5年前の米田氏からの年賀状に「明人出警入蹕図」のスケッチが描かれていました。
いまだかって、世界中の誰もその全貌を見たことのない この絵巻について教えていただいた内容は驚くべきものでした。
例外的に台湾で この絵巻を改変した図柄が切手(写真)に用いられているのですが、由来を詮索する人は皆無でしょう。
由来:九州王朝倭国王室所蔵の絵巻物(オリジナル)。
白村江の戦利品として唐が略奪したもの。大東亜戦争中、北京から台北に移送。
内容:倭国の延喜帝(在位533~554)が近衛兵らを従えて宇佐小倉山東大寺方面へ行幸の図と思われます。
象車の存在が一番の驚きですが、周辺の景色、描写された植物が日本的です。
近衛兵のコスチュームは四天王像とか執金剛神像のものに似ています。
宮殿は大宰府のものか博多駅辺りにあった高津宮、川は賀茂川(現在の御笠川)でしょう。
所在:台北の故宮博物院
絵巻についての情報は故宮博物院のホームページにあります。
出警図(しゆっけいず)
入蹕図(にゅうひつず )
以前は絵巻物の全景をネットで見ることが可能だったのですが、現在はどこを探しても見当たりません。
意義:この絵巻物と同類の「清明上河図」のオリジナルは隠匿され、中国人による模写作品が複数存在しますが、清の時代のものが 消したはずの倭国テイストを一番醸し出しているようです。
「清明上河図」のオリジナルは、ひと目で倭国の風景であると気付かれてしまうため、改変模写を公開するしか方法がなかったのですが、この出警入蹕図(しゅっけいにゅうひつず)はバックが無難な景色と判断されたので、オリジナルの公表が許されたと思われます。
これらの見解は米田良三氏のものですが、世界中の研究者の中で唯一無二のものでしょう。
世界中の学者が「清明上河図」の舞台と時代について研究しているのですが、結論はまだ出ていません。
この倭(日本)国説を認めることに白人学者たちは抵抗があると思います。
認めれば、日本が世界中のどの国より一味も二味も違う存在であることを否応無しに意識させられるからです。
長年にわたる白人優位が揺らぐことも許しがたいことでしょう。