マルハンWorld Challengers

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world challengers 挑戦者インタビューのご紹介をします。

【インタビュー内容】
・ご自身の競技の現状
・競技への想い
・world challengersへの意気込み





サーフィン 高橋みなと選手





【ご自身の競技の現状】

小学校3年生で遊びとして始めたサーフィンを、競技として意識するようになった小学校6年生からでした。早朝に練習した後、学校へ登校、放課後も海でのサーフィンの練習は、高校生になっても毎日欠かさず、充実した生活を送っていました。しかし、3月11日の東日本大震災で、練習拠点としている宮城仙台の沿岸が壊滅状態になり、サーフィンが全く出来ない状況になりました。そして、現在は福島の原発事故の放射能汚染の問題もあり近県の太平洋沿岸での練習は不可能になっています。その為、節約を兼ねた車中泊をしながら、毎週末に仙台から青森、山形へ遠征をして練習を積んでいます。サーフィンは自然相手のスポーツなので波がなければ波を探して移動することになりますが、潮の関係、気象状況でサーフィンの練習ができないこともあります。今年度の遠征は計画通りにはなかなか進まず、悩みながら大会シーズンを過ごしていました。練習不足もあってか、今年の試合は納得いかない結果を残して、大会シーズンを終えようとしています。今夏、男子のトッププロサーファー主催のサーフキャンプのメンバーに誘われ、コーチングを受講しました。昨年はREDBULLのサーフキャンプにも参加し、自分のサーフィンスタイルを見つめ直すいい機会になりました。負けた試合の後に、尊敬している男子のトッププロサーファーの方から、”世界で通用するいいサーフィンをしているから、自信を持って頑張れ!”と力強い言葉を頂いたこともあります。世界戦を経験することで、自分の実力不足やメンタルの弱さが出ました。しかし、世界戦の経験でサーフィンの技、試合の進め方など身につき、必ずレベルアップすることがわかりました。それらを次の世界戦に活かしたい、そういう思いで世界戦出場を果たしかったのですが、今年は代表の切符を手にすることが出来ませんでした。シーズン後半の試合では、その世界戦の出場経験を活かした試合運びや自分自身の気持ちを切り替え、ASP優勝と、JPSA日本プロサーフィン連盟の試合で勝ちあがりプロ公認を取得、初戦で4位入賞を果たしました。日本におけるサーフィン競技、遠征は個人主体となっています。オーストラリア、ハワイなどのサーフィン先進国は国を挙げてのサポート体制がしかれています。国 対 個人...これが今の日本の現状です練習環境の違い、コーチングシステム、スポンサードの差があるなかで、日本人は個人で戦わなくてならないのです。高校3年生で未成年の私は、父の支援で活動をしています。プロサーファーになりましたが、世界戦をフォローするには、金銭的に大変、厳しい状況です。高校卒業後は、国内外での試合をフォローする為に、安全な環境に拠点を移し、練習をしようと考えております。


【競技への想い】

小学校3年生から父の影響でサーフィンを始め、いつしか”世界に名を知られるプロサーファー”になるのが目標になりました。アマチュア時代から国内外のコンテストに出場し、経験を積みました。幼い頃は地元の試合では簡単に勝てていたものの、県外の大きな試合ではそう簡単には勝てませんでした。同い年の女の子サーファーがたくさんいて、レベルも高く、小学生ながら”負けていられない!”とそこで刺激を受けました。その女の子たちとは試合でしか会えないけれど、会うたび切磋琢磨し合い自分自身を成長させることができました。サーフィンという素敵なスポーツがあったからこそ出会えたかげがえのない仲間です。その仲間たちとは、プロになった今でもお互いに尊重し合える良き仲間であり、ライバルでもあります。私はサーフィンで世界を目指すことのほかに、こんなに素敵なスポーツをたくさんの方に知って頂きたいと考えております。学校で、”サーフィンやってみたい!”という友達もたくさんいます。プロサーファーである若い世代の私たちが力を合わせて、スクールやサーフィン体験のイベント等を全国各地で開催したら、サーフィンの楽しさを知ってくれる方々が増え、サーフィンがメジャーなスポーツになることと思います。その中に、世界に羽ばたく有望なサーファーがいるかもしれません。そのためにも、私自身がレベルアップし、世界で結果をだせるように頑張ります。


【world challengersへの意気込み】

初めに、”ワールドチャレンジャー”を企画して頂きありがとうございます。この企画を初めて聞いたとき、正直びっくりしました。なぜなら、この企画の対象スポーツに”サーフィン”が入っていたからです。テレビ番組でのアスリート特集などに、サーファーが出演したり、サーフィンがメディアに取り上げられることも残念ながらありません。なので驚きの反面、とても嬉しく思います。私の目標は”世界に名を知られるプロサーファーになること”ですが、実際、アマチュア時代に出場した世界戦では、周りの選手のレベルがとても高く、自分が同じ舞台で戦っているのが恥ずかしくなったこともあります。名を知ってもらえるどころか、世界レベルの高さを見せ付けられました。ですがその場の雰囲気や自分の結果を受け止める事で、あの舞台に行かなければ、わからなかったこともたくさんありました。もっともっと自分がレベルアップできる環境に身をおいて、あの時に戦った選手に勝ち、世界のトップにあがれるよう頑張ります!!




