【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ原発事故から来春で10年
がん急増 後遺症深刻に

旧ソ連チェルノブイリ原発の事故から来春で10年。放出された放射能の7割が降ったとされるベラルーシで、子どもの甲状腺(せん)がんの発生率が事故前の36倍に達するなど、恐れられていた後遺症がだれの目にも、はっきりとしてきた。23日まで世界保健機関(WHO)がジュネーブで開いた国際会議では、汚染除去作業員の放射線障害に加え、被ばく体験のストレスがもたらす「心の病」などの問題も報告された。その一方で、ソ連崩壊後のエネルギー危機のあおりで、旧ソ連・東欧圏では、安全が疑問視される原発の運転再開が相次いでいる。世界は今、事故への恐怖と原発依存を断ち切れない現実とのジレンマに直面している。(ブリュッセル支局・吉田文彦/科学部・竹内敬二)

やつれた面持ちに、トビ色のひとみが力なく輝いていた。ベラルーシの首都ミンスクにあるミンスク医科学研究所付属病院に入院していたサーシャ・チトフ君(11)。甲状腺がんの切除手術を受けてから、2日目だった。のど元には約8センチにわたって切開した傷跡がくっきりと残り、思うように声を出せなかった。
サーシャ君が両親に異常を訴えたのは、手術の1週間前。「少し前から首のあたりがはれて食べ物が通りにくかったけれど、急に息苦しくなってきて…」。病院で甲状腺がんと診断され、手術が決まった。
サーシャ君は1986年4月26日に同原発の事故が起こった時、2歳3カ月だった。「放射性ヨウ素に汚染された牛乳などを口にして甲状腺を傷めた」と、同研究所のユージン・デミチク教授は見る。
チェルノブイリ原発があるウクライナの北方に隣り合うベラルーシは、広大な汚染地帯を抱える。しかも、当時はソ連政府の事故発表が遅れ、国民の5人に1人が被ばくした。とくに放射線の影響を受けやすい子どもたちが、知らない間に大量の放射能汚染にさらされる結果になった。
今回、ジュネーブで開かれた「チェルノブイリと他の放射能事故に関する国際会議」では、ベラルーシで子どもの甲状腺がんの発生が86年から95年10月までに400件を超えた、と発表された。94年の発生率は事故前の36倍、汚染のひどかったゴメリ地域では100倍になる。
ウクライナでも、この発生率が国全体で8倍、首都キエフで50倍になっている。
ほかのがんも増えている。ゴメリ地域での子どものがん全体の発生をWHOが92年までのデータで分析した結果、87年から92年にかけて3.7倍に増えていた。
これらの病気の多発は事故後、診断の水準や密度が高まったためではないか、との見方もこれまで根強くあったが、最近の急増ぶりで、そういう背景を考えに入れても、事故の影響は無視できなくなってきた。


広島・長崎と異なる発症

被ばくした市民たちには、白血病などの血液病の不安が募っている。食物から体内に入った放射性セシウムによる内部被ばくが最大の危険要因だ。
チェルノブイリの被害は、広島・長崎の原爆による被爆者と比較されるが、病気の発症の様子は違う。
日本の被爆者は2年後から白血病が増えはじめ、6、7年後にピークになった。甲状腺がんなどを含む普通のがんは10年近くたってから増えはじめ、今も増加が続いている。これに対して、チェルノブイリ原発事故では、甲状腺がんは4、5年後に増加を見せ始め、血液病はベラルーシやウクライナで増加傾向にあるものの「急増」とはいえない。
原爆の場合、大量の放射線が一瞬のうちに体を貫く「外部被ばく」がほとんどだ。
原発事故では、地面に落ちた「死の灰」(核分裂生成物)からの外部被ばくに、汚染食物からの「内部被ばく」が加わり、じわじわと細胞に放射線を浴びせ続ける。この差が、病気の出方の違いに関連しているのかも知れない。
広島・長崎の被害を追っている放射線影響研究所の重松逸造理事長は「甲状腺がんの増加は予測通りとしても、原発事故の被害はまだ分からないことだらけだ」と語る。


