★2014年3月31日・・・今日は検査の結果日。
そして脳に転移してると、先生から告知される日でもある。
とにかく気が重い。
母は精神的にやられてしまい、先生に呼ばれるまでの間、お腹を壊し何度もお手洗いを往復。
30分ほど待って、ようやく呼ばれてまずは肺の方の説明。
腫瘍が小さくなってるどころか、ほとんどなくなってる状態で驚いた
そして脳の転移について・・・
脳の腫瘍の数は、見える所では全部で10個。
でもかなり大きなものもあって、片方の脳の3分の1を覆う感じで、もう片方の脳に、2個の大きなのが圧迫してるようだった。
大切な機能の部分を、大きな腫瘍が邪魔してしまってる為、繊細な部分で傷つく可能性が高く・・・
今回も父は治療を頑張りたいと言ったので、抗がん剤で治療することになった。
脳はバリア機能があるので、もしかしたら効かないかも知れないけど
少しの可能性にかけて
シスプラチン+エトポシド
でやる事になった。
もしこれで効かなかったら薬を変えてやってみましょうと
先生は
『今日から入院した方がいいです!すぐに治療が始められるから』
と言ってくれたものの、準備をして家でゆっくりと過ごしたいという父は
『月曜・・・来週の月曜日で』
と約1週間後でお願いする。
母も旦那も『え?』って言う顔をしたが、私は進行が心配だったが、今まで頑張って来た父の気持ちを尊重させてあげたいと思い、先生にお願いしたら
『家でのんびり、好きな事をして過ごしてもいいと思います。でも何かあったら、すぐに病院に来て下さいね』
と言われ今後の治療の事なども話して、病院を後にする。
父は帰りの車の中で、初めて泣いた。
私も泣いた。
★2014年4月1日・・・私と旦那、妹夫婦で先生との話し合いが始まった。
余命とか知りたくない
とずっと言ってたのを、もし言ってしまえば性格上自暴自棄になってしまうと、みんな分かってるので、今後も父には言わない方向でお願いした。
やはりこの状態だと、圧迫がされて悪化すれば、数週間~1ヶ月ぐらいだと・・・
1ヶ月・・・もう時間がない。
腫瘍が脳幹や小脳に、かぶさるようになってるので、抗がん剤も脳の腫瘍への期待は、ほとんど出来ないだろうと言われた。
『でも今まで抗がん剤がよく効いてくれてたので、万が一脳の方にうまく入ってくれたら、多少延命に繋がってくれるかも知れないです。確率は少ないかも知れないですが、○○さんはまだ体力もあるし、ご本人のやる気があれば、可能性にかけてみるのもいいかも知れないですね。』
これ以上苦しい治療を続けさせるのは、もう止めた方がいいと私は正直思った。
でも父にはどんな治療でも、積極的に続けたいと強く思う理由と、目標があった。
父が溺愛する孫である、妹の子供(7月で2歳の男の子)が、小学校に入学するまでは、絶対に生きたいと
少しの可能性にかけてみよう
先生とみんなの意見は一致で、脳への抗がん剤治療をする事が決まった。
~6へ続く~
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