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【インタビュー内容】
・ご自身の競技の現状
・競技への想い
・world challengersへの意気込み





ビーチバレー 徳丸信代 選手




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【ご自身の競技の現状】

今ビーチバレーはサッカーで言うとJ1とJ2と言うようにジャパンツアーとサテライトに別れています。その中で私は主にサテライトに参加しています。今年は1度だけジャパンツアーに出場することができ、その大会でツアー選手を倒し5位になりました。また、全日本女子ビーチバレー選手権大会では、連盟推薦チームと都道府県代表が闘う大会では7位でした。まだまだ満足のいく結果が出せずにいます。試合は全て実費なのですが、試合に出るためには生活費と遠征費を稼がなければなりません。朝から夜遅くまで仕事を行うため、部屋の中だけで行っています。移動もほとんど夜行バスで行っています。週末だけの練習だけでなく平日もトレーニングが出来るとまだ変われると思います。


【競技への想い】

2008年にビーチバレーを始め4年目にしてようやく成績が表れてきました。大学卒業後バレーボールから離れ就職をしたのですが、学生時の悔しい思いもあり、やはりバレーがしたいと思い復帰しました。何よりビーチバレーが好きです。


【world challengersへの意気込み】

今の私にはワールドツアーに行くためには、まずジャパンツアーのシードを獲得する必要があります。来シーズンはシードを獲得しワールドツアーを回りたいとおっもています。


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・ご自身の競技の現状
・競技への想い
・world challengersへの意気込み




テニス 中野佑美 選手






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【ご自身の競技の現状】

テニス界には、セリーグパリーグナリーグもありません、セリエAもJリーグも、体重別も競技団体も流派も無く毎週世界中の複数多数会場で大小のワールドカップが繰り広げられているようなもので、世界ランキングは月曜日に発表され常に変動しています。世界ランキングの対象になる、女子のテニスツアー、テニスサーキットは、世界各国でほぼ毎週開催されています。国内外のITF(国際テニス連盟)が主催する大会(賞金総額1万ドル~10万ドル)で勝つことで世界ランキングを上げ、WTA(世界女子ツアー:賞金総額22万ドル以上)に出場するチャンスが掴めます。WTAツアーの最高レベルはグランドスラム大会(全豪、全仏、全英、全米)、その次のレベルが先日東京で開催された「東レパンパシフィックテニス」大会等で世界のトップクラスの選手達が世界NO1の座を奪い合う舞台です。一昨年と今年、パタヤオープン(タイ)、広州オープン(中国)、韓国オープン(韓国)、HPオープン(大阪)等のWTA大会予選に出場することが出来ました。そこにはグランドスラム優勝者のスキアボーネ選手やストーサー選手、ハンチェコワ選手、キリレンコ選手、復活して活躍されている伊達選手らが集い、真剣勝負を繰り広げていました。「いつもここでプレーしたい!」と強烈に思いました。そここそが、私が今目指している場所です。WTAツアーの本戦に出れる選手は32名、ここでプレーできる選手はグランドスラム大会にも当然堂々と出場できます。しかし、一見華やかですがテニスは、実際は孤独なスポーツです。試合中、コーチングはもちろん禁止、マネージャーがいるわけでもないので、スケジュール管理も自分でしなければなりません。グランドスラムで活躍することを目指すには、国内外問わず、大会に出場して賞金&ポイントを獲得しなければなりません。交通手段、ホテル、自分のランキングやレベル、他の選手たちの動向をチェックしながら大会を選んでいきます。全て自分で管理しています。出来れば、コーチと共にアメリカやヨーロッパの選手たちと戦いたいと思っています。しかし、経済的に無理があるので、韓国や台湾等、アジアを中心に1人で転戦することがほとんどです。海外での宿泊は、安いホテルを探して選手同士で部屋をシェアしたり、ホームステイ先を紹介してもらい節約に努めています。国内の国際大会の時は出来る限り父が運転するワゴン(ハイエース)で移動して、車中泊をしたりしています。現在、数年間の積み重ねでようやく自己最高ランキングの550番台に入り、WTA(賞金総額22万ドル以上)の大会に参戦するチャンスが少し増え始めたところです。練習は、両親が働いている福岡のテニスクラブを使用させていただいています。東京大阪以外を拠点として活動している日本人選手はほとんどいません。「お金があるなら遠征費に」と、経済的な理由でなかなか東京での活動に踏み切れませんでした。私も時々テニスレッスンの手伝いをしています。テニスクラブでは週6日でレッスンが行われているので、空きコート(砂入り人工芝)で練習している状況です。伊達選手が指摘されていたように、日本ではハードコートが少なくなっており、世界の大会で使用されているハードコートで練習できる環境を求めています。しかし、今の環境でも、満足どころか感謝しています。何年もかけてこの練習環境を与えていただいているからです。そして、どこにいても コートが無かったとしても、そこにラケットとボールさえあれば、テニスは出来、練習はできるし少しずつ強くなれると確信しています。


