「学問」の本当の意味 | 塾講士が語る子どもへの接し方~子育てを考えるヒント~

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現役の塾講士Tsuyo-C@ブシドーが、子どもへの接し方についてのあれこれを、音声と文章で語るブログです。10年以上子どもたちや保護者の方々と接してきた体験や、素晴らしい人・本との出会いの中から得た知識を語っています。子育てに悩む方々のヒントになれば幸いです。

昨日のYoShiさんとのコメントのやりとりでふと思いついた事があったので、それを述べようと思います。

 

我が師匠、YoShiさんのブログはこちら

→ 『悟りの書~Road to Awakening』

 

 

突然ですが、「頭の悪い子」というのはどういう子だと思いますか。

 

テストの点数が悪い、いつもぼーっとしている、落ち着きがない、考えなしに行動していつも失敗している、親や先生に怒られる様な事ばかりする、などなど色々挙がると思います。ひょっとしたら、自分の子どもを思い浮かべたかもしれませんね。

 

では、「頭の悪い子」は「ダメな子」でしょうか。

 

こう聞くと、ほとんどの人が「NO」と言うでしょう。特に自分の子どもを本気で手の施しようのないダメな子だと思う様な親はいないのではないかと思います。では何故、勉強ができるかできないかが子どもを見るときの最大の関心事になり、できていないとなると問題になるのでしょうか。学習塾に勤めていて言うのもおかしな話ですが、「勉強ができない=解決しなければならない問題」という公式を疑っている様な人はとても少ないと思います。しかし、それは本当に正しい公式なのでしょうか。

 

その公式を頭から信じている人は、恐らく「勉強ができる=良い人生を送れる」という公式も信じているのだと思います。それを根っから主張するなら、むしろ良いのです。しかし、これを堂々と「YES」と言えない人の方が多いのではないかと思うのです。ではそういう人は何故、勉強はできていた方が良いと思うのでしょうか。選択肢が拡がるから? それも本当でしょうか。本当に勉強ができなければやりたい事はできないのでしょうか。これにはっきりと「YES」と言える人はどれだけいるでしょうか。

 

「学力のあるなしは、子どもの人生に大きく作用する」という神話を、現代の大人たちは信じています。また、学力低下が全国的な問題となるのは、「国の将来を担う子どもたちの学力が、国の発展に大きく作用する」という神話を大人たちが信じているからです。しかし、それは本当なのでしょうか。この神話を、実感を持って、自分の経験を根拠として証明できる人は果たしてどれくらいいるのでしょうか。

 

別にいじわるな事を言いたいがために、こんな事を言っているのではありません。ただ、良い人生を送る事と、今の学校教育の中で良い成績を取る事とは、直接には結びつかないのではないかという事が言いたいのです。

 

古来、「学問」と呼ばれたものは、そういう「人生をいかに良く生きるか」という事を問い、それについて考えるものでした。孔子もソクラテスも福沢諭吉もそれを弟子に語り、教えたのです。しかし、「学問」が出世の手段として使われた時から、その意味が変わってしまったと僕は考えています。「学問」は現実的な営利を得るための手段ではありません。それはもっと精神に作用する、考え方や心の働きを促すものなのです。だから、今、学校で行われている様な数字で表す事が出来る様な「能力の評価」は「学力」を測るものであって、「学問」ではないのです。そして、この本当の意味での「学問」を行う事が、現代の諸問題に対応するひとつの方法なのではないかと、僕は思うのです。



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