「 眠れない夜は何度も寝返りばかり
心細くなって吐き出すため息は深い
また抱えた不安これ以上解消出来ず
誰かの手握って見えない明日(あす)へ繋ごうと努力して
だってそうして人は何度でも
闇に立ち向かう強さあるはず
与えられて選ぶんじゃなくて
その足で 踏み出して 」 Baby Don't Cry/安室奈美恵
作詞 : Nao'ymt 作曲 : Nao'ymt
ドラマ「ヒミツの花園」(2007年1月9日 - 2007年3月20日 フジテレビ)主題歌
JOYSOUND「ポケメロ」CMタイアップソング
" ここから
始まったんだ!" ・・・
――― アメリカ
ここに、私財を投じ、
差別を無くすための基金を始めた男性がいる。
彼は、子ども達をアメリカに招待し、
あるスポーツの試合を観戦させている。
それは・・
『 NFL - National Football League - 』
(アメリカン・フットボール最大のプロリーグ)
彼には強い想いがあった...
未来に向けて
子ども達には大きな夢を持って欲しい ―――
――― 2006年2月 第40回 スーパーボウル
プロリーグ・NFLの頂点に立つチームを決める大会
『 スーパーボウル 』で、歴史的な出来事が起こった・・・
史上初めて、アジア人の血をひく選手が
MVPに輝いたのである。
リーグ屈指の強豪チーム、
「 ピッツバーグ・スティーラーズ 」 のスター選手、
だが・・
栄光までの道のりは長く険しいものだった・・。
そこには、知られざる
母と子の愛の物語が隠されていた・・・。
――― 1976年 韓国 ソウル
ハインズさんはアフリカ系アメリカ人の父と、
韓国人の母との間に生まれた。だが・・
外国人との間の子供ということで
家族に受け入れられなかった・・。
" 混血児なんか産みやがって!"
・・・当時韓国では、
他民族から侵略を受け続けた歴史から、
純血の想いが強く、外国人との結婚に対する偏見が
根強く残っていた。
母 : 「 大丈夫!お前を決して不幸にはしない。」
母は二度と韓国へは戻らないと覚悟を決め、
生後5ヵ月のハインズさんを連れて、
夫の故郷アメリカ・ジョージア州に移り住んだ。が・・・
渡米してすぐに夫と離婚。さらに・・
子供の親権を奪われ、孤独な身となってしまった・・。
しかし彼女は、
ある決意をもってアメリカに留まった。
韓国の友人の紹介で、
最低賃金の時給3ドルほどの条件ではあったが、
3つの職場を掛け持ちし、1日16時間働いた。
さらに、
睡眠時間を削り英語の勉強にも励んだ。
母の決意・・
それはもう一度...
愛する我が子と暮らしたいという想いだった・・。
そして折りを見ては、
元夫の母の家で暮らすハインズさんのもとを訪ねた。
しかし、経済的な不安は変わらず、
簡単には親権を渡してはもらえなかった。
" もっと働いて、お金を貯めなくては・・ "
そんな思いで母は昼も夜も必死に働いた。
・・そんな 働きづめの日々が5年続いた。
そして・・
「 お金もある程度貯まりました。
養育費も一切頂きません。
あの子を絶対幸せにします!」 母
子供と別れてから5年、
母は時給3ドルほどの仕事で3万5千ドル貯めた。
ついに母は、息子を自分の手に取り戻したのである。
こうして、念願だった親子二人での生活が始まった。・・・のだが...
これまで育った環境とはまるで違う母の教え・・
ハインズさんは中々理解が出来なかった。
「 出されたものはちゃんと食べる。
それから、いつも謙虚に、
人がして欲しいように、人と接するのよ。いい?」 母
韓国式の教育や言葉の壁で、
最初は戸惑ったハインズさんだったが、時が経つにつれ
自分がどれだけ愛されているのかを感じるようになっていった・・。
暮らし向きは決して楽ではなかった・・
しかし母は、養育費はおろか政府からの生活保護など
一切を受け取らなかった。
誰の力も借りずに・・・
一日16時間の労働に加え、
家事や子育てに追われる毎日。しかし・・・
愛する息子と暮らせるだけで幸せだった... だが・・
「 お前の母ちゃん 韓国人ー 混血児!」
実はハインズさんはクラスメイトからいじめを受けていた・・。
そして母にもショッキングな出来事が・・
友人から、最初だけと聞かされていた仕事の紹介料。
しかし紹介料は毎月払うことに・・
同じ韓国人であり、
唯一心を許していた友人にも利用されていたことを知る・・。
しかし
母は負けなかった。
愛する息子のため・・
決して人前で涙を見せることはなかった。
そして母と通う、ある日の通学時・・
ハインズさんの目に入ったのは、いつも自分をいじめるクラスメイト・・
ハインズさんは車の中で姿を見られないようにした。
・・・どうしても
母を見られたくなかった。
ハインズさん : 「 ママ!早く帰ってね!!」
駆け出し、学校へと向うハインズさん。
母はその時、全てを悟った・・。
その時
ハインズさんが振り返ると・・
いつも強かった母が初めて涙を見せていた.....
「 ・・お前を引き取って、辛い思いをさせたね・・・。
私のことが恥ずかしいなら...
お父さんのとこに行きなさい・・・ 」 母 ......