【競技への想い】

両親がテニスをしていたのもあり、小さい頃からテニスコートに行っていました。物心がついたころにはテニスに夢中でした。8歳のときに、『テニスがしたい』と言い、他の習い事を辞め、テニス1本に絞ったことを覚えています。海外のジュニア国際大会を経験することで、テニスというスポーツがサッカーのように世界中のどこでもプレーされており、さまざまなタイプの凄い選手が大勢いて、対戦し、ライバルになり、友人になり、その魅力にとりつかれました。17歳で、グランドスラムの1つ、全豪オープンのジュニア大会の予選に出場しました。予選決勝で敗退したため、本戦会場のメルボルンパークでプレーは出来ませんでした。その会場へ足を運び、世界のトップ選手たちのプレーを観戦し、彼らの凄さに圧倒され感動を覚えました。日本国内のテニスも悪くはないけど、「これが《本物》であり、《王道》なんだ」と感じ、「このステージでプレーしたい。必ず(選手として)ここに戻ってくるぞ。」と強く決意しました。19歳でプロに転向しました。思うような結果が出ず、ジュニア時代には無縁だった怪我も増え始め、プロで戦っていくことの過酷さを痛感しました。それでも、両親やコーチを始め、周りの皆さんの暖かい応援もあり、少しずつではありますが、世界のトップ選手たちと触れ合える機会が増えてきました。今、ようやく500位代という自己最高ランキングに達することができましたが、「やっとスタートラインにつけた」という思いです。トライすればするほど壁の高さ、道の遠さ、自分の未熟さも理解できるようになりました。しかし、一度きりの人生で一度きりの青春ならば、絶対にここであきらめるわけにはいかない。後悔はしたくありません。今しか出来ない挑戦だし、高い山、険しい道の先にこそ「陽のあたる場所」が待っていると信じています。

【world challengersへの意気込み】

このような素晴らしい企画を立てて下さったマルハン様、AY様に本当に感謝です。各スポーツ界の実績のある選手たちがエントリーしており、それぞれが強い想いを持って、このチャレンジに参加していると思います。そういった方々と共にこのオーディションに参加できること自体をとても光栄だと感じています。客観的に私を観察すると・・・・・ガッツはあるけど運動センス無し、パワー無し、身長も低く、地方を拠点にしているし、おまけに資金無し・・・・しかしテニスという競技で問われる力は「総合人間力」です。私は、誰にも負けない情熱と「元気一杯の溌剌プレー&笑顔」で勝負していきます。もちろん技術的に、ダブルハンドフォアハンド(両手打ちフォアハンド)は特に自信を持っています。「諦めるならば、闘いに全力を出し尽くしてからでも遅くはない・・・」まだまだ自分には可能性があると信じています。復活した伊達選手、世界王者の国枝慎吾選手、先のなでしこジャパンの皆さん、をはじめ、多くのアスリートが「不可能を可能に」してきた事実を知るにつけ、「自分も行くぞ、絶対できる」という気持ちになります。2013年までに、グランドスラム出場し、活躍したいと思っています。簡単なことではありませんが、自分には可能だと信じています。そして、応援してくれる方々に、グランドスラムでプレーすることで恩返しがしたいです。この目標に向かって、『いつも元気』をモットーに限りなく前進していきます。応援よろしくお願い致します。


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・競技への想い
・world challengersへの意気込み





キックボクシング Masaru 選手




【ご自身の競技の現状/競技への想い】

東京都目黒区出身昭和47年6月6日産まれの39歳です。4歳のとき、きっかけは忘れましたが父の勧めで剣道を始めました10歳の時に両親が離婚し、兄弟3人いましたが母方に育てられました。剣道は12歳の小学校卒業まで続け、昇級試験では2球まで取得しました。もっぱら級や段には興味がなく各大会でもらうメダルに興味があったため、各大会に出場しメダルを取得していました。ですが、今となってはどのような大会だったのかは不明で初段までは取得しておくべきだったと、やや後悔もしております。中学高校と陸上部に入り種目は短距離を選択し、成績では中学生の時に県大会に出場で高校でも陸上をやりたいと思う願望から県でも有望校に進学しました。有難い事に当時インターハイにも出場していた高校陸上部にて部長を務めさせていただきました。しかし、高校二年の部長になって間もなく怪我に泣き個人としては全く成績を残せずに悔しい高校生活を送りました。
それから大学の工学部に進学しました。日々燃えるものがなく悶々とした大学生活だったのですが2年生の時たまたま見つけた市民体育館の張り紙の「キックボクシングサークル」に目が止まり、見学に行ったところ初めて聞く“キックボクシング”初めて見る“キックボクシング”に電撃が走ったような、正しくそれが一目惚れ!!とでも言いましょうか!!高校時代に後悔のまま卒業した陸上部時代の悔しさを取り戻す!!がようにキックボクシングの虜になってしまいました。

