舎の私大の教授に?」って思うレベル)、世間を知らないアマアマな若造の集まりであった学生たちのほとんどから嫌われ者扱いされていた織田憲嗣氏の椅子コレクションの一部が、何をトチ狂ったか、大学の図書館で開放されて座り放題になっています。
まあ、36になった現在でもいまひとつ値打ちはわからないボンクラなんですけど私。
ただまあ「織田先生、どんだけ太っ腹なのよ。そして俺らも含めて東海大生、どんだけ恵まれた環境で学んでんだよw」と思わされるスペースです。
なんだかんだ言って、私大ってエネルギーの無駄遣いと使う方向性がハンパねぇっす。
■小岩井さん
図書館でみつけた、どこかで見たことのある単行本。
隣には「オタクとデザイン」の1号(シリーズが続いてれば創刊号)が鎮座していて「よつばスタジオという革命」という名の特集がされています。
まあ、そんな写真を、思わず撮っていましたが…
よく考えたら
受付の人に確認しないで撮影していました。
いろいろ大丈夫だったのかと、今頃になって思います。
とりあえず先に「すんませんでしたぁ!」って書いておこう。
■過去の宿敵たち
■こっち見んな
1年生のデッサンの授業でさんざん苦しめられた石膏像の皆様です。
今となっては、というか当時からも、誰が「メディチかそれ以外なのか」がさっぱりわかりません。
まぁそんなノープラン母校凱旋
友人と共に感心したのは、あと3年でこの学校がなくなるというのに、キャンパス全体、教職員、購買・食堂のおばちゃん、そして各所ですれ違った遠い後輩から「寂しさ、辛気臭さ、閉塞感」を微塵も感じなかったことでした。
とにかくね、明るいんですよ。何もかも。
別に「消えかけの蝋燭の炎がボッと激しく燃え出す」というやけっぱち具合や、「最後だし華々しく散ってやろうぜ!」といった感じでもないんですよね。
なんかあの構内一帯が「のびのび」してました。
久しぶりでしかもノープランで行っただけだったけど、行ってよかったな。
ただ、2人以上じゃないと「部外者だけどOBっぽい」感じが出せないので辛いなw
「このおっさん誰?」とか「懐古主義者乙www」とか思われそうで辛いです。
最後の最後で被害妄想かい。
あと、今週末の16・17日に学祭やります。
「現役学生の群れ vs 無職OBのおっさんひとり」状態がおっかないので、行くかどうかはわかりませんがw