" ・・・ごめんね、ママ... "
その後、
ハインズさんはあえて
いじめっ子達を家に招いた。
そして、
あれほど恥ずかしがっていた母を彼らに紹介し、
韓国料理を振る舞った。すると・・
・・・「 うまい!!」
このことをきっかけに、
ハインズさんの心に韓国人としての誇りが徐々に芽生えていった・・。
やがて高校に進学すると、
人に勧められアメリカン・フットボール部に入部、その才能を開花させる。
そして周囲に実力が認められ卒業後、奨学金でジョージア大学に入学した。
母は相変わらず3つの仕事を掛け持ちして働き続け、
3LDKの家も購入した。
ハインズさんはというと
チームの主力選手として活躍。
プロのチームからも注目され、
ドラフトで上位指名されることが予想された。
そしてハインズさんは
『 ピッツバーグ・スティーラーズ 』に入団が決まる。
念願叶い、アメフトの選手として歩み始めたハインズさん。
しかし・・ 指名順位は3巡目、
全体の92番目という予想外の下位指名だった。
プロ1年目は、一度も先発での起用はなかった。
しかし腐ることなく、他の選手の倍、練習を重ねた。
常に脳裏には人の何倍も働き、自分を育ててくれた人がいた・・・。
そしてようやくワイドレシーバーとして
試合に起用されるようになった。
しかし・・・
(※ワイドレシーバー = パスプレイの中心となるポジション)
チームメイト : 「 調子に乗るなよ・・ 」
彼はチーム内でも孤立していた・・。
しかし彼は意外な行動を起こす・・
彼はアメフト選手としては決して大きくはない。
だが、体格の大きい相手を止める、本来のポジションではない
「 プロッカー 」の練習を強化し始めた。それは・・
" 人がして欲しいように 行動しなさい "
そう母に教えられたあの言葉のように、味方がして欲しいことをする・・。
ハインズさんのプレーは" 死のブロック "と恐れられ、
味方のランプレーのチャンスを生んだ。
こうしてチームメイトから徐々に信頼を得ていった。
――― 2002年
彼は数々の記録を塗り替える大活躍を見せる。しかし・・
チームは毎年、ハインズさんと同じポジションの補強を続けていた。
ハインズさん : ( 混血児だから・・・ )
そんな中 ある事がきっかけで、
ハインズさんは奮起した。
卓越したレシーブ力とハードなブロックを武器に、
やがてチームの顔的存在へと成長したハインズさん。
リーグのオールスターを集めた晴れ舞台、『 プロボール 』にも
4年連続で選出されるなど、リーグを代表するワイドレシーバーとなった。
――― 2006年4月
長年の夢だったNFLの優勝決定戦・『 スーパーボウル 』に出場。
そして、アジア人として初めてMVPを獲得した!
ハインズさんは、アメリカが生んだ、
偉大なるアメリカン・フットボール選手として賞賛された。
しかし・・
彼にはまだどうしても果たさなければならないことがあった...
「 ・・・韓国へ行く?!!
嫌だよ!冗談じゃない・・。
私は二度と帰らないと決めてアメリカに出てきたんだから・・ 」 母
ハインズさん : 「 ・・どうしても行かなきゃならないんだ... 」
二人は、30年間一度も踏み入れたことのない韓国の地に向かった・・
そんな二人を空港で待っていたのは・・・
「 韓国人の誇り 」と歓迎してくれる多くの人たちだった。
自分の生まれた場所、病院を訪ね・・
" ここから始まったんだ!" ・・と、ハインズさん。
自分の心の傷...
怒り...
恥...
その全てと決別するために
彼は自分のルーツと向き合った・・。
そしてハインズさんは、
生まれ故郷のソウル市から名誉市民の称号が与えられた。
会見で彼は・・・ 涙した。
30年前・・・
母はどんな気持ちでアメリカに渡って来たのか?...
その事を考えると、胸がいっぱいになった。
自分の為に必死に働き、どんな苦労にも耐えた母・・。
そんな母を恥ずかしいと思ってしまった少年時代の自分・・。
あの時・・・
母が見せた涙はずっと
ハインズさんの心の中にあった・・。
会見で彼はこう語った・・
" 昔は自分に
韓国人の血が流れていることが恥ずかしかった・・。
でも・・ 今は感謝している...
韓国人であることを恥ずかしいと思ったことを
謝りたい..... " ハインズさん
それは、母へ向けた言葉でもあった・・
" 僕を産んでくれて・・・
ありがとう
母さん!愛してるよ "
そして母も・・ 涙を拭った。
守りたいもの・・
守るべきものが・・ そこにはあった。
そしてハインズさんは韓国を訪れた際、
外国人との間に生まれた子供への差別が
今なお残っているという現状を目の当たりにした・・。
それを機に私財を投じ、差別を無くすための基金を始めた。
その活動は現在でも続いており、
ハインズさんは彼らをアメリカに招待し、NFLの試合を観戦させている。
" 自分や母と同じ思いをさせたくない "
そこには
『 子ども達には未来へ向けて大きな夢を持って欲しい 』 という
強い想いが込められていた・・
" 混血児たちが 韓国に残りつつも成功できる!・・そんな
チャンスの場を与えることが出来るようにしたいんです " ハインズさん
「奇跡体験!アンビリバボー」
「スター選手に隠された過去」(2009年 フジテレビ) より
――― 2002年
大活躍を見せるハインズさん。しかし・・
チームは毎年、同じポジションの補強を続けていた・・。
ある時、彼は監督に訴えた・・
「 俺が韓国との混血児だからですか?!!
アジア人にはフットボールは
無理だと思っているんですか?!!」
すると監督は・・
「 そんなことはない、チームの方針さ 」 ・・そう言われ、
母の前で..
「 混血児だからチャンスがもらえない・・ 」 とこぼすハインズさん...
・・・しかし 彼は奮起することになります。
そこには、母のこんなコトバが
ありました・・・・・
" 誰も『 チャンス 』なんて与えてはくれないわ・・
『 チャンス 』 は...
自分の手で掴むしかないのよ!" ハインズさんのお母さん
ハインズ・ウォード 1976年3月8日 大韓民国
アメリカンフットボール選手
いつも…
ここ... から
ココロ... から