当時、市民体育館の週一回のサークルにもかかわらず、何かしなくちゃと朝走り、昼はウェイト・トレーニング、夜は夜でまた走りキックボクサーは足腰が命だ!!とばかりに、幸い山だらけのとこだったので日々走りまくっていました。それから数ヶ月後に、新空手とゆう当時は必ずと言っていいほどにキックボクサーのデビュー前の腕慣らしによく出場されていた競技で、週一回の体育館サークルの全くのど素人の私が出場したのは、今思うと怖いもの知らずすぎるのですが、当時会の誰もが素人だったので勢いだけで出場し一回戦を突破することが出来てしまいました。二回戦目は偶然のバッティングにより出血してしまったため敗退しましたがそれでも、その時の緊張感は今でも覚えています。大学4年の春の新空手道全日本大会で、ワンデートーナメントで8試合戦って準優勝しました。普通なら学生時代のいい思い出としてそれで終わり。引退でよかったのでしょうが、周りの友人たちが就職活動する中私は会社員になっている自分が想像できない。とゆうよりは、キックボクシングをやっていない自分が想像できませんでした。キックボクシングの世界チャンピオンになってファイトマネーで生活しようと、進路はプロ・キックボクサーでした。当時、市民体育館でスタートしたキックボクシングサークルではプロには登録しておらず、プロにはなれない。そんなことも知らないでひたすらチャンピオンになる日を夢見て走っていました。

そんな状態から大学を卒業した年の忘れもしない1995年7月15日後楽園ホールで3-0の判定勝利で念願のプロデビューを果たしました。キックボクシングの何も知らなかった時から目指した世界チャンピオン!キックボクシングに携わって20年目を迎え、プロとしてデビューして17年目。初めてタイに乗り込んで挑戦した世界の舞台は2008年7月9日しっかりとした手応えを感じ、絶対に再チャレンジして世界のベルトを巻くことを誓わずに入られませんでした。それを期に、チームMONKEY☆MAGICを結成。今年2011年1月に現日本チャンピオンに1RでKO勝ちして勢いに乗ったように感じたが、3月、9月と2連敗。
2001年に結婚して、今では小学4年の9歳の長男に、年長5歳の次男の夫であり父親であり、とゆう立場です。昔のように何も考えずに突っ走れる立場ではなくなりましたが、日々、二人の息子たちには「何があっても本気で手に入れていモノがあったら絶対にあきらめるな」、「どんな困難がきたってビビるんじゃない」、「出来る方法を考えろ」、と、言い続けています。私には父親としてキックボクシングを通して教育していくことしかできません。もう、今更引退なんてできません。世界チャンピオンになるしか道はありません。ここで、2連敗をして這い上がるためには必要なモノ、コトをするには仕事の合間の練習では足りないし、必要なトレーニングも難しいと考えていました。


【world challengersへの意気込み】

このタイミングでアスリートエール様からの マルハンWorld Challengersのイベントは残された道を確実に手に入れるための天からのチャンスだとしか思えません。私の人生の約半分をキックボクシングに注いできましたキックボクシングにこの歳まで現役でしかも未だにトップクラスでいられることに非常に感謝しています丈夫な体をくれた両親に、10年も支えてくれて未だに迷惑かけっぱなしの嫁に、家族に、長い間ずっと応援し続けてくれている友人達に、世界チャンピオンのベルトを巻く姿を見せたい!そして息子たちに、私の試合を見に来ていただいていたファンのみなさんに「諦めるな!!絶対に絶対に夢は叶うんだ!!」とエールを送りたいです。そして、私自身もチャンピオンベルトを巻いて確信を得たい。そう思います 長文読んでいただきありがとうございました。




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・競技への想い
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総合格闘技 清水清隆選手



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【ご自身の競技の現状】

総合格闘技では、パンクラス参戦させていただきパンクラス戦績は負けなしのまま第二代フライ級王者になれました。現役王者として三度防衛中です。また他団体の修斗への参戦が11/5に決定しております。勿論、修斗のベルトも視野に入れています。日本だけにとどまらずチャンスがあれば海外への試合も挑戦したいと思っております。そしてサンボでは、2011年全日本サンボ選手権にて-57kgで、優勝を果たし世界選手権への切符を手に入れました。世界選手権は11月中旬を予定していてこちらも勿論参加予定で、コンバット、スポーツサンボの二つの参加を決めております。しかし、この、世界選手権は、渡航費等ほとんどが選手負担でかなりの出費が予想されます。そこで今回のチャンスをいかせればと思っております。プロとはいえ、週のほとんどをバイトをしているのが現状です。


【競技への想い】

月並みの言葉ですが、格闘技が好きです。この軸がブレる事なく、今でも探求の道を歩いてます。各分野、各競技の素晴らしい選手の方々が、応募されていると思いますが、私が強い想いが貫けるように頑張りますのでよろしくお願いします!

【world challengersへの意気込み】

このチャレンジを知ったのが10/1で、直ぐにメールをさせて頂き、現在に至ります。AYのファン数は少ないのですが、ハートで、チャンスを掴みたいと思います。よろしくお願いします!