甲状腺・血液などに異常

原発とその周辺での汚染除去作業には、旧ソ連全体で約60万人が動員された。
このうち、12万人にのぼるロシア人作業員についての調査によると、92年のがん全体の発生率は89年の1.9倍、白血病などの血液病は1.8倍にもなり、死亡率全体も90年から92年にかけて5割も上昇した。
また、今回の会議で、ベラルーシ医療技術センターのアレクセイ・オケアノフ博士が「93、94年に除染作業員に発生した甲状腺がんは、ベラルーシの大人の平均の3倍。原発から30キロ圏内で1カ月以上働いた人に限ると、甲状腺がんは9倍、ぼうこうがんも3倍」と報告した。ウクライナも「91年ごろから白血病の増加が始まった」と発表した。
実は、作業員の被ばく線量ははっきりしない。2割の人には被ばく線量の記録がないうえ、作業員の大多数を占める兵士は個人線量計を着けずに作業し、後で被ばく線量を少なめに記録した例が多い。このため放射線の影響を正確に知らないまま過ごしている作業員も大勢いて、発表されている数字以上の健康被害が進行している恐れもある。


ストレスも大きな問題

会議では被ばく体験からくるストレスも大きな問題と指摘された。
ウクライナの放射線臨床研究所などが、妊娠中に事故による被ばくを経験した母親と「胎内被ばく児」を対象に調査したところ、非汚染地域と比べ、母子双方に情緒不安定など精神面での問題が多かった。
子どもには、知能や行動の面でやや発達の遅れもあった。
この原因として「放射能と、放射能以外の影響が考えられる」と分析された。「放射能」では「脳の発達にとって大事な妊娠8-15週の間に被ばくした恐れと、被ばくによる甲状腺の機能障害」が考えられ、それ以外では「母親の精神面での不安定など」が疑われる。後者の影響が強ければ、土地を離れての生活や将来の健康不安など母の「心の病」が子の健康に影を落としたことになる。
ウクライナの心理学者は、チェルノブイリの隣町プリピャチから疎開した家族を典型例としてあげた。
14歳の少女は気分が落ち込み、自殺願望に悩んだ。妹が血液病をもって生まれ、母親がかかりっきりになり、より疎外感が増した。母親も情緒不安定になった。父親は逆に病気の娘を全く無視し、家族に相手にされないことから酒びたりになったという。この心理学者は「一般に小さな子は事故のせいで家庭が崩壊したと思い込み、青年期では自信喪失、将来への絶望感が募る。最悪は50歳以上で、新しい土地や仕事に適応できない」という。


「不安な原発」なお運転 旧ソ連・東欧

放射能汚染の傷の深さが明らかになる一方で、旧ソ連や東欧では「原発回帰」が相次いでいる。
チェルノブイリ原発では、4号炉が大事故を起こしたが、1-3号炉が生き残った。その後、2号炉の機械室で火災があった。現在、1、3号炉が運転中だ。2号炉も来年春には改修が終わり、運転開始をめざしている。
西側諸国は事故再発を警戒して、ウクライナ政府に1-3号炉の全面閉鎖を求めた。ウクライナ政府も、代替電力源の開発や汚染除去などへの財政支援を条件に、2000年にはチェルノブイリ原発を閉鎖すると発表したが、支援規模で折り合いがつかず、全面閉鎖のメドはたっていない。
ブルガリアでは、炉心を覆う圧力容器の安全性に不安を抱える旧式の原発が運転再開された。アルメニアでは、88年の大地震で耐震性に疑問が出た原発の運転を再開している。
いずれも厳しい冬を乗り切るため、西側が危険性を指摘している原発であっても稼働させている。健康被害が明らかになっている中でも、電力不足を前に原発に寄りかかる現実。この板ばさみから抜け出すには西側諸国の支援が欠かせないが、解決策を見いだせないまま、今日も「不安な原発」が動いている。

(朝日新聞 1995/11/26)