足尾銅山の有木坑道の反対側の山には、昔の鉱山住宅などがあった廃墟や削平地、建物基礎などの上側に、杉菜畑山神社(すぎなはた さんじんじゃ)がある。足尾町の文化財にも指定されているが、ほとんど廃墟化している神社だ。ただ参道だけは、草などが刈り払われ、今でもふもとの人たちによって時々管理がされているようだった。
この神社が作られたのは明治22年(1889年)4月28日。
建造にあたっては、足尾銅山の役員や坑夫から募金を集め、3,279円53銭で建立された。当時の貨幣価値を調べてみると、1,000円が現在の約2,000万円という資料がでてきたので、現在の貨幣価値で約6,500万円程度のお金で完成したようだ。

今残っている社殿はそれほど大きくはないが、参堂の階段や、細かい付属物、現存しない他の建物などを考えると、やはり大金がなければ作れないと思わざるをえない。
その募金者一覧は、参道の途中にある碑に細かく記載されている。

神社の祭神は金山彦神(かなやまひこのかみ)と、金山比売神(かなやまひめのかみ)。名前の通り、鉱山の神様だ。鉱山での仕事は危険と隣り合わせであり、神様はとても大事にされてきた。この神社のお祭りもとても盛り上がったと、手持ちの資料には書かれている。

「そうだ樹海、行こう」   |←樹海|  ┗(^o^ )┓三
下側にある社殿。鳥居は木が内部で、外側が鉄板巻き。

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手水鉢(?)には水がたまり、分厚い氷がはっていた。

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石灯篭には古河グループを現す「やまいち」のマーク。

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狛犬。これは形がしっかりと残っている。

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神社の裏側にある、開きっぱなしの戸の下には、ダイナマイトの空箱があった。
絶対、かっこいいから、この箱を使ったんだろうなあ、と想像する。
日本油脂株式会社(2007年から株式会社日油)武豊工場は、現在も愛知県に現存して、当時と同じように火薬も製造している。ちなみに名鉄知多武豊駅からタクシーで約10分。

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「鑛山神社」の名が残る。鑛は鉱の旧字体。素材は鉄。足尾は銅山だけど、鉄も含めて様々な金属も産出される。

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水鉢(?)。建立された明治22年4月の文字が刻まれている。

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上側にある社殿。小さいながらもかなり立派なつくりだが、実は手前に傾いている。倒壊しないでいてほしいが。

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狛犬の彫り物。その仕事振りはまさに、「職人の技」。

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かつて石の狛犬だったのもの、その1。風化ですごいことになってしまっている。

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かつて石の狛犬だったのもの、その2。こうなるともはやなにがなにやら。

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灯篭もくびがもげてしまっていた。こちらの素材は確か銅。鉄に比べると、銅は素材として腐食に強いためタフだ。


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下の社殿を、上の社殿側から撮影。

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下の社殿の後ろにある、倒壊した小さい建物の中にあった石のかたまり。たぶん御神体の一つで、鉱石なのだろう。

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後姿がやけにセクシーな狛犬の背中。赤ちゃん的でもある。