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・競技への想い
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レーシングドライバー 小野真 選手




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【ご自身の競技の現状】

モータースポーツの低級カテゴリーでは認知度が低く、また広告効果等は有りません。その為スポンサーは付かずアルバイト又は仕事をしながらの活動から始まります。しかし活動資金は最低でも数百万以上毎年かかってしまいます。それなので技術が有る若い将来を有望されるレーサーでもスポンサーを得る事が出来ず、仕事とレースへの思い・時間が逆転してしまい、次第にはレースをやめてしまうのが現状です。
フォーミュラカーレースに飛び込んでくるのは全国で数百人位だと考えています。その後技術的に道を断たれ、残れるのは半分以下。技術が優れていても資金難で将来を断たれてしまうのは2割も満たないのが平均です。


【競技への想い】

競技をしていくうちにこの楽しさをもっと多くの人に触れて貰いたいと思いました。そこで夢『レースの人口を増やす(日本・アジアを中心に世界的に)』目標「F1ワールドチャンピオン、後にF1アジアGPを開催し数年に1度東京市街地でF1レースを開催する」目標のアジア人初となるF1チャンピオンを達成出来たら自然と日本がモータースポーツに目を向ける事が出来ます。そしたらモータースポーツが盛り上がってるアジアにて「F1の1カ国1レースの」ルールに捕らわれない特例で大陸ごとのアジアGPを提案し日本でも数年に1度は年に2回もF1を観戦できる機会が出来ます。東京市街地で行えばなおさらモータースポーツへの関心は高まるでしょう。そうする事によってレース人口は増えます。一緒に低級カテゴリーの認知度もあがり、現状の問題も解消する方向に向かいます。なのでF1チャンピオンは最低限の目標です。


【world challengersへの意気込み】

海外にてレースをする事によってF1への道のりが近づきます。日本では行われない市街地レースや、様々な国々のドライバーによるハイレベルなテクニックの争いを学びその中で勝ち残って初めてF1に進む事が出来ます。だからこそ海外に行かなきゃ自分の夢を達成する事が出来ません。必ず合格して夢を達成します!




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トライアスロン 﨑本智子選手

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【ご自身の競技の現状】

ロンドンオリンピックの出場を獲得する為に、海外で行われる世界選手権シリーズの転戦が必要であり、今年は年間10戦(8戦が海外)のうち7戦が終了しました。1戦目のシドニー大会では、5位入賞を果たし、そのまま8月に同じ結果を出せれば、ロンドンオリンピックが内定した実力はあります。今年はタイミングが悪かったでが2012年5月末まで選考が続き、先月末もアジア選手権では2位になりました。ロンドンオリンピック選手になって戦うことだけです。


【競技への想い】

競泳を12年間しており、その時からオリンピックの舞台を夢見て毎日トレーニングに励んできました。オリンピックの出場決め、優勝し、支えてもらっている両親、応援者の皆様、トライアスロン競技に力を返したい、一緒に喜びを分かち合いたいと思います。


【world challengersへの意気込み】

今回、競技団体からお話しをいただき、応募することができました。これまで、支え応援してもらっている方々と喜びを感じていますが、世界1の目標を持っていきます。トライアスロン﨑本智子の応援よろしくお願い致します。



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フリーダイビング 北濱淳子選手




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【ご自身の競技の現状】

昨年12月に会社員を辞め、退職金にて今年度はフリーダイビングだけに集中しております。また2年間に2回に渡る脳外科手術等もあり、病からの回復、身体作りの基礎からやり直しているのが現状です。そのため華やかな記録は残せていませんが、地道に自己ベスト記録更新等を積み重ねています。今年は準備期間ととらえ、来年からのステップアップに期待して日々頑張っています。そして再度フリーダイビングで一番華やかな種目、コンスタント・ウィズ・フィンの日本記録にも挑戦できればと思います。またこの数年考え続けていたコンスタント・ウィズアウト・フィンの世界記録挑戦は、道筋が見えてきたこともあり、来年は必ず挑戦したいと考えています。


【競技への想い】

自分自身これほど長い期間(9年間)、のめりこむとは考えもしなかったのですが、会社員を辞めてまで取組みたいと思えるほど一言では言えない魅力があります。他の競技と違い、身体の維持さえ普通にできていれば、年齢に関係なく現役選手でいられます。実際に私よりも年齢の上の方たちが世界記録を保持しており、私自身の励みになっています。そのようなこともあり、まだまだ私の年代でもチャンスはあり、また実際に私自身、世界記録等を視野に入れ取組んでいます。可能な限り世界に出て、これまでと同じように競技に取り組みたいと思っています。

【world challengersへの意気込み】

マイナースポーツな上、私自身が日本の媒体的には魅力的でない商品なことは理解しております。ただ純粋に競技に取り組む姿勢、ある意味もう逃げ道のない年齢での挑戦ということも加味して、選考していただければと思います。今年1年は基礎再構築でした。もう1年間、仕事に縛られずにフリーダイビングに取組む時間をいただければ、これ以上嬉しいことはありません。あと1年あれば、結果は残せると思っています。よろしくお願い致します。




