また悪化してしまった・・・ | ★小細胞肺癌の父と家族の物語★

★小細胞肺癌の父と家族の物語★

2013年5月に小細胞肺癌(Ⅲb)と診断され、その後脳転移、そして2014年6月には、骨転移と癌性髄膜炎にもなり、同年8月7日父自身の誕生日が命日となりました。最悪な状況の中でも、最期まで前向きに諦めなかった父と、その家族の日々の出来事などを綴っていきます。

先週の土曜日は外泊の予定でしたが、ベッドやトイレ、段差などは父仕様にはしてもらいましたが、介護認定もまだ降りてない事もあって、手摺りなどはまだ付けてないので外出になりました。




その前日の金曜日は、今後の治療について先生からお話がありました。



数値が良くなってきてるのと、リハビリで少しずつ歩けるようにもなって来て、体調も今の所とてもいいので、今後は外泊も増やしていって、退院に向けて一歩ずつ進んでいきましょう!との言葉に、私も母も嬉しくて安心してました。




そしてその次の日の7月12日・・・



病院に迎えに行くと、先生がちょうど私を見つけて声をかけてきました。


『お父さんの事なんですが、朝から少し様子が違っておかしな事を言い出してるので、もしかしたら髄液の方の癌が、また出てきてしまってる可能性があります。』


『この状態だと、もしかしたら外出するのが、今回で最後になるかも知れませんので、お家で出来るだけのんびり過ごさせてあげて下さい。何かありましたらすぐに病院に戻って来て下さいね!』



前日の数値が良くて笑顔だった先生とは、全く違った真剣な表情に言葉を失いました。


昨日まですっごく元気で、おやじギャグ言って笑いまくって、ブログでも喜びの報告をしてたのに・・・


部屋に入ると、昨日とはまるで違った父親がいました。


しっかりと箸を持って食事してた手が、この日は驚くほどに、震えた手で靴下を履こうとしてました。


先生の言われてたように、私達を見て父が最初に発した言葉は・・・



『今何時だ?仕事に急いで行かないといけない』

『俺は会社からここまで、どうやって帰って来たんだ?』

『この体調では、明日から仕事出来るのか?不安で仕方ない』



などなど全て話す内容は、【仕事】の事でした。



でも67歳の父は、定年退職をしています。



質問をしても、仕事の事ばかりを気にしてるようでした。




父はどうやら、67歳と年齢を認識はしていても、今でも現役で仕事をしてると思い込んでしまい、母が何を言っても全く聞く耳持たずなので、否定はしないで、不安や心配をさせないように、私が説得しました。




何とか父も理解をしてくれて、気持ちも少し落ち着いたところで、予備の薬などを持って家に帰りました。


前の外出の時よりも、全く歩く事も立つこともほとんど出来ず、にフラフラで帰って来た父。


私と母だけだと、立ち上がらせるだけでもひと苦労でした。でも旦那は、一人でもしっかり父を抱き上げてくれたりして、本当に大助かり。



お昼は前日から、父が食べたいと言ってたうなぎを用意していましたが、お昼の時間には気持ちが悪くて食べられないと言ったので、少しベッドで寝かせて、母と私で手や足のマッサージをしたりしてました。




薬の時間もあったので起こしたら、一時的にですが、しっかり座って、食事も完食してくれました。


そして食事が終わった後、驚くことに、ほんの少しでしたが、いきなり立ちだして、自分でソファまで歩いたりもしました。




それ以降は、全く自分で立つことも歩く事も出来なかったので、あの一瞬は何だったんだろうと不思議です叫び



父が壊れてしまって、新しいのが欲しいと言ってたので、父の日に、私と旦那がプレゼントしたイヤホン付きのラジオ





すごく喜んでくれて病院でも大活躍!!

いつも大好きな野球中継や、音楽を聴いたりしてました音譜


外出する時も、持ち歩いてたぐらいで、家でも愛用して聴いてた父でしたが、この日から父は、ラジオも聴かなくなってしまいましたしょぼん







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