悔やんだって後の祭り
 もう昨日に手を振ろう
 さぁ 旅立ちのときは今
 重たく沈んだ碇(いかり)を上げ


 congratulations! 今胸に高鳴るファンファーレ!
 もう色彩階調(gradation)は無限で脳に紙吹雪よ舞え!


 覚悟なき者は去れ
 あてどない流浪(るろう)の旅
 Nobody knows 航海の末路


 例えて言うとすれば 僕はパントマイムダンサーです
 見えもしねえもんを掴んで天にも昇った気になって


 やがて風船が割れ
 独り悲しい目覚め
 そんな日でも
 懲りずに 「 ヨウソロ 」 を。。。


 ちょっと待ってと言われたって
 どっち行くんだと問われたって
 「 答えはいつも風の中 」 にあるんですって
 いつの間にか大人になって
 うっかりして真面(まとも)になって
 失った宝物を探しに行こう!


 吹き荒れるよ 今日も見通しの悪い海原で
 みんな悪戦苦闘してるんだ 独りじゃないぞ 頑張れ!


 歓喜の裏側で
 誰かが泣く運命(さだめ)
 それが僕でも
 後悔はしないよ


 「 僕はボクさ 」 と主張をしたって
 僕もボクをよく知らなくて
 ぐるぐる自分のしっぽを追いかけ回して
 ひょっとしたらあなたの瞳に
 いつか出会った本当の僕が
 迷い込んでやしないかなぁ?
 って探してみる


 まるで袋のネズミ
 自分で自分を追い込んでた
 さぁ 旅立ちのときは今
 重たく沈んだ碇を上げ
 悔やんだって後の祭り
 もう昨日に手を振ろう
 さぁ 旅立ちのときは今
 風をよんでデカい帆をはれ!


 ちょっと待ってと言われたって
 どっち行くんだと問われたって
 「 答えはいつも風の中 」 にあるんでしたっけ!?
 きっと今日もあなたの瞳で
 僕も知らない新しい僕は
 ぐるぐる旅をしてる
 いつか誰もが大人になって
 ちゃっかりした大人になって
 失った宝物を探しに行こう!
」 fanfare/Mr.Children
作詞 : 桜井和寿 作曲 : 桜井和寿
アニメ映画「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」(2009年)主題歌










 

平気で平然と

 

お金を借りようとしてくる人がいます

 

たいして話すわけでもない

 

連絡先すら知らない人

 

この間も1000円を貸してほしいと・・

 

来週には返すからと・・

 

個人的にお金の貸し借りだけは絶対にしたくないので

 

はっきりと断っているのですが

 

価値観の違いなのですかね?・・ 人間性?・・

 

しかも借りる理由が、子どものような理由で

 

世の中にはこんな人が実際にいるんだなと

 

呆れてしまうばかりなのですが・・。


 

話してる顔を見ながら

 

こんなこと言ってて自分で虚しくないのかなと思って...


 

事情はどうであれ

 

自分の都合しか考えることのできない、こういった人というのは

 

本当に自分が見えてないんだろうなと感じさせられますね


自分が分からないということではなくて

 

本能のおもむくまますぎてしまって

 

心が空っぽのまま進んでいるというか

 


自分が傷つきたくないから

 

自分の尺度を持って、必死にイイヒトを抱いて

 

他人と接しているのでしょうけど

 

だからこそ

 

どんどん遠ざかっていく自分という存在...


 

なんだろう

 

本当に

 

" 色 " がないなって・・




 

 


 




ちょっとお金の話は置いておいて・・


 

人間味というか、生気というか

 

言い過ぎかもしれないですが

 

花を花と想えていないというか

 

ペットをペットとしてしか見れていないというか

 

人を人と想えていないというか


 

職場でも学校でも友達でも恋人でも親子でも赤の他人でも

 

" 自分が育ててやってる!" とか

 

" 自分が何かしてやってる!" とか

 

そういった過剰な上からの意識は

 

自分があるようでいて、実は

 

どんどん自分っていうものを逆に失わせていくような気がします


 

もちろん、上の立場である自覚も必要な場面もありますけど

 

" 自分が与えてもらってる "

 

" 自分が育ててもらってる " って

 

そういった意識や想いがあって初めて

 

自分の色が出るようにも思いますし。


 

「 自分 」 がある為には

 

相反する2つのものを抱けてこそかな・・


 

自分の都合ばかりで

 

相手のことを想えなかったら・・


 

たたかうことから

 

逃げ続けてばかりいたら・・


 

自分で歩いてこそ、本当の色がつくように思いますけど。


 

そこで出会うものが良くても悪くても

 

そうして自分の色を確かなものにしていくしかなく

 

手を繋いでもらっていても、支えてもらっていても

 

たたかうのも守るのも

 

自分にしかできない選択。



 

楽ばかりをして

 

偉ぶって

 

誰かのせいにばかりして

 

見ることも聴くこともやめて、口だけになって

 

強い風は自分にばかり吹いているように思えて

 

そんな生き方が当たり前のようになってしまって


ふと油断すると

 

自分もそうなってしまいそうだけど・・




 

色を

 

失い始めたのはいつ頃からだろ

 

この世界を傍観し始めた頃かな...


 

色を

 

取り戻し始めたのはいつ頃からだろ

 

この世界を見つめ始めた頃かな...




 

 





 

オリンピック選手の色というのも

 

才能というものだけではないのではないかなと思いますけど。

 

なんと言うか

 

その人の人生そのものが滲み出ているというか。

 

目標はあるにしても

 

誰かになるんじゃなく、自分ですべてを築き上げる。

 

一度一度の練習にしても

 

とても大きな向き合う時間があると思いますし。

 

だからこそ、記録だけじゃなく

 

オリンピックという世界中が見つめるものの中で

 

魅せて、感動を与えられることまで

 

出来るのだと思いますけど。


 

必ず崩れないものがそこにあるんじゃなく

 

崩れる可能性を秘めたものが必ずそこにはあって

 

それが観ている側にも分かるからこそ

 

より色が濃く出る。



努力はカタチとしては実らなくても

 

努力は見えますよね


 

人間って結局

 

生きる姿勢なんだろうなと感じさせられます。

 

何をしているかじゃない

 

どこにいるかじゃない

 

がんばる人に厳しいのがこの世の中でも

 

その厳しさに向かう覚悟を決めたからこその

 

がんばれる人でもある...




 

自分の色なんて

 

自分じゃ分からないけど

 

誰かの答えじゃなくて

 

自分にとっての本当に大切なものは何か

 

相手にとっての嬉しいことと悲しいことと

 

この世界で起きていることに自分の心はどう震えるのか

 

あの花の名前が知りたい

 

そんなものを感じることができたなら

 

自然と付いてくるものがある

 

その時、この体が言葉以上に静かに熱く語ってる
 

 



 

自分で付けた色に・・

 

誰かと繋がる色・・

 

何かに染められて

 

誰かに染められて

 

誰にも染められず・・



その色は

 

この世界にたったひとつの

 

自分の鼓動と軌跡と夢・・・・・



 

 

 
 
photo by feel




 

" それが

 

 あんたのわるいとこよ

 

 たたかうってことをおぼえないうちは

 

 あんたには

 

 自分の顔はもてません " ミイ

 

漫画「ムーミン」 より
原作 : トーベ・ヤンソン、ラッセ・ヤンソン





 

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