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テニス 野上流星 選手




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【world challengersへの意気込み】

World challengersにエントリーさせて頂くにあたり、私の現状や想いをお伝えさせていただきたいと思います。
現在、国内の大会を主に周らせていただいています。日本ランキングのポイントを得ると同時に、大会の賞金も頂いております。また、先日は山口国体に地元新潟から出場させていただき、参戦させていただきました。11月に行われる全日本選手権にも予選からながら参戦します。現在日本ランキング71位。世界ランクはついておりません。と、上記のようにまさしくパッとしない、華々しい戦績もない戦績であります。テニスというスポーツは知名度が高く、競技者も多いスポーツです。普及に関しても、年齢層が広く、大会に関しても参加者も多、メジャースポーツと言えるのではないでしょうか。しかしながら、テニスのプロトーナメントの知名度は、相当に低いのが現状です。どのような場所で開催し、どのように行われるのかを、トーナメントの競技者でない方々で知っている人は少ないでしょう。毎週のように各県で開催され、約一週間の中で行い、賞金総額によりランクが別れ、、、など。またそのすべての費用を自分でまかなわなければいけないこと。プロという資格に対してのメリットが少ないこと、多くの選手がプロの資格をあえては必要とせず、プロ活動していること。もちろん中には戦績を挙げ、スポンサーを獲得し、プロ登録をし、知名度を上げている選手もいます。私自身は現在、テニスコーチやテニスショップなどで生活費遠征費を稼ぎ、選手生活を送っております。また、アスリートエールさんの窓口からミニスポンサーを頂いただいたり、新潟県から県の国体強化費を試合のために使っていただいたりし、生活させていただいています。コーチングも選手の一環として、と言えばそうですが、試合の賞金で生活が成り立たない以上、生活のための仕事、と考える方が分かりやすい状況です。私がテニスを始めたのは5歳の時です。親と一緒にやったという記憶しかありません。小学校に上がりテニススクールに入りました。当然その頃にいきなりテニスに対して並々ならぬ情熱があったわけもなく、習い事の一つでした。同時に父も私にテニスを教えてくれていました。スクールよりも長い時間、父とテニスをしていました。父が私のコーチでした。初めて試合に出たのは小学4年の時でした。初めての公式戦。もちろんその当時の私には何の試合だかさっぱりで、子供ながらに勝てば全国大会に出れる。と、これまた漠然としたイメージで試合していたと思います。何が良かったのかその大会で私は県予選を抜け、ひとつ上の地域予選に上がりました。もちろん当時の私にはさっぱりでしたが・・・

その大会がテニスを習い事から競技にしました。「選手」という言葉を始めて持ったのかもしれません。コーチ代わりの父からとても褒められ勝つという喜びも覚えました。その大会で上がった後の地域予選はあまり記憶にありません。転機はその次の大会でした。またしても、その当時の私には何の大会だか分からず、テニスが楽しい,勝ったらもっと楽しいとしか考えていなかったと思います。結果は前回の大会で勝った相手に負けました。しかし私はさほど気にはしませんでした。悔しいとは思いましたが、テニスが楽しいという事実だけで勝ち負けは付加要素でしかなかったのだと思います。その試合後それを見ていた父に、物凄い勢いで怒鳴りつけられ怒られました。負けたこと、よりも試合内容のような・・・今ならばその発言や内容はあっさりと理解できるものですが、小学生の私にはただひたすらに怖いだけ、、、意味理由などさっぱりで、ひたすらに理不尽に感じていました。それ以来、父は私を叱る(当時は怒られているとしか感じませんでしたが・・・)事が多くなりました。初めての大会で習い事が競技になり、次の大会で競技は勝負となり、とてつもなく歪な形に理解された勝負「テニス」は楽しいという事はすっかり無くなりました。勝ち負けが楽しい悔しいつまらない、負けそうになると泣いちゃいそうになるぐらい嫌で、、、というより怒られるのが嫌なだけだった。マイナスの要素から頑張ったわけです。その後の中学、高校時代ともに楽しいからやる。といったテニスはなかったと思います。勝ちたいという想い、勝てるという自信、負けたときの劣等感など、テニスが中心で回る人生でした。ドロップアウトやバーンアウトなど一度は聞いたことがある言葉。選手であれば誰もが思う、自分の競技がつらい、もうやめたい。学生の頃感じる、同じ歳の友達のように遊びたい気持ち。自分の普通であることが周りの普通でないという現実。競技者が誰しもが思ったであろう事を考えました。それと同時にやはり自分の競技は、趣味、特技を超えた。人生を何よりも勉強させてくれる。人生を何より充実させてくれる。嫌で嫌でしょうがない。何よりも好きなものです。これはそれをひしひしと感じる私のテニスとの想いである思い出です。

長々と書きましたが、私がここでこのような事を書かせていただいたのは、単純に好きなことをやって楽しい事をやっているという感覚だけでテニスをし、今回のこの企画にエントリーしているわけではないという事を、少しでもお伝えしたかったからです。選手を経験しておられる皆様には蛇足であり、また未熟ゆえの考えだとも理解させて頂いた上で書かせていただいております。

