鉱山住宅のいくつかに入ってみた。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
しんとした雪景色と冷たい空気の中、家からは荒れ果てた庭が一望できる。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
雨戸も障子も、経年劣化によって全て倒れてしまっていた。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
廃屋に今もかざってあった、昭和50年と51年の表彰状。中身は深沢地区の保険委員会が結核予防の検診に地区から多くの人が参加したことに対して、足尾町保険委員会連合会長が出した表彰状だった。ちなみに結核は今も怖い病気で、私もかつて肺結核にかかったことがある(今は完治)。そのためか今も呼吸器系が弱い。風邪のような症状が二週間以上続く場合には、医者にかかった方がいいとのことだ。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
落ちていた新聞は1990年5月13日日曜日の「しんぶん赤旗」日曜版。私が子供の頃の新聞記事だ。住んでいたのは労働組合運動を熱心にされていた方だったのかもしれない。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
おしいれには「奉 賽銭」「製煉 青年部」と書かれた箱があった。製煉とは銅山で採掘された鉱石を選鉱したのちに、さらに純度の高いものにする作業。深沢地区の北側にある足尾本山地区には、本山製錬工場が今も一部残されている。賽銭とあることは、お祭りなどでこの箱を賽銭入れにでも使ったのだろう。