古い建物訪ねてお散歩フォトへ

古い建物を訪ねておさんぽしながら、カメラを楽しんでいます。カフェやレストラン、イベント、名所、観光地などもご紹介しています。

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こちらの家の前に立っている石の門柱。

これは、フリーメイソン・ロッジの石柱だったんだそうです。

松ヶ枝町47(旧 小曽根町海岸通り47番)の家にあったもの。

1865年当時、その家の持ち主はイギリス人だったので、そのロッジを

象徴して、柱頭にフリーメイソンのマークを入れたのだろうと書かれて

いました。
 

横浜の外人墓地に行った時に驚きましたが、結構、フリーメイソン

マークの入った墓石が多かったのです。未知の土地へ渡る、あの

モチベーションはこの組織のどこにあるんでしょうね。
少し前に都内で、建物見学に行って、フリーメイソンロッジに気付いた

ことがありますが、脈々と続いているこの組織には驚かされます。

 

 

その門の奥に移設されているのが、旧 リンガー邸です。

明治元年~2年にかけて建てられた、木骨石造、平屋建ベランダ付

寄棟造桟瓦葺の建物。

 

中国茶の熟練検査官だったリンガー氏は、グラバー氏に請われて

来日し、その後、同じイギリス人のホーム氏と共同で、「ホーム・

リンガー商会」を立ち上げ、製茶、製粉、石油備蓄、発電などの事業

を展開したそうです。
 

 

居留地では、英字新聞ナガサキプレスを刊行したり、長崎市の上水道

敷設するなど、尽力したそうです。

 

 

その後、こちらの家には、次男さん、孫に引き継がれ、

第二次大戦中は一族が本国へ引き揚げ、川崎造船の寮になり、戦後は、

リンガー家に返却され、一時、米国原爆傷害者調査委員会の宿舎に

なったあと、昭和41年に長崎市が買収保存し、今に至るそうです。

 

 

当初の施工は、熊本県天草出身の小山秀之進と伝えられているそうですが、

改修工事の時に、その後、色々、増改築されていることが分かったんだそうです。

 

 

九州出身者なら、リンガーと聞くと、「長崎ちゃんぽん リンガーハット」の名前を

思い出されるのではないかと思います。

 

気になって調べてみると、会社のサイトにもちゃんと紹介されていました。

>リンガーハット(RingerHut)のリンガーは、長崎で広く貿易商を営んでいたフレデリック

>リンガーという英国商人の名前にあやかったものです。
>長崎にグラバー園という有名な公園がありますが、ここにはグラバー邸とともに

>このリンガーさんの邸宅「リンガー邸」が建っています。「長崎ちゃんぽん」という長崎の

>郷土料理を販売するにあたり、郷土にちなんだこの大商人の名前をつけさせていただき

>ました。ハットは小屋とか小さな家という意味で、通して訳すと「リンガーの小さな家」と

>なりますね。

 

 

九州出身でも、今まで全く知りませんでした。

勉強になりました~。てへぺろうさぎ

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こちらは、旧 長崎高商表門衛所 の建物。

官立高等商業学校の創立時、表門にあった門衛所を移築したもの。

学校は、その後昭和24年に長崎大学の経済学部になったのだそうです。

 

ここで、ボランティアガイドのおじちゃんに話しかけられ、少しだけ

お話を伺ってきました。

 

そのおじちゃんの言葉がかなり博多弁に近く、不思議に思ってたら、

江戸時代、長崎港の護衛は、福岡藩(黒田家)と佐賀藩(鍋島家)が

1年交代で務めていて、長崎には福岡出身者も多かったことから、

長崎の言葉は博多弁にかなり近いのだと教えて頂きました。

 

 

対岸に見えているのが、三菱造船のドックです。

今でも、ここで修理する船があるそうです。

 

 

こちらは、明治16年築の長崎地方裁判所長官舎だった建物。

居留地の外側に建てられた洋風の官庁建築として、長崎で唯一残る

貴重な建物なのだとか。

今はレトロ写真館となっていたので、中は見学してきていません。

 

 

こちらは、旧 ウォーカー住宅。

イギリス人のウォーカー兄弟は船員として長崎へきた人達で、お兄さんは、

グラバー商会、ホームリンガー商会の船を経て、岩崎彌太郎に請われ

郵便汽船三菱会社(今の日本郵船)で監督船長も勤め、その後は、グラバー

と共に、現在のキリンビールの支配人を務めるなど、活躍した外国人の一人

だったそうです。

 

弟のロバートは、兄同様に、郵便汽船三菱商会の船長などを務め、一旦は

イギリスに帰国したものの、明治31年に長崎に戻り、先日ご紹介した、

元ラムネ工場↓を運営していた人。

 

 

そして、こちらの建物↓は、その弟ロバートの次男が大正4年に購入し、

亡くなるまで住んでいた建物だそうです。

 


 

洋館なのに、屋根はどこか和風な要素もある、ちょっと不思議な建物です。

 

 

ロバートジュニアは、日本に帰化し、再婚して、息子が二人いたそうです。

 

 

第二次世界大戦中は憲兵の監視下に置かれ、経営が悪化。
戦後、商会復活を望むことなく亡くなったのだそうです。

 

 

南山手10番地にあった建物を、後に、こちらへ移築したもの。

 

 

元々の大きさはわかりませんが、グラバー園の中に移築されている建物の

中では、小ぶりな建物でした。

続きます。

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グラバー園へやってきました。
こちらの電話ボックスは、入場前に見られるもの。

明治33年に、東京京橋に日本で初めて設置されたものを復元したのだそうです。

中の電話は今の公衆電話なので、使うこともできます。

 

 

うわ・・・こんなに広かったっけ?というのが正直な感想です。

まずは、動く歩道で、敷地の一番上へ移動し、坂を下りながら建物を見学

していくことにしました。

 

 

一番上にあるのは、旧 三菱第2ドックハウス。

ドックハウスとは、船が修理などのためにドックに停泊している間、船員たちが

宿泊するための施設で、こちらは、明治29年築です。

 

 

昭和47年に三菱造船(株)から寄贈され、ここに移築されたそうです。

丘の上に立っているので、眺望も素晴らしいのです。

 

 

建物内の見学もできるようになっています。

 

 

デザインはシンプルですっきりしたもの。

 

 

長崎へ来ると、どうしても明治維新を意識せざるをえませんが、漠然と知ってた

だけで、実は明治政府によるイメージ戦略もまじった歴史を学んできてたことに、

ふとしたことから気付き、少し、明治維新について、違う角度から紹介している本

なども読んでみたりしました。

 

 

戦国時代、江戸時代・・・と習ってきて、明治、大正、昭和、平成と、元号が変ったら、

時代まで変わったように勘違いしそうになってましたが、『支配者層が変わった』という

くくりで考えると、敗戦後の一時期をのぞくと、今も明治時代の続きなのかもな~なんて

気付かされたりしておりました。

 

 

歴史を振り返ると、支配者層が変る時、どうしても多くの血が流れてきています。

江戸城の無血開城なんて思い浮かびますが、その前後には、やはり、多くの血が

流れてきて、幕府サイドの人から見たら、明治維新の出来事は、クーデターにも、

政権転覆狙うテロにも見えていたのだと気付かされました。

 

歴史は、見る角度を変えると、全然違ったものに見えてくるものですね。

続きます。

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