では、なぜテニスをしているのか?
この質問は非常に難しい質問です。ましてはこの企画でさらにテニスをするチャンスを頂こうとしている訳ですから、学生でもなく誰に強制されるでもないテニスが嫌いとかどうとか何言っちゃってるのこの人。と、思われるとは思います。「人生だから」と、私が言っても安いでしょう。テニスをするとは私にとってどういうことなのか。私にとってテニスとはなんなのか。これについても少し書かせていただこうと思います。
私は高校卒業後、大学へ進学せず一人オーストラリアへとテニスの練習にいきました。経済的な問題は大学の費用分をテニスにと両親に頼み込みました。海外でテニスをする。というモチベーションは高校までの自分のテニスへの想いでは考えられないことでした。私はインターハイや全日本ジュニアといった大会で戦績を残せておりません。それどころか出場すらままなりませんでした。県大会の自分が一番上の代でようやく決勝戦に上がれるレベルでした。その勝ちのさもあって、前述したようにテニスが自分の人生の大半を占める大事なものだとは何一つ思っておらず、むしろ邪魔なものぐらいに考えていたのです。態度もそれに伴って最悪なものであったでしょう。
その意識を変えたものは怪我でした。高校三年生のインターハイの出場権を得た後、怪我によりインターハイ3日前に怪我により欠場を余儀なくされました。正直、その頃の自分意識はテニスなどどうでも良いと思っていました。どうせこの先続けていても先はない。と、斜めに自分を見ていました。「インターハイなどどうでもいいじゃないか。」と、自分にくさっていたと思います。しかし、その怪我を練習中にした時、そのせいでインターハイに出られないと決まった時、とてつもない悔しさと、寂しさがこみ上げてきました。自分でも分からなかった感情でした。色々な理屈をこねて理由を作ってはいるだけの話で、要するに単に勝てない事が自分の小さいプライドに触り、自分のせいだと認めたくないだけであったと。本当はインターハイに出たかった。勝ちたかった。もっとテニスをしたかった。好きだった。あのコートに立ち思う存分プレーをしたかった。見て欲しかった。そうだったんだと、気づいたのです。それを素直に出来なかった私はなんて愚かで幼稚だったのかと・・・。今更ながらその時気がついた時にはもうすでに多くのものを裏切り、拒絶してしまっていました。そしてその時自分で出した答えがテニスを続けるという決断でした。続けるというより、新たに作り上げたいという想いでした。そしてそれが私なら出来る。という自信と、なんとしてでもなってやる。という目標となりました。その時思った海外に行きたいという考えは安直な考えかもしれませんが、結果として今の自分を形成するにあたりとても大事なものだったと感じています。これが競技として、プロとしてやりたいという思いの発端であったと思います。

高校卒業後も怪我がまだ完治せず、すぐに海外に行くことは出来ませんでした。そこでも初めて気がついたことがありました。それは、周りに誰も居ないという寂しさです。学生であるということは常に同じ歳の人が周りに居るものです。それが当たり前でした。その当たり前が無くなるとは想像もしたことがありませんでした。その想像していなかった事が当然ながら起きたわけです。もうなんという孤独感か。それを救ってくれたのもテニスでした。激しい練習は出来ないもののラケットを持ってとりあえずはテニスが出来る。その事を知った近くの大学に行った友人が私に、少しコーチをして欲しいと頼んで来てくれました。嬉しかった。誘ってもらえること、自分のテニスを認めてくれている事、仲間が出来ること。なんというか私はそれまでそういう事を心から感じて生きてはいない、自分しか見れていない嫌な人間だったと思います。それを機に色々な人と出会え、色々なことを学べ、人との繋がりがとても大事で、それを手に入れるきっかけをくれるツールが私の場合テニスなのだと気づかされました。これが私のテニスに対する想いです。テニスは私の人生において、とても大きな意味を持つスポーツです。贅沢な悩みを与えてくれ、充実を与えてくれ、私に私をくれるものです。想いのほどは私の文章力ではすべてを語れません。またすべてを語り尽くせるものでもありません。

上記の理由では、私がテニスを競技として、プロとしてやる理由にはならないと思います。人との繋がりのツールであり、自分の想いというだけでは、それは趣味に収めても出来るからです。
選手でありたいというのは、はっきり言って私のエゴです。それは、自分の現在の立ち位置はテニスプレーヤーとして弱い。それどころか社会的な立場としても弱者です。テニス選手だけで生活できる能力の無い現在の私にテニスをプロとしてやらせる利益など当然のごとく無いのです。またそれをやろうとしている私は社会にとって認められる存在ではない。ましてや現在若手と言われる選手が活躍しているなか、25歳の私の将来性など比べるられる訳も無いのです。本当にただの夢でしかないでしょう。しかし、私はやりたいのです。勝ちたい。自分のために。人に私のプレーで何かを感じて欲しい。綺麗事ではなく、私がそういう人でありたいのです。自分が今まで感じた物をより多くの人々に感じて欲しいのです。人は一生の間に何人の人に感動を与える事が出来るのでしょうか?一生のうちに一人にでも人生が変わるほど感動を与えることが出来たとしたら、もうそれはとてつもなく凄いことではないでしょうか?もちろん多くの人々に感動していただけるならそれに越したことはなく。勝ち上がり名を馳せ、人々の目に多く留まることになれば可能性はどんどん広がっていきます。プロとしてやるということはそういう夢を持つことだと思います。  
 
