昨日の写真では、すっかり暗くなってましたが、少し時間を遡ります。

こちらは、大正7年竣工の大阪市中央公会堂。

お隣の大阪府立中之島図書館開館後、14年程してできたことになります。

 

 

ネオ・ルネサンス様式の建物で、ヘレン・ケラーやガガーリンも訪れたことが

あるんだそうです。

 

 

北浜の株の仲買商だった、岩本栄之助氏の寄付をもとに、大正2年春に着工し、

大正7年10月に竣工したそうです。

 

この岩本氏は、明治42年、渋沢栄一氏を団長とする、渡米実業団に参加し、

アメリカの産業・文化を視察、その時に、欧米の富豪が、公共事業や慈善

事業に熱心であることに共感し、帰国後、100万円を寄付したそうです。

 

 

その利用先として、商業学校の設立、学生の奨学金の原資などの案も

あった中、最終的には、公会堂の建築に決まったそうです。

 

設計にあたっては、当時、まだ珍しかった指名コンペが行われ、13名の

参加者の中、29歳だった岡田信一郎氏の案が選ばれ、辰野金吾氏の

意向を反映した変更が加えられ、片岡安氏が実施設計を担当したんだとか。
 

 

大きすぎて、私の持って行ったレンズには収まりきれませんでしたが、

こちらは、側面にあたる南側。

東正面より、こちらの面が好きと仰る方も多いのだそうです。

 

 

この大きく張り出した庇は、寄付をした岩本氏が、「雨天の際の公衆のために」

と、特に設けさせたものだそうです。

 

 

こちらのサンクンガーデン(半地下広場)や大階段は、2002年の保存・再生工事

の時に造られたものだそうです。

 

 

1970年代には、中之島東部一帯の再開発話が持ち上がったそうなのですが、

建築関係者のみならず、市民一帯となり保存運動を展開したんだとか。

それにより、昭和63年に保存・再生することが決まり、平成11年から工事が

始まり、14(2002)年に完了したそうです。
 

「大阪は市民の手によって築かれた」と言われるのも納得ですね。

こういうものを大事にできるのは、文化的なものに理解があってこそだと思い

ます。

 

 

古い照明器具も、現役で活躍中でした。

 

 

大阪の人は、やっぱりトラなのかしらと思いましたが、ライオンもお好き?

 

 

こちらは、裏口側の西面です。

白い花崗岩に赤いレンガ、東京駅と同じ、辰金(辰野金吾)スタイル。

下の方に入ったストライプがオシャレです。

 

因みに、寄付をされた岩本氏は、その後の相場で大きな損失を出し、この建物の

完成を見る前に、自らの命を絶たれたんだとか。

とても残念ですが、その寄付による建物は、こうして今も大阪の人々に愛されてます。

 

明日以降は、夕方から特別公開された内部をご紹介します☆