大浦天主堂へ向かう途中に不思議な建物がありました。
祈りの丘絵本美術館。
予備知識なく通りかかったので寄りませんでしたが、童話館さんの絵本美術館

だったようです。

 

 

大浦天主堂が見えてきました。

幕末の元治2年(1865年)に完成した建物で、日本に現存する最古の教会

だそうです。

 

明治8年の大改修で今の形になったそうなのですが、藤森先生の「建築探偵

神出鬼没」の中では、当初の建物が建築の専門家から見て、他に類のない、

とっても不思議な形をしていたことが説明されていて、興味深く読みました。

 

 

 

当初の形だと、ゴシックをベースにしていたものの、技法上敵対関係にある

イエズス会スタイルのルネサンス系統のデザインも見られ、壁画の下半分には

日本伝統のナマコ壁も入っていて、これらが一緒になって1つの建物を作るのは

異例なのだそうです。

 

 

まあ、スケッチなどはあったにしても、日本最初の教会ですから、スケッチなどを

見せられても、いざ作る大工さんにしてみたら、どう形にしていけばいいのか、

困惑したに違いありませんよね。

 

 

ステンドグラスは輸入したのですよね。見たこともないと、どう作っていいのかも

想像つかなかったでしょうし。

 

なまこ壁も、日本のキリスト教会に使われてるのは大浦天主堂だけで、この周辺に

作られた外国人用の商館や住宅にも見られなかったんだそうですが、何故か横浜の

洋館では当たり前に使われていたことから、宣教師のフューレ氏とプチジャン氏が、

長崎に来る前、横浜にいたから大浦天主堂にも影響があったのでは?と、藤森先生は

推察されていたようです。

 

藤森先生は、そのルーツを探して、上海の聖ヨセフ教会まで確認に行かれた様子も

紹介されていて、建築史を追う面白さをワクワク読んだのでした。

 

 

こちらも中は撮影禁止なので、丘を見下ろす角度からパチリ。

 

 

天主堂の横には、赤レンガの建物があります。

こちらは大正4年にド・ロ神父(鉄川与助の師匠?)によって建て替えられた

もので、旧長崎大司教館と呼ばれたもの。

 

 

禁教時代は、神学生たちが密かに勉学に励んだのだそうです。

 

 

こちらは、やはり、ド・ロ神父による旧羅典(らでん)神学校の建物。

日本人の司祭を養成するために建てられ、多くの卒業生を輩出してきた

学校だそうです。

今は一階が資料室になっていました。

 

続きます。