たった一人にでも感動を与えられるのであれば私は一生負けでも構わない。
 
しかし、大きく矛盾する話ですが、勝たなければその機会は訪れない。実力をつけなければならない。いまの私にはそれを実行する資金が無い。想いだけ意気込みだけでは何も得られないという現実があるのです。勝ちがすべてではなく、しかし勝ち取ることでしか得られず。確実に選手でいられる時間も限られてきた中で、自分を賭けてみたいのです。すべてをそこに注ぎ込めるようにしたいのです。このWorld Challengersというチャンスを手にすれば、私の夢を確実に前進させてくれるものだと信じております。いや、実現させてみせます!長々と失礼いたしました。このような駄文を読んでいただけることを心から感謝しております。私がこの文を書くにあたって、World Challengersにエントリーするにあたって・・・もっと言えば、スポンサーを頂こうとする、もしくは頂いた時に、とても悩むことがあります。それは、「私に受け取る資格があるのか」ということです。私は頑張りきっているのか、期待に答えきれているのか、ただの自分のエゴのためにスポンサーを貰っていいのか。自信がない。しかしそれと同時に、もっと頑張りたい、期待に答えたい、自信がもてるまでひたすらにやりたい。という気持ちが湧き出てきます。テニスは自己表現だ。というコーチの教えをその通りだと思い、コートで自分を表現すること。自己主張をすることを私はしていいのか?という疑問と、自己表現をしたい!!私なら出来るはずだ!!という情熱。このようにとても未熟な私が自分の事を書く事を恥ずかしく思う気持ちをこの機会に払拭できたらいいと私は思っています。このWorld Challengersが私の自信へと繋がる事を強く願っています。

最後になりますが、やはりこの文章だけでは伝え切れません。これを読んで不快感や疑問をもつところも多いかもしれません。何が言いたいのかも分からないと思うかもしれません。それを一方通行通しで終わらせたくもありません。もっと伝えたい沢山の話が私にはあります。今回これを読んでいただき、この文を書いた主に会って直接話してみたい、もっと話を聞いてみたいと思っていただきたく、拙い文章力ながら一生懸命悩みながら書かせて頂きました。また、私自身も出来るだけ沢山の人と話し、色々な話を聞たいのです。テニスという私の大事な繋がりを存分に生かし、人間としての繋がりにしたいと思っております。よろしくお願い致します。




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world challengers 挑戦者インタビューのご紹介をします。

【インタビュー内容】
・ご自身の競技の現状
・競技への想い
・world challengersへの意気込み



モータースポーツ 尾形明紀 選手




マルハンWorld Challengers

【ご自身の競技の現状】

アメリカのレース、NASCARに参戦する為には日本に住んでいるのではNASCARドライバーとして通用しないので、2010年8月にアメリカに拠点を移しアメリカ国内でスポンサー探しからやり直しました。現状は厳しいものの、多くの支援者、応援者に支えられております。しかし十分なレース数に至らず スポンサー獲得活動をしながら、レース参戦に向けて準備をしています。

【競技への想い】

NASCARはアメリカ南部発祥のレースで今も白人社会の中で行われているレースです。また日本には無いオーバルコースというアメリカ独特のレース文化の中を、多くのアメリカ人が下位カテゴリー経験を経ていくように、私も同じように下位ローカルクラスからのステップアップを目指します。ここアメリカで本物を目指しステップアップするにはオーバルレース経験は勿論、白人レースファンを納得させる経歴も必要な程 アメリカ国内のレーシングという事を理解しています。またNASCARは世界で最も興行として成功しているモータースポーツです。NASCARの深さを知った25歳の時、自分がレーサーとしてやっていくにはこの世界だと思い進み続けています。多くのNASCARドライバーはファンに対するサービス、スポンサーに対する心使い、ドライバーとして人々によい影響を与えられる地位をアメリカ国内で気付き上げている、エンターテイナーです。それらが繰り広げる人気のあるエンターテイメント・レースなので、広告効果が十分にあり企業がスポンサーをします。私はNASCARという常に熱いバトルを繰り広げられているレースとこの上手く成り立っている興行システムに魅了され、この世界に飛び込みました。私はここで日本人レーサーとして結果を残し、レーサーという仕事の本来あるべき姿を日本に知らせていきたいと思っています。


【world challengersへの意気込み】

このような大きな機会は我々アスリートに希望を持たせてくれる企画で、このような機会を与えてくれたマルハン様には本当に感謝しています。私は上記で書いた事を遂行し、そして必ず目標を達成し、このWorld Challengersが与えてくれたチャンスの事を、目標を持って活動している人々、また目標を持つ素晴らしさを人々に伝えたいです。


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