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これは北の京芦別モノレールの目的地、北側の施設北海道大観音の現在の姿。

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こちらは2007年11月に撮影した、北海道大観音の姿。足元にはモノレールの軌道が当時は残されていた。残念ながら翌春には解体されたとのことだ。それにしてもスキー場のある隣の山よりもでかい観音様には圧倒された。単純にでかいはすごい。

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2012年6月の北海道大観音訪問時には、1階に建設当時の写真が多数展示されていた(現在は不明)。建造には「15年の歳月をかけ、モノレール、庭、胎内の仏具、仏像を含め総工費36億円!」とある。お金をかけすぎだが、当時は年間50万人もの、すごい客が訪れていたのだった。あのバブル崩壊までは。。。バブルがはじけなくても厳しかったような気もするが。。。

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当時の全体像を、北の京芦別側から撮影。

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建造当時の北海道大観音。左側にはモノレールの駅と線路も写っている。


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そしてできたモノレールの軌道。1988年(昭和63年)8月とあるが(おそらく8月1日)、資料によっては7月31日ともある。どちらにせよオープンはおそらく1日の誤差だと思われる。


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「本館(旧)モノレール、ターミナルより観音様を望む」とある。北の京芦別本館の発着所ホームから、見た光景だ。

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こちらは2012年6月。全く同じアングルで写真を撮ろうとしても、現在は封鎖されてしまっている。扉の向こうにも軌道は存在しない。

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モノレールの出口は封鎖されてしまっているため、横の窓から似たようなアングルで撮影をした。軌道が撤去されてから時間も経ち、木々も茂りはじめている。

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こちらは現在の北海道大観音改札口。大人500円、子供300円だ。


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一方こちらはモノレールの北の京芦別発着所の券売機。「大観音拝観料、モノレール乗車券、七福もち(お茶付き)」全部セットで600円とはかなりお得な価格設定だ。お茶菓子の和菓子については、現在も芦別市内で購入が可能だということだ。そのうち取材も行いたいと思っている。
おかげでモノレールも人気アトラクションの一部として機能していたらしい。都築響一さんの伝説的名著『珍日本紀行』の「北の京芦別」のところでも、満員状態のモノレールに乗車している写真が掲載されている。ちなみに『廃線跡の記録4』を作る際に、三才ブックスの関口編集長を通じて、都築さんにモノレールの写真がないか調べていただいたのだが、結局存在しないとのことだった。

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とにかく苦労したのがモノレールの写真で、googleの画像検索でも出てくるのは、北海道新聞が掲載している北の京芦別モノレールがオープンした際の写真のみだった。


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そこで使われたのは、モノレール廃駅に残されていたこちらのポスター。

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ここに写りこんでいたモノレールの写真を書籍で使うことができた。これは廃線跡の記録4の編集を手掛ける関口編集長の大ファインプレーだったと思う。私は残念ながら一切気づかなかった。

続きます。次